子守り木

律華 須美寿

子守り木

 ふと気づいたが、あるタイミングを境に、私達は公園に向かうことがなくなっている。

 それは大人の階段を上った結果のことなのか、単純に興味が別のものへと移った結果なのか。正しい答えはわからないが、子供時代のどこかの時点で、確実に私たちは公園に向かう機会を失う。

「あ……」

 だからだろうか。公園で遊ぶ子供たちの姿がたまらなく愛おしく見えることがあるのは。誰もいな公園が、なんだか寂しく見えるのは。

「…………」

 だから私は、何の用事もないのにこの公園に入ってしまったのだろうか。

「…………」

 ふらふらと、まるで何かに導かれるように敷地を跨いだ私は、そのまま近くのベンチに腰を落ち着けた。休日午後の昼下がり。昼間の太陽を受け止めたこのプラスティックも既にひんやりしてきている。気持ちいいような、太ももが冷えて不愉快なような、微妙な感覚。でも何だか悪くない。何故だか楽しくなってきて、そのまま辺りを見回してみる。

「滑り台……ブランコ……あれは、公衆トイレか……」

 所々塗装が剥げているが、まだまだ現役バリバリといった感じの遊具が並んでいる。昨今の行き過ぎた安全志向の波に逆行するかのように、そのどれもが金属製の巨大な作りだ。あんなもの、都内にあったらクレームの嵐にしかならないだろう。特にあれ、いくつもの立方体を組み合わせたかのような構造をしたアスレチック。やれうちの子が怪我をしただの、あんなものがあって危険だとは思わないのかだの。今頃役場の電話はひっきりなしに鳴り響いていることだろう。本当に問題なのは、自分の子供の管理すらできない自分たちの不始末だと言うのに。

「…………うっ……」

 ぼうっと思考を展開し続ける私の頬を、一筋のそよ風がなでる。さすがは夕方、肌寒い。こんなことになるなら、缶コーヒーの一つでも買ってきていれば良かった。あれは優秀な飲み物だ。飲めば体が温まるのは当然のこととして、飲まずにポケットに忍ばせていてもカイロとして役に立つ。あんな偉大な飲み物を発明したのは一体どこの誰なのか。今からでもそいつにあって、感謝の言葉を述べたい気分だ。尤もそんなことは不可能だし、そもそも今の私の手の中には肝心の缶コーヒーがないのだが。嗚呼、どこかに自販機はないものか――

 がこんっ。

「……んっ?」

 唐突な物音。弾かれたように振り返る。何だ今のは。まるで大きな鉄の塊でも落っこちてきたみたいな音だった。そう。大きくて、中身に沢山品物を抱え込んだ、自動販売機みたいな機械でも落ちてきたみたいな。

「…………自販機……だ…………」

 振り返った先。まだまだ蕾も出来ていない大きな桜の木の下に、それはあった。

「…………あんな所に……?」

 あまりにミスマッチなその光景が、逆にすっぽりはまり込んで違和感を覆い隠してしまいそうなくらいには、堂々と立っていた。


「…………」

 自販機だ。

「………………」

 見れば見るほど、自販機だ。

「…………う~ん……?」

 どこをどう切り取っても、完璧すぎるくらいに完璧に自販機だ。

 だからこそ。

「……変じゃない? これ……」

 そう思わざるを得ないのだ。

 近づいてみれば耳を澄ますでもなく、内部で保温装置の稼働する耳慣れた唸り声が聞こえるし、透明な樹脂製の窓の向こうでは、白っぽい照明に彩られた数々の飲料品のサンプルが三段、仲良く整列している何時もの光景に出迎えられる。それら与呼び出すための各種ボタンも健在で、端から点灯しては消えていく独特のパターンで私に指示を出し、なにがしかの飲み物を買わせようと仕向けてくる。

 完全にしっかりと、稼働していることは間違いない。しかし。

「……コンセントが……どこにもない……?」

 そう。裏に回ってみても屈んで足元を見てみても、どこにもケーブルらしきものが繋がっている形跡が見えないのだ。もしや内臓電源だけで動く構造なのかと勘繰ってみたが、普通に考えてあり得ないだろう。なにせ24時間365日フル稼働する前提の機械なのだ。定期的にスタッフが管理にやって来ることを考えても、流石に非現実的なようにしか感じられない。無論私の勉強不足の可能性も否めないが、少なくとも、こんな片田舎の公園の中にそんなハイテク・ベンダーなんて置いてあるわけがないだろう。

「だとしたらコイツ……どうやって動いてるんだ……?」

 疑問は尽きない。と言うかそもそも、これはホントに自動販売機なのか?もしかして、ドッキリか何かの企画で、私を騙すためにここに設置された装置とかではないのか?そうだとしたら先の物音の説明もつく。あれは企画側のミスだった。本来なら、もっと静かに置いて逃げなければならなかった。そう考えることが出来る。

「…………」

 試してみるか。真っ赤な装置を前に、私の闘争心も闘牛もかくやと燃え上がる。ポケットの財布から百何十円かを取り出し、投入。じゃりんじゃりんと子気味良い物音を立てて小銭が吸い込まれていく。さて、どうなる。

「……やっぱり、反応はするんだ……」

 つい先ほどまでランダムな点灯信号を放っていただけのボタンが一斉に緑色に輝く。購入可能商品を表すサインだ。これが出るということは、少なくともこの中の飲み物を手に入れる権利が私にはあるということだ。最上段には最も大きな500mlのジュースが並んでいる。緑茶にオレンジジュースに炭酸飲料。無難なラインナップだ。どれも見たことのない商品名だが、多分大手以外のブランド品を使って経費を減らしているのだろう。よくあることだ。

 その下の段には少し小さな250mlペットボトルが用意されている。中身は大体、上と同じだ。しかし小さい分融通が利くのかよくわからない飲み物も散見される。おしるこ缶にメロンソーダ、振って砕いて飲むゼリー飲料等々。たまに買ってみるには良いかも知れないが、普段は絶対に買うことのなさそうなものばかりだ。面白いから許す。

「……あった……!」

 そして、最下段。そこに私の求めるものがある。185mlのコーヒー缶だ。温かいものと冷たいもの。どちらも揃っている。やはり見たことない名称だが確かにコーヒーではある。ブラックと、微糖と、カフェオレと、何やらプレミアムな奴と。各種ラインアップは完璧だ。あとは、私がどれを選ぶかのみ。

「…………」

 迷いはしたが、答えは決まっている。しっかりと人差し指を立て、目当ての商品のボタンを押し込む。

 ――バキッ!

「!?」

 その音が響いたのはちょうどそのときだった。私がボタンを押した瞬間。まるでそれが何かの合図であったかのように、それは起こった。

「何……え、枝……が……?」

 落ちてきたのだ。目の前の桜の木から、太い枝が一つ。

 砂埃をあげる大地に目を凝らしてみれば確かに、一本の枝がそこにある。枝とは言ったがその表現が適切なのかどうか考えさせられるくらいには大きく立派である。太い一本から分岐して、無数の細い枝を生やしている。さながら年老いた鹿の角。あんな立派なものが、何故、突然。これもドッキリの演目か?

「…………腐ってたのかな……?」

 見上げる先の樹木には、見るも無残な枝の断片が見て取れる。あれが人間だったら血が噴き出して大変なことになっているところだ。あれは木なのだから、これから樹液が漏れ出してくるのだろうか。

「……あ、そうだ、コーヒー……!」

 目の前で起こった事態に気を取られて忘れるところだった。慌てて自販機の取り出し口に手を伸ばす。学生にとっての百円は大金だ。決して無駄にはできない。

「熱……っ」

 品物は無事確保できた。予想外に熱を持った缶をブレザーに押し込む。目的はこれで達した。不気味なことばかり起きるので、正直全く心が落ち着かないのだが仕方ない。これを持って、早いところこの公園を退散しよう。

 ベンチに置いてきた鞄を取りに戻ろうと踵を返す。そのタイミングでもやはり、事態は進行していくようで。

「公園、公園ッ!!」

 敷地の外からけたたましい少年の声が飛び込んでくる。

「クマちゃんが待ってるッ! 探しに行かないとッ!!」

「…………?」

 年のころは幼稚園生だろうか。必死の形相でこちらに向かてやって来る、一人の少年がそこにいた。


「ねえ……クマちゃんて、なんのこと?」

「うん……」

 公園内をひとしきり走り回り、植木や遊具の辺りを執拗に調べまわっていた少年の姿を見かねた私は、彼をベンチに座らせて、話を聞いて見ることにした。とはいえ、おおよその事情は推測出来ているのだが。

「クマちゃんはね……ぬいぐるみさんなの。 ……僕の友達。 ずっと一緒だった」

 ぽつり。ぽつり。呟くように放たれる言葉に先ほどまでの威勢はない。推測が、確信に変わる。

「でもね……僕が公園に行ったとき、置いてきちゃったの……。 もどって探したけど、どこにもいなかった……。 お母さんは新しいクマちゃんを買ってくれるって言ってたけど、そんなのおかしいよね? ……クマちゃんは、クマちゃんだけだもん……!」

「そうか……そうだったんだね」

 子供にはよくあることだろう。遊びに夢中になるあまり、持ってきた玩具や上着やなんかを公園に忘れてきてしまうようなことは。そうしてそのまま、元の持ち主の元に帰らぬまま、処分されてしまうこともあるだろう。或いは、他の子が持ち去ってしまうようなことも。

 この子も多分、心の奥底では理解できているのだ。『クマちゃん』にはもう会えないと分かっているのだ。それでも諦めきれなくて、大切な友達を見つけ出したくて、この公園に通い続けているのだろう。痛ましいことだ。だが、どうすることもできない。

「僕のせいなんだ……僕のせいでクマちゃんは……クマちゃんは……!」

「ボク……」

 ベンチから離れ、少年の前に向き直る。地面に膝を立てるような姿勢になって目線を合わせれば、涙をためた両の瞳が夕方の日差しを受けとめ、力なく輝いていた。慎重に言葉を選び、言葉を紡ぐ。

「クマちゃんは……クマちゃんは多分、もう帰っては来ないよ。 ……悲しいけど仕方ないよ……。 クマちゃんも、いつまでも自分のために君が大変な思いをすることは望んでないと思うよ? ……だから、さ。 君も早く前を向いて、クマちゃんの分も頑張って生きて行こう――」

「そんなの嫌だッ!」

 少年が叫んだ。予想外の声量に声が詰まる。黙った私の代わりだと言わんばかりに、少年の叫びは止まることなく公園に響き渡る。

「クマちゃんは僕の友達なんだッ! ずうっと一緒だったんだッ! ……ずっとずっと、僕の大事な友達なんだッ!! 絶対っ! クマちゃんに会いたいんだッ!!」

「そんなこと――!」

 そんなこと、無理に決まってる。大人げなくそう叫びそうになる私を制したのは、目の前の少年でもなく、ましてこの場にいないこの子の親御さんでもなかった。

 ――バキバキバキィッ!!

「…………えっ……?」

「わ……っ……!」

 桜の木だ。自販機の真後ろにあったあの桜の木が、激しい悲鳴を上げながら崩れたのだ。さっき落下した枝など比べ物にならない被害だ。まるで雷の直撃でも受けたかのように、木が真っ二つになっている。

「…………な……何…………? ……あっ、ボク。 大丈夫だった?」

「う……うん……平気……」

 髪を押さえて立ち上がってから、慌てて少年の方に向き直る。呆気にとられて呆然としてはいるが、どうやら本当に無傷そうだ。ひとまず胸をなでおろす。なでおろしてから、気付く。

「…………どうしたの……?」

 少年の様子がおかしことに。崩れた樹木を一心に見つめる表情は真剣そのもの。小さく空いたままの口はそのまま動くことがない。肩が震えている気がする。どう見ても、普通じゃない。

「ねえどうしたの? 本当に大丈夫……?」

「わああああっ!!」

 不安になって問いただした瞬間、少年は弾かれたように走り出した。未だ土埃の舞う、折れた桜に目掛けて一直線に。まるでそこに、何か重要なものでも見つけたみたいに。

「どうし――!」

「クマちゃんだあッ!」

 追いかけるべきか、一瞬迷ったその瞬間、再びの少年の叫びが私を遮る。何を言っているんだ? 理解が全く追いつかない。とにかく走る。走って、少年の元を目指す。

「ねえ! 今度は何!? どうしたの……」

「クマちゃんだよッ! おねえちゃん!」

 少年はしゃがんでいた。木の幹の辺りにしゃがんで、何かを手にしてはしゃいでいた。

「え――」

「クマちゃんだッ! 絶対そうだよ、僕の名前が書いてある! ほら、ママが書いてくれた、僕の名前!!」

 少年が掲げて見せてくれたのは、彼が両手で抱えてようやく持てるくらいには大きなテディベアだった。胸元にはギンガムチェックの蝶ネクタイを締め、泥だらけのこの状態からでも分かるくらいには鮮やかなオレンジの毛並みを湛えた大きなクマのぬいぐるみ。

「それ……それが、そんなところに……?」

 ありえない。こんな、分かり易い場所に? さっき私もここに来たのに気付けなかったとでも言うつもりか?自販機を調べるために、あれほど色々見て回ったというのに――

「――あぁ。 そうか……。 そうなんだ……」

「……おねえちゃん?」

 突如閃いた。そういうことか。理解できたから、私はこの少年に笑顔を向けることが出来た。

「……どうしたの?」

「うん。 気にしないで。 それより見せてよ。 そのクマちゃん」

 少年から受け取ったぬいぐるみ。お尻の辺りのタグには確かに、細くてきれいな文字が記されていた。

「……『裕太ゆうた』。 裕太君か。 それが名前?」

「うん」

「そっか……。 ありがと、裕太君」

 私は言永ことながひかり、よろしくね。少年にぬいぐるみを返しつつ、言葉を続ける。今度こそは、何にも遮られずに済みそうだ。

「今度はなくしちゃダメだよ? だいじな、お友達のこと」

「うん!」

 ポケットの中のコーヒーは冷めてしまった。

 しかし、もっと温かくて大切なものが目の前にある。それだけで、この肌寒さなんて何てことはない。

「……おうち、帰った方が良いよ? お母さん心配してるから」

 どこか満ち足りたものを感じつつ、私はもう一度、大きく微笑んだ。


 その後まもなく、件の公園の桜は切り倒されて完全に撤去された。この公園が出来たときに植えられた木で、桜の樹木としては大往生だったらしい。

 きっとあの木は見てきたのだろう。この町の子供たちのことを。あの公園で遊ぶ子供たちの姿を。もしかしたらそこには幼い私が含まれていたのかもしれない。クマちゃんを抱えた裕太少年のことも、きっと。

「……樹木的には、まだまだ私もちびっ子ってことかな……?」

 最後の最後まで心配をかけさせてしまった。あの木にとって、これは幸福な最期だったのか。最後に残った命の力を人のために使って果てるなんて。そんなことが、本当に。

 そんなことは私にはわからない。でも一つだけわかっていることはある。

「ありがとう……今まで、本当に」

 公園に遊びに行くことがなくなっても。公園のことを思い出さなくなっても。

 あの公園はずっと、私達のことを想い続けてくれていたのだ。

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