Chapter.3 人類殲滅のテーマ

「全く姉ちゃんも傍若無人だなあ。あたしにだって都合ってものがあるのに」


「都合って何さ? マサカリ担いでジビエ鍋用の熊でも狩りに行くの?」


「学校だよ、学校。女子高生は朝になったら学校に行くの」


 レアチーズケーキになった植芝さんを食べる夢を見て、起きていの一番に「何か変な夢だったなあ」と思って、顔洗ってご飯食べて歯を磨いて、制服に着替えて家を出る。


 姉からの電話が掛かってきたのは、その登校中のことだった。授業開始までそんなに時間もないし、相手をするのも面倒臭いなと思ったけれど、結局、通り道の公園に寄って緑の受話器ボタンを押した。


「でさ――」


「お母さんの予定でしょ。今週土曜の午後はフラワーアレンジメントの集まりだよ」


 五つ上の姉は目下、母との戦争が原因で家出中(一ヶ月目)。現在は恋人の家に転がり込んでいるのだが、開戦の理由は母が交際を認めなかったからだ。公認を勝ち取るための同居スト、恋愛戦士レジスタンス。


「情報ありがと! じゃあ、その日に荷物取りにまた家に帰るから、母さんが返ってこないか見張りよろしく」


 自分の用事が済んだので「今すぐゲーム機の電源を切れ、OVER!」と言って、姉は一方的に電話を切った。いつも通り、勝手で自由な人だ。


 ベンチから足を放り出し、昨日とは打って変わって抜けるように晴れた空を見上げる。池を出て散歩する亀の速度で、二つの雲がゆっくりと駆けっこをしていた。


 姉とはお気に入りの服を取替っこするくらい仲良しだけれど、家出した彼女の振る舞いに共感するところは今のところない。あそこまで人間というものに、恋愛感情を抱いたことがないからだ。


 多分、あたしが今までに体験をしたことのある「好き」は、ランドセルにその時気に入っているキャラクターをぶら下げて歩く程度の「好き」なのだ。


 誰かと衝突をしてでも、これまで暮らしてきた環境を変えてでも、貫いていたい「好き」がいつかあたしにも到来するのだろうか。スニーカーの底を地面にギュッと押し付ける。横にスライドさせると、ザザっと砂の擦れる音がした。



※ ※ ※



「昨日ね、植芝さんを食べる夢を見たよ。夢の中であたしの胃袋のログハウスに入ったら。そこは寂れたカフェで植芝さんが働いていて、注文をすると紅茶と植芝さんの腕のレアチーズケーキを出してくれたんだ」


「そうですか。……美味しかったですか?」


「なんか、……お腹の中で流し込んだ植芝さんが胃の中で楽しそうにしていて、このまま野放しにすると、あたし自身が植芝さんになっちゃうんじゃないかって感じの、そんな感じの美味しさだった」


「本懐です。志目さんを侵略第一号に選べて良かったです」


 パチパチパチと両手の指先で拍手して、笑顔を見せる植芝さん。吹奏楽部の音合わせが降ってくる校舎裏に、コンクリに背中を預けてあたしと彼女は居た。


「ねえ、やっぱり本当に、植芝さんが美味しいと人類は滅ぶの?」


「はい。滅びます。それはもう確実に」


 足元、陽当たりの悪い地面を歩くダンゴムシ。六月は夕方もかなり長くなって、日中の熱気が引いた空気が半袖の肘に当たって心地良い。


「でも、どうやって? お腹が満たされるだけで具合悪くなったりしないよ」


 植芝さんは笑顔を絶やさないでいる。歌のお姉さんが子供に話すように答えた。


「あたしたちガニメデのリィチ族は、まず、飢餓の起きそうな民族を見つけます」


「どうやって?」


「うーん、どうやってと聞かれても困りますね……。昆虫が触覚でエサや外敵の存在を把握するみたいに……でしょうか」


 わかるような、わからないような。あんまり説明になってないような。


「それで飢饉の予兆のある惑星に行って、『はい召し上がれ』と身体を差し出します。彼らは最初は遠巻きに警戒しますが、途轍もなくお腹が空いているので、最終的には私を食べます。すると彼らは――例えばヘッポポ族だったとしたら、私を摂取し続けると、ゆくゆくはヘッポポ族ではなくリィチ族になってしまいます」


「マジで! それってヤバいやつじゃん!」


 びっくりして、あたしは両手の平を開いてそこを見る。


「あたし、人間じゃなくなっちゃうの? 角とか生えてきたり? 肌とか赤色になったり?」


 あたしのリアクションに植芝さんは目を細め、手を添えて歪む口元を隠す。


「そんなこと起こりませんよ。ほら、私を見てください」


 言われて、視線を向ける。――なるほど、目の前にいる植芝さん(木星人)は、どこからどう見たって人間だ。


「形状に影響は与えません。私を食べてもヘッポポ族はヘッポポ族の姿をしたままですし、人類(地球人)は人類(地球人)の姿をしたままですよ」


 頭の上で、吹奏楽部が合奏を始めた。古い野球アニメの主題歌を背景に、植芝さんは説明を続ける。


「リィチ族が影響を及ぼすのは遺伝子です」そう言い、首を少し傾ける彼女。「私たちの種族には雌雄がないから交配をしませんし、種の継承に細胞分裂のような手段も取りません。ならどうするのかというと、捕食者のゲノム情報をリィチ族のものに書き換えることで、私たちは繁殖していくんです」


「……はあ、つまり――、あたしは見た目だけ人間だけれど、身体の中身はもう人間じゃないってこと?」


 いまいちピンとこなかった。身体はいつも通りの健康体で、お昼の弁当は美味しく食べられたし、三時限目の物理の時間はぐっすり眠れた。


「安心してください。志目さんはまだ、百パーセントの人間ですよ」


「まだ?」


「ゲノム情報のフォーマットは、私を経口摂取した個体数がしきい値を超えるまで実行されません。数が少ないうちに存在がバレたら、目的が果たされる前に有害種として排除されてしまいますからね。乗っ取りを企むなら、雌伏をして時が至るのを待て、です」


 うーむ。


 あたしは顎に手を添え、考え込む。


「つまり、植芝さんは悪い宇宙人ってこと?」


「地球人から見れば、侵略的外来種に当たりますね。私としては、元来持った生殖本能に従って行動しているだけなのですが……」


 まあ、最初から「人類を滅ぼしに来た」って言ってるしね。


 ……でも。


「なんだか実感が湧かないな。植芝さんが悪い奴だっていう実感。――ねえ、試してみてもいい?」


 そう言って、あたしは彼女にグイっと顔を近付ける。植芝さんの方がずっと身長が高いから、必然、ちょっとキツい爪先立ちになった。


「植芝さんを、もう一回食べてみたいな」


 あたしの瞳を覗き込み、植芝さんは一度だけ目をぱちくりさせる。


「別に構いませんけど……、それで何かわかるんですか?」


「どうだろう? ――でも、何か掴める気はする」


 あたしの要望を、植芝さんは受け入れてくれた。


 植芝さんの髪は長い。だから、普段はその首筋は隠れているわけだけれど、彼女が左手で髪を除け、その白く筋張った部分が露になる。同性だけれど、とてもドキリとした。


「いくよ」


 あたしの言葉に、植芝さんが小さく頷く。食べやすいよう、植芝さんが腰を屈めてくれる。餌を差し出された亀のように首を伸ばし、あたしは植芝さんの首筋に噛み付いた。


 栗の味がした。抑えたマロンクリームの甘さ。晴れた日によく整備された芝生の上に寝転がり、青々とした匂いを嗅ぎながら居眠りをするような、そんな感じの。


「植芝さん、今日は前と味が違うんだね」


「精神的なものでしょうか。自分ではわからないのですが、どうやら心の状態によって、私の身体の味は変わるようです」


 口を離し、ずっと浮いたままだった踵を地につける。下方にカメラが下がったあたしの視線と、首を捻ってこちらを見た植芝さんの視線がかち合う。


 心で味が変わるものなんだ――。あたしはその時はそう納得して、少し開いた口元から零れた植芝さんの吐息を嗅いだ。嚙んだ時とはまた少し違う、濃い紅のようなまた異なる香りがした。

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