第2話 何を!?
もう昔のことだ。たしか……17、いや18年前くらいだったかな。俺も警官になって新人から毛が生えた程度の、ああ丁度お前くらいの歳だったかな。
昼間は春めき始めてるけど、夜はまだまだ寒さの残る頃だったよ。交番勤務の俺はその日、夜勤でさ、駅前だから酔っぱらいの世話とか駅員じゃないのに乗り換えの案内とか、まあいつも通りの雑務をパトロールの合間にしてたわけよ。その忙しさも終電までだな。夜中の25時を超えてくると、人もいなくなって駅も閉まり、街がシンとするんだ。それから少し経った頃だったかな。シャッターの閉まった駅の改札口に小さな子がぽつんと佇んでんだよ。小学校低学年くらいの女の子だったか──駅員の窓口とか、券売機とか、乗換表とかを見上げながらウロウロな。
俺は「こんな夜更けに迷子かな」と思って、交番から出てその子のもとに行って話しかけたのさ。「お嬢さん大丈夫? パパやママは?」ってな。 ……妙な子供だったよ。まるで寝巻きのようなダルダルの服装で、リュックサック背負って人形の、いや、ぬいぐるみの頭をぴょこんと出した可愛らしい姿だった。大福みたいな猫みたいなデザインのキャラクターぬいぐるみだったかな、まあいいか。
もう終電すぎて電車には乗れないことを言うと、みるみるうちに女の子の顔が曇って瞳に涙が溢れてきたから、俺もてんてこまい。なんとか、泣き出さないように話しかけながら交番まで誘導してさ。深夜パトロールに出かけた先輩の帰りを死ぬほど待ちわびたのは後にも先にもきっとあのときだけだったなあ。
それから、女の子に色々質問したんだよ。名前は、親御さんは、どこに住んでるの、電話番号は。全部、口を開いてくれなくてな。唯一、訊き出せたのはこれからどこに向かおうとしたのかくらいだった。彼女いわく、おばあちゃんの家に行こうとしてたらしい。こんな夜更けにおかしな話だろ? 俺は何も教えてくれない彼女から聞き出すのを諦めて、持ってた荷物から身元がわからないか確認することにしたんだ。
そしたら、なーんにも出てきやしないでやんの。リュックの名札も抜かれてるし、財布には小銭と何かのレシート、あとは一抱えほどある大きさのぬいぐるみのひとつだけ。普通の家庭だったら、子供が出かける時に何か身元がわかるものとか緊急連絡先くらいは持たせておくもんだろう。今みたいにキッズケータイなんかある時代でもなし。
もうこうなったら、きな臭い何かを感じるよな。小さな女の子が夜中にひとり、保護しようにも名前も言わない、家にも帰りたくない、不自然なほど持ち物から身元確認すらできないってなっちまうとさあ……。
もうこうなると本部に連絡をするしかなくて、詳細を伝えたら警察署で一時保護するってんで、そのうち応援が来ることが決まってよ。俺は、ようやく一息つけたってわけだ。彼女も忙しそうにしてる俺をぼーっと見ながら、悲しかったことも収まったようで普通の表情に戻っててな。
そこから、少しずつ心を開いてもらうように彼女と他愛のない会話をしてさ。麦茶しかないことにも文句すら言わずにな。相変わらず、身元に繋がることにはダンマリだったけど、普通の会話ならしてくれたことが救いだったよ。よくわからなかったが、ぬいぐるみは特別大事だったようで、そのキャラクターについてはすごい話してくれてさ。今まで思い詰めたような顔だったのが、本来の子供らしいキラキラした笑顔になっていったときは俺も嬉しかったね。
そんな穏やかな時間を少し過ごしたあと、先輩が帰ってきたんだよ。いやあ、待ちわびたね。ホントに。
でもさ、なんか緊張してるというか少し怖い顔で帰ってきててさ、定期報告を聞いていると、どうやら隣り町で火災があったようで色々と向こうの交番とやり取りをしてたらしいんだ。それで、どうしてかイスに座ってぼんやりしている女の子に聞こえないように声を落としてこう言うんだ。
「その火事があった家は異様に火の回りが早くて、鎮火しても全焼は確定だそうだ。救急隊の報告によると寝室から仏さんが二体のみ発見。近隣の人によると三人家族が住んでいること、そして子供は小学三年生で八歳の女の子──丁度あのくらいの背格好の」
バレないように顎でクイッと彼女を指し示す先輩。
刑事の勘……ああ、あの頃は一介の巡査か。まあいいや、その勘が的中したってわけだな。きっと彼女には何かある、それも俺はすごい嫌なこと、失礼なこと、恐ろしいことを想像してしまっている。その疑念を払拭したいが、大事なことにはダンマリな彼女。 ──だけどな、どういう事情があるにしろ相手は小さな女の子なんだ。まずは安心感を与えてやりたいと俺は思ってさ、それから応援のパトカーが来るまでひたすら話し相手になってあげたのよ。お世辞にもキレイとは言い難い、使い古した毛並みのぬいぐるみでも、ずっと抱き締めて離さなくてさ。
いつしか俺のことを「おにいさん」って呼んでくれたのは嬉しかったなあ。……少しは心を許してもらえたのかなってな。
そんで、パトカーが来て見知ったベテランの女性警官が降りてきたんだよ。俺は挨拶をして、彼女を引き取ってもらおうと色々と情報交換をしていたんだが、そのときにベテランさんが「明日には、児相──児童相談所の職員のことな──が保護しに来るから、今夜は警察署預かりで」ということをうっかり聞いたんだろうな、女の子がすごく動揺したような青ざめた顔になって急にパニックを起こし始めてさ……尋常じゃなかったね、アレは。
今までの和やかな空気が一変よ。ベテランさんを敵認定したように幼いながらも殺意を剥き出しにして、今にも飛びかかるか、あるいは交番から逃げ出そうとする雰囲気でな。
あのときは俺も気が動転してて、つい咄嗟に彼女に抱き締めてしまったんだよ。怖くない、怖くないってなだめながらな。最初はジタバタ暴れていたけど、抵抗しても無意味だと思ったのか次第に落ち着いてきて話が出来るくらいにまで戻っていったんだよ。いやあ、あのときは緊張したなあ。
もう完全に敵はベテランさん、味方は俺みたいな線引きなってしまったようで俺のそばから離れないでやんの。警察署で保護しなきゃいけない。しかし、引き渡し役のベテランさんと一緒にいたくない、さてどうするってなって、結局は俺が一晩だけベテランさんと臨時で勤務を交代したわけなんだわ。
一緒に着いてきてた運転役の警官に事情を説明して、俺と女の子を後部座席に乗せて出発したわけだ。大冒険したり、暴れ疲れたりしたんだろうな、暗くて静かな車内で気付いたら寝息を立てていてさ。その小さな小学生の肩に何が乗っかっているのか、俺には想像もできなかったよ……。
彼女が寝て、完全に俺と運転する警官だけの空間になったとき、ふいにポツリと零した内容があってな。警官ってのは仕事柄、児相の人らともある程度面識があって、色々と情報が流れてくるんだよ。そしたら、あの今晩全焼した家もよく児相の世話になるような問題のある家らしくてな。いつかこうなる日が来るかもしれないと、ずっと心配していたと、警官が悔しそうに諦めたように零しててさ。
彼女の家族、外面はごく普通の親を演じてるようで、児相も少女が何かで保護されるたびに訪問とかしてたんだが、毎回決まってお咎めなしだったそうだ。まあ見た目は少し過去にヤンチャしてそうな風貌だったみたいだがな。難儀なもんだよ、まったく。
ずっと、彼女は小学生の身で、独りぼっちのまま、何かと戦ってたんだろうなあ……。俺は無垢な表情でよだれ垂らしながら寝てる彼女を見て、心が重く苦しくなったのを今でも覚えているんだ。
長い夜だった。断続的に流れ続ける街頭の明かりが寂しくて、カーブを曲がるときに速度をかなり落としてくれる警官の優しさに触れて、細っこい腕に抱かれたぬいぐるみの汚さが痛々しくてな……。長い夜だったよ────
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