第22話 終わる別世界

 それは少女の夢だった。

 悪と対峙し、苦境にくじけず、無垢なる勇気を振り絞って立ち向かっていく。

 画面の奥で燦爛さんらんと輝く魔法少女ヒロインたちに、夢見る少女は恋をした。


 いつか彼女たちのような、助けを求めるだれかを、まもる存在になりたい——


「ま、そんなの叶うワケないって、中学生で気付いたし」

「晩成型だね」


 見渡すかぎりの荒廃した大地。建物の残骸に腰かける志々芽シシメさんの格好は、学校で見る制服姿。魔法少女のコスチュームを解いて、いつものオシャレ好きな女子高生へと戻っていた。

 素顔の志々芽さんが、泣き腫らしたまぶたを擦る。ウォータープルーフのメイクが中途半端に落ちたのでクレンジングシートで拭う最中だった。化粧ポーチも手元に準備万端。涙腺は未だユルユルでも、ギャルのプライドはしっかりと揺るがない。


「そこに現れたグリモンと、魔法少女の契約を結んだわけか」

「魔法少女になれるよってわれたら、なる以外ないっしょ? 魔法少女あのこたちだって、みんなイキナシ変身しちゃうもん」

「疑ったりしなかったの? 怪しげな生き物がいきなり声かけてきたら、普通は詐欺かもって思うよね」

「だってグリモンかわいいじゃん。……てゆーかさ。契約ケーヤクとか詐欺サギとか、ユクエが話してるの前から意味不明だったし」

「んー、なるほど」


 要するに、グリモンの翻訳魔法による意訳ニュアンスの違いだった。僕には胡散臭い関西弁に聴こえているが、志々芽さんいわくギャルっぽいしゃべり方をするという。どうやら語彙力の差で誤解が生じていたらしい。当然、志々芽さんの思考処理能力でさばき切れるわけがない。


「どうりで、僕が決意表明したときの反応が鈍いと思った」

「めっちゃ理解しよーとして、マジで発狂寸前だったかんね。途中とか、お経聴かされてるのかと思ったし……。だから最後はノリでオッケーしちゃった」


 トンチンカン、とポンコツな音を立てて思考する志々芽さんが容易に思い浮かぶ。というか思い出された。馬の耳に念仏シチュのなんとなく現代版。志々芽さんの正体がウマ娘と発覚したところで、やはり多くの誤解が今回の悲劇を生み出したとわかる。


 志々芽さんにとって、魔法使いの使命は憧れたヒロインたちの活躍と同じ、過酷な中にも煌びやかな色を帯びていたよう。僕から見えていたものとは、だいぶ違う光景を眺めていた。

 叶わないはずの願いが叶い、ピュアなハートで正義の鉄拳を食らわす。彼女は彼女なりに、ミラクルな魔法少女を立派に勤め上げた。

 志々芽さんが満足するほど、願いが叶う分だけ、グリモンの目的も叶うわけで。そう考えると、シャドウが無限湧きするこの別世界パラレルワールドはボーナスステージみたいなものだったのかもしれない。

 だれも助けられない自作自演の世界で、現実に影響を及ぼさない脅威と戦う、マッチポンプ。しかしそれは、彼女にとって避けられない命運であり、まるで箱庭のセカイ系ヒロインだ。


「でも、よくなかったよね。ユクエに、すごく迷惑かけた……」

「迷惑なんて……。志々芽さんに勉強を教えるのと比べれば全然」

「言うねぇ」


 すかさずツッコむ志々芽さんの表情に、僅かに笑顔が戻る。それでいい。彼女に難しい顔や悲しい顔はまったく似合わない。


 ようやくと落ち着いた空気感が辺りを満たす。こうしてなにも残らない景色だが、そこはかとなく枯山水かれさんすいのような無常さを感じられなくもない。滅多に見られない絶景なのだから、せっかくなので目に焼きつけておこう。


 終末世界の壮大なパノラマをふたりして眺める。おもむきに感嘆したのか、志々芽さんは魂の抜けたため息をついた。


「あたし、普通の女の子に戻っちゃったなぁ……」

「未練が残ってる?」

「んーん。思わず夢が叶ったから……なんか変な感じ。でもおかげで、困っている人を本当に救える大人になりたいなーって思った」


 彼女のした選択は、魔法少女をやめること。志々芽さんが心から願えば、グリモンは契約を破棄してくれるだろう。それを叶えるのもアイツの仕事なのだから。

 覚めたら消える胡蝶の夢の出来事。だけど、希望は残った。なにも得られないはずの箱庭で、志々芽さんは、次に向かう夢をちゃんと見つけ出していた。


「きっとなれるよ。魔法少女じゃなくなっても、志々芽さんは正義のヒロインのまま。その魂に宿る勇気は、だれにも奪えやしないさ」

「ユクエ……ちょっと、カッコつけすぎじゃない?」

「まあ、旅の恥はかき捨てだからね」

「わかんないけど、意味合ってんのそれ」


 志々芽さんの記憶に残ってしまうのだから普通に間違っている。すでに引っ込みのつかないほどさらけ出した。それなら行くところまで行ってしまった方がいっそいさぎよい。中途半端が一番かっこ悪いのだ。もちろん思い出す度にワーッてなるだろうけど。

 黒歴史ノートに新たな一ページが刻まれたところで。


「そろそろ出てこいよ、グリモン」

「……なんや。気付いてたんか」


 ぽわんと、志々芽さんの肩の上に小さな珍獣が出現した。


「さんざん意味深な態度とりやがって、紛らわしい」

仕方しゃーないやん。ワイがカノンの味方にならな、ほかのだれがなるん?」


 愛玩動物のクリクリとした瞳で訴える。先入観を取り払えば、たしかに魔法少女を手助けするマスコットに相応しい可愛さかもしれない。


「……そうだな。おまえも、自分の役目を忠実に果たしただけか」

「せや。ワイの存在理由で存在価値レーゾンデートルやからな。ニイチャンもようやく、ワイのせいやないってわかってくれたんやな」

「八割がたグリモンのせいだと思ってるけど、まあ理解はしてるよ」

「人間かて、生きるためなら遠慮なしに他のいのちを食べるやろ。ワイの行動の方がよっぽどマシやと思うなぁ」


 グリモンは願望をかてとしている。その対価として不思議な力を与える——いや、願いを叶えた。本来は魔法少女に限らないのだろう。そこに善悪の垣根はなく、兵器に転用された科学技術みたいに、結局は願う者次第。今回は結果として悪い方向に転がってしまっただけだ。

 未知との遭遇。僕にとってフィクションのような出来事は、もはやそこにある現実として認識しないといけない。想像もつかない百年後の未来では、人間とコイツの共存する時代がきても不思議じゃない。願わくば、それが平穏な結果を導いてくれるといいんだけど。


「せや、預かってたお金」

「えっ?」


 グリモンが思い出したように言う。僕はけして忘れてなかったが、コイツに32,811円を奪われていたのだった。だけど預かるとは一体。

 言われるがままに両手を広げると、ホワワンとした光に包まれて僕のお札と小銭が顕現けんげんされた。

 でも、これ。


「あれ、ちょっと増えてない?」

「ニイチャンを見習ったんや。利息つけて返すで」


 ふふん、とグリモンは鼻を鳴らす。少額とはいえ2ヶ月も遊ばせておくのはたしかにもったいない。


「すごいな、どの銘柄に投資した?」

「青色のボートや」

「競艇じゃねえか! ギャンブルだろそれ!」


 どうやって買ったんだよ、と常識と照らして異次元生命体を責めても意味がない。負けたら土下座でも許さないが、結果として懐が潤ったのだから不問にす。

 ただ、の部分だけが気になった。


「なんでお金を要求したんだよ」

「ちょっとした人生のスパイスやん?」


 悪びれもせずにグリモンは答える。


「ワイはそいつの夢がわかんねん。で、だいたいの夢は叶わへん。やけどニイチャンは、自分の手で叶えようと邁進しとる——」


 グリモンの胡散臭い関西弁がお節介な響きを帯びる。


「足りてへん部分を補ったったんや。笑って死のう思ったら、ひとりじゃムリやで」

「……ちゃっかり僕の願いまで糧にしやがって」


 グリモンがかき混ぜたせいで、僕の境遇は大きく変わった。無視しようとしていた、あるいは諦めていた部分を、コイツに掘り起こされてしまった。

 目立たず生きることも、虚無な学校生活を送ることも、もう許されない。

 だから、きっと僕は以前のように生きることはないのだろう。


 少ししんみりした空気をグリモンと共有したところで、会話に参加せずメイクを終えた志々芽さんが声を掛けてくる。


「ねーグリモン、別世界ここから出られる?」

「そろそろ出よか? 目が覚めたら、朝日に包まれてすっかり元の世界、元の日にち、元の部屋や」

「それ志々芽さんがメイクした意味ある? というかグリモン、この世界線の切り替えってどうなってんの。ルールがいまいち把握できなくてさ」

「そんなもん、状況によって臨機応変やろ。魔法なんて都合のええもん使つこてんやから」

「……ふーん」


 都合のいい理屈に納得しておく。三日三晩歩き通したどこかもわからない場所で目が覚めるのは嫌だし、万が一壁の中ならゲームオーバーだ。


「ほな、ふたりにサヨナラしよか」

「えっ。グリモン、おまえ消えるのか……?」


 泣きどころみたいな展開がくる。そんなすんなりとお別れムードに持って行かれても、こちらは気持ちの整理が追いつかない。悔しいけど、僕はこの珍獣に感謝を伝えなきゃいけない気がしているのだ。

 そんな雰囲気を察してか、グリモンは、


「願いを叶えたければ、またいつでも呼んだらええやん」


 あっさりくつがえすと、


「願いは人間の持つ特権やで」


 ポワンと一瞬。あっさりと消え去った。

 余韻を残すためか、まだ余計なお節介を続けるつもりなのか。退廃した別世界パラレルワールドで、僕と志々芽さんはグリモンを見送った。


「……なんだか、後味のいい終わりだったな」

「魔法少女になる夢も叶ったし、グリモン様様だね」


 会話が止まり、ふたりでボーッと立ち尽くす。あれ、まだ戻らないのか。


「そういえば。学校祭終わったら、すぐに中間テストの時期だね」

「えっ、マジ?」


 僕たちの高校では、学校祭の数日後に中間考査が予定されている。先のカレンダーをチェックしない学生にとって初見殺しのスケジュールでも、当然僕は見逃さない。グリモンとの魔法少女契約が破棄されても、僕の抱える取引はまだ終わっておらず、志々芽さんの絶望的偏差値を赤点脱出まで引っ張り上げないといけないのだ。

 そうだ。アイツ、いつでも呼んだらええやんとか言ってたな。


「どうする、志々芽さん。またグリモンに助けてもらおっか?」

「……ううん、今回はあたし、頑張る。ユクエを見習って将来のためにガチるよ」

「そっか。じゃあ、僕も手伝うよ」


 閉鎖的で刹那的な学校生活。そこから得られるものに期待はしなかった。

 だけど、隣に立つ志々芽さんは着実に成長している。そしてたぶん、僕も。


 ゆっくりと視界が暗くなる。重い瞼がまどろみを呼び込み、僕は睡魔に吸い込まれていった。

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