Chapter.4 ラブ味

「今日は、植芝さんのお肉を削ぎ落したいと思います!」


 カキン、カキン、カキンと、金属のぶつかり合う音が響く。後ろ手にガーゼで縛られ、足首もガーゼで縛られ、口には猿轡をされ、あたしと植芝さんは家庭科室で拘束されていた。


 金属音は包丁と包丁がぶつかり合う音。その少女――樋口ひぐち萌々香ももかは右手に牛刀、左手に出刃包丁を持って立っている。あたしたちのクラスメイトであり、あたしたちをふん縛った張本人だ。


「どうしてこんなことするんですかー?」


「私はともかく、志目さんは食べてもおいしくないですよ」 


 右側だけをワンサイドアップにした樋口さんの頭に言葉を投げる。聞いてくれているのかいないのか、彼女はお気に入りのぬいぐるみを抱いているかのようにニコニコしていた。


 どうやら、植芝さんを食べているところを見られていたようだ。カキン、カキンする手を止め、樋口さんはこちらを見る。


「わたしの料理をマトモの域に持っていくためには、わたしの将来の安定のためには、どうしても植芝さんのお肉が必要なの。――だからお願い、植芝さんを削ぎ落させて!」


 ブチっ!という、布の千切れる音がする。横を見ると、切れたガーゼが床に転がっていて、植芝さんがスクっと立ち上がっていた。


「こんな事をしなくても、私のお肉ならいくらでも分けてあげます。だから、私と志目さんを解放してください!」



※ ※ ※



 市役所の裏にある『包々軒ほうほうけん』といえば、創業八十年、地元では有名な中華料理店だった。いわゆる町中華というやつで、外観はくたびれているし、内装もボロボロなのだが、提供されるラーメンと天津飯は絶品だった。


 で、クラスメイトの樋口さんは、この店の四代目になる予定だった。


 予定ではあるのだが――。


「ぶおぉ!」


 あまりの味に身体が拒絶し、思わずスープを吐き出してしまう。隣に立つ植芝さんも全く同じリアクションを示した。


「そうかぁ。やっぱり、そういう反応になっちゃうかぁ」


 あたしたちの様子を見て、しょんぼりした顔を見せる樋口さん。頭は下方四十五度に下がり、眉毛はK点越えのジャンプを叩き出せそうなほどにもっと下がる。


 彼女が試飲させてくれた中華スープは不味かった。ちょっと尋常じゃないくらいに不味かった。ユンカースによる爆撃の跡地、解除失敗で爆発した部屋、封じられた巨人の目覚めにより消滅した都市、――そんなイメージを想起させる、壊滅的な不味さだった。


 調理の様子は眺めていた。特に変わった食材を入れた様子もないし、料理手順も特に変哲はなかった。

――それなのに、どうしてこんな味になるのだろうか。


「どうしよう、あと二週間しかないのに……。このままじゃ、わたしの代でお店が潰れちゃうよぉ!」


 半ベソをかき、半ば叫ぶように懇願する樋口さん。土曜日午後の家庭科室に、その声が響く。


 市役所近くの中央公園には結構広めの駐車場があって、二週間後、そこに市内の飲食店が集まって出店を開くことになっている。まあ、よくある催し物だ。


 樋口さんの実家の『包々軒』も参加をし、そこでの調理は彼女が担当する。


 提供する料理が大不評だったからといって、歴史と評価のある『包々軒』が潰れたりはしないだろうし、樋口さんが跡継ぎの座から即座に追放されるわけでもないだろう。


 ――でも、先行きは確実に不安になるよなぁ。


「お願い植芝さん、後生だから力を貸して!」


 深々と頭を下げる樋口さん。右側に束ねた髪が馬の尻尾のように揺れる。


 植芝さんはその姿を瞬きもせず真っ直ぐ見据え、中華スープが半分ほど残った湯呑をコトリとテーブルに置いた。


「構いませんよ」破顔する植芝さん。「先程も申しましたが、私のお肉なら好きなだけ作ってください」


 時刻は四時の十五分過ぎ。昼食も程よく消化して、そろそろ小腹も空いてくる時間だ。


 笑顔を維持したまま、植芝さんは言葉を続けた。


「私の身体は地球の皆様に食べていただくためにあります。私はそのために、この地球にやってきたのですから」



※ ※ ※



「うん、美味い!」


「美味しいですね!」


「ふぉっ、格段にレベルが上がってる!」


 植芝さんの背中に触れる程度に包丁の刃を当て、首筋から臀部に掛けて素早く走らせる。そうして採取した向こう側が見えそうなほどの薄い肉を、先ほど樋口さんが作った中華スープの鍋にサッとくぐらせる。たったそれだけの作業で、劇物だったものは食事へと姿を変えた。


「これで、二週間後の出店は安心ですね」


 スライスのために脱いでもらったブラウスを着ながら、植芝さんが微笑む。


 が、樋口さんは考え込んだ顔をしていた。


「何か気になることがあるの?」


「うーん……」


 樋口さんは唇に指を添える。


「うちの出してる中華そばのスープは、もうちょっと塩辛いかな」


「塩辛い……ですか?」


「うん。本当に『気持ち』くらいなんだけど」


 あたしは植芝さんの顔を見る。


「植芝さん、身体をしょっぱく変えられない?」


「体調や精神状態によって身体の味は変わります(昨日も言いましたね)。――ただ、どういうメンタルの時にどういう味になるのかはわからなくて……」


「なら、研究しよう!」


 植芝さんの両手を胸の位置まで持ち上げ、自分の左右の手で包むように掴む。


「二週間後までに、包々軒の味に近くなるように!」


 その日から、あたしたち三人の植芝さんをしょっぱくするためのトライ&エラーが始まった。



※ ※ ※



 以降は、その研究の結果である。



【実験1】


 多頭飼いしている飼い主さんが複数の猫に身を寄せられ、埋もれて幸せそうにしている動画を植芝さんに見せた後で、一切心を許さない孤高の野良猫と接触させ、嫌われてもらうことで落差により悲しくなってもらう。


【結果】


 塩辛くなり過ぎた。まるで相撲の取り組みの際、土俵に撒くはずの塩をそのまま全て口に突っ込んだ時のようである。



【実験2】


 形のいい植芝さんの鼻を洗濯バサミで挟み、さらにそのうえで鼻の下にワサビを塗りたくる。


【結果】


 ワサビに引っ張られたのか、口に含んだ瞬間に鋭くツンと鼻尖を刺激し、引いた後には心地よい微かな辛味の残る味となる。たっぷりと脂ののったトロと合わせたいところだ。



【実験3】


 植芝さんに水着を着させ、大きな浮き輪を身に着けてもらう。背後に『アイスキャンディー』と書かれた幟を立て、サブスクで波の音を探して流す。海のしょっぱさをイメージさせる作戦。


【結果】


 スイカの味になる。瑞々しさの中に自然な甘み。糖度はばつぐんだ。



【実験4】


 直球に、植芝さんを塩漬けにしてみる。


【結果】


 植芝さんから水分が抜け、パサパサになってしまった。



「むむう、上手くいかないもんだねえ……」


 植芝さんを良い感じの塩辛さにするため、あたしと植芝さん、樋口さんの三人は放課後、家庭科室に集まるのが日課になっていた。


 結果は芳しくない。


 出店の日まで残り十日間。何とかするためのアイデアを出さなければならない。


 というわけで、ブレストはキャンパスノートとボールペンに限る。あたしは一番端の席に着き、浮かんだ思考の断片を広げたノートに書き殴っていた。


「志目さん、何してるの?」


 手をハンカチで拭いながら、エプロン姿の樋口さんがノートを覗き込んでくる。彼女は先程まで『ヤクザの情婦が若いのと恋に落ちて駆け落ちするが、追っ手に捕まり二人で非業の死を遂げる様を歌った演歌を聴かせる』作戦を取っていたが、どうやら植芝さんは望んだ味になってくれなかったようだ。


「関内、石川町、山手、根岸、磯子、新杉田、洋光台……。なにこれ?」


 ノートに並ぶ文字列を見て、首を傾げる樋口さん。


「思いついた言葉を書き殴ってるんだよ。頭の中に溜め込んでいても進展しないし、こうして並べていくとインスピレーション湧くかなって」


「そうなんだ。……あ、これは?」


 雑多に単語が並ぶ右ページと打って変わり、左ページにはイラストが並んでいる。


 あたしには考え事をしている時とか、暇な時とか、ただ単純にお腹が空いている時とかに、食べ物を描く癖があった。カツ丼、ざる蕎麦、天津飯。シュウマイ、ピッツァ、たらこスパ。どれも出棺の際、棺桶の中に詰めるだけ詰めてほしいお気に入りたちで、膨らんで宙に浮けそうなほど胃袋に押し込んだって痛くない推したちだ。


「志目さんって絵が上手いんだね。……お、これは植芝さん?」


 碁盤目状に整列している、あたしの描いた料理の絵。そのイラスト群を順に追っていくと、いつの間にか植芝さんを描いた絵に切り替わっている。オムライスにされた植芝さん。肉まんにされている植芝さん。フルーツパフェにされている植芝さん。鍋焼きうどんにされている植芝さん。


 無意識だった。完全に自動書記で描いていた。


「志目さんは、植芝さんのことが好きなんだね」


 ――好きなんだね。


 Tシャツの襟元を引っ張られ、背中に裁縫針を落とされる悪戯をされたような感じ。迂闊に微塵も動けなくなる感覚が襲って、あたしは一瞬、ほんの一瞬だけピタリと静止した。


「……うん。植芝さんのことは、美味しいって思ってるよ」


「だよね。植芝さんが美味しくて、本当に救われてるよ」


 可愛いからキーホルダーが好き。フカフカだからぬいぐるみが好き。サビの部分で盛り上がるからあの曲を聴くのは好き。――樋口さんの言った「好き」が、そういう意味で助かった。



 ――助かる? 助かるって何だ?



「樋口さーん、用意出来ましたよー!」


 家庭科室の少し離れた位置から、植芝さんの声が飛んできた。どうやら【実験12】RPGでラスボス直前まで行ったところで強装備の存在(攻略済みで再侵入不可となったダンジョン内にある)を教える――の準備が整ったようだった。


「オッケー! すぐ行くよ!」


 あたしの元を離れ、樋口さんが植芝さんの方に駆けていく。


 この落書きは人に見られちゃいけないと何だか急に感じられ、あたしは机上に広げたキャンパスノートをパタリと閉じた。



※ ※ ※



【実験38】

 映画『時をかける少女』(細田版)を見せる。ただし、踏切の前で千昭が姿を消した直後に再生を止め、その先を絶対に見せない。



「これだ! うちで出してるスープと全く同じだよ!」


 味見皿から口を離し、嬉しそうに叫ぶ樋口さん。実験は成功したようだった。


「ありがとう、植芝さん! それに志目さんも!」


「おめでとう、樋口さん。出店の二日前、ギリギリだったね」


 左手であたしと、右手で植芝さんと握手を交わし、両方を勢いよくブンブンと上下に振る樋口さん。



 ちなみに未来の話。この後、あたしたちが植芝さんに『時かけ』の続きを見せることはなかった。だから植芝さんの中で『時かけ』は、真琴と千昭があのままお別れをして終わる悲しいお話となっている。


 さらにちなみに、参考までにと大林版の『時かけ』も視聴させてみた。フルーツやチョコレートがたっぷりの、見るからに甘味という感じのパフェを食べてみたら、宇宙についての小難しい解説を聞かされている時のような味がした。そういう感じの味になった。

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