第21話 魔法少女の願い

「……ねえ、志々芽シシメさん。やっぱり近くない?」

「ユクエを元気にするにはこうしろって、グリモンが」

「でも、これは流石に……」

「べつにいいじゃん。あたしも、久しぶりにユクエの顔が見れて嬉しかったし?」

「……アッ、そこはっ」

「へっ、ヘンな声出すなぁっ!」


 だれも得しない僕の吐息を聞いて、志々芽さんは両手を万力にして側頭部を締め上げてきた。


ててっ。いや志々芽さんがさっき、耳をさわぁってしたからでしょ。さわぁって」

「良いカタチしてんなーってつい」


 志々芽さんは力を緩めて、先程までと同じように僕の頭を優しく挟んだ。その手からじんわりと温かい感覚がみ込んでくる。

 この行為に名前をつけるとしたらヒーリングとかケアルとかホイミとか、そんな感じ。ここに姿のない珍獣のアドバイスによる治癒方法らしいが、たしかに効き目はバツグン。得体の知れないエネルギーがそそぎ込まれ、渇きや飢え、眠気、全身の疲労感といった僕の身体をむしばんでいたものがみるみる消えていくのを感じる。まるでヤバい薬に手を出した気分。されてみな、ぶぞ。


「ユクエさぁ、前髪あげなよ。爆弾魔に見られるよ?」

「すごい偏見。いや、でもそろそろ切ろうと思ってたところ」

「めちゃいい美容院紹介しよっか? モデルしたらタダでカットしてもらえるし」

「あれだろ、冴えない男子高校生がこのあと驚きの変身! みたいなテロップ貼られてSNSに載せられるやつ」

「いいじゃん。あたし拡散するしっ!」

「お願いだからプライバシーに配慮して……」


 回復魔法の問題点を挙げるとすれば、両手で僕の頭を抱えるものだから、必然的に志々芽さんと見つめ合うかたちになる。背後うしろからでも可能だろうけど、彼女が「頭の裏なんて眺めても秒で飽きるじゃん」とか言い出したのだ。

 おかげで、そろそろお互いに穴が空くんじゃないかってくらい視線を合わせている。あらためて見ると、息を呑むような美人。ギャルっぽいメイクの奥で、天然素材のつくりの良さが明瞭に透けている。天は二物を与えないというが、志々芽さんはルックスもスタイルもメンタルも盛り込まれた特上級のギフトをたまわったように思う。その分、壊滅的な頭脳ブレインで無理やりバランスをとられたのかも。


 などと、まあ極めて冷静に努めてみるものの。この姿勢でなによりマズいのが、こちらの膝を挟むように志々芽さんが腰かけていること。フリルスカートに覆われた僕のお膝も、こたつの中みたくホカホカしてきた。エネルギーを注ぐ箇所が丹田たんでんとかじゃなくてよかった。本当に。


「今回の衣装、オリジナリティに溢れてるね。版権にドキドキしないで済むよ」

「そ。よーやく見つけちゃった感じ? いろいろ思考回路シコーカイロした甲斐あったぜっ」

「ん? ああ、試行錯誤シコウサクゴね。よかったね、すごく似合ってる」


 どんな間違えだよ。すでにショートしてんのか。志々芽さんの記憶回路が外れていないか心配になった。


 志々芽さんのニューコスチュームは、意外と可愛い趣味にまとまっていた。頭上に載せた大きめリボンに、ピンクホワイトを基調としたファンシーなブラウスとフリルスカート。コルセットで引き締まった見栄えする衣装を、グラビアモデル並にグラマラスな志々芽さんが着こなすものだから、その相乗効果は凄まじい。アイドルとしてステージに上がったら、サイリウムを迷わずバルログ持ちで振ってしまいそうな破格のオーラがある。


 全快まではいかずとも、充分に心身が癒えてきたところで。志々芽さんに退いてもらい、ゆっくりと立ち上がる。これ以上は危険だ。理性まで回復されてなければ、目の前の魅惑に惹き込まれていたかもしれない。僕は手遅れになる前に自制できるタイプで、わりと損な性格だと今更ながらに自覚した。

 すっかりと元気を取り戻し、なにもない荒野でふたり向かい合う。よからぬ変化が起きる前に、ひとつひとつの疑問を解消する時間へ突入することにした。


「グリモンは?」

「寝てる。昼間だしね」

「昼間なんだ」


 志々芽さんは確信を持って答える。どんよりとした空色に一定した気温は相変わらずで、僕に時間の経過を知るすべはない。となると、


「じゃじゃーん、魔法のウォッチ!」

「まーた販促がはかどりそうなものを。それで時間がわかるの?」

「あと、時間止められる」

「まさか、実在したのか……っ!」


 世間にバレればすぐさま法律でスタン落ちしそうなアイテムを華奢な腕ごと見せびらかしてくる。半分フィクションだと思ってたのに。どうせ都合の悪いタイミングで効力が切れるようなお約束があるのだから、さっさとしまっておきなさい。


「それで、どうやって僕を見つけたの? 元の場所からだいぶ離れたと思うんだけど」

「んー、なんだろ。ニオイ?」

「えっ……。あ、汗かいて何日もシャワー浴びてないから、やっぱり臭うよね」

「違くて。ユクエのいるトコがなんとなくわかんの」

「本当に臭くないんだね? ちゃんと言葉と態度で証明して!」


 体臭は原因じゃないらしい。おそらく魔法少女の直感力だろう。かといって、一度匂いとか言われるとずっと気になってしまうのが人間ひとさが。しっかりと否定してもらうまで安心できない。


「ユクエは臭くないよ。じゃ、嗅いでみよっか?」

「嗅いでみて」


 スッと近付いた志々芽さんが、僕の汗帯びた首元をくんかくんかする。志々芽さんの色香にこっちがハスハスしそうになった。


「や、べつに臭くないって。体育後の教室より全然マシ」

「……あ、そう。よかった」


 ふにゃあ……いい匂いだにゃあ……。とろーん。みたいな反応をちょっと期待したが、現実の女の子には当然起こり得なかった。15歳の僕にはフェロモンが足りていないらしい。

 僕がまだ精神に異常をきたしていると判明したところで、そろそろ本題を俎上そじょうに載せる。


「あらためて確認するけど、ここは別世界パラレルワールドで合ってる?」

「そ。めちゃくちゃヤバかったよ。そこらじゅう、シャドウたちがフェスみたくブチアガってて」

「志々芽さんは、どのくらいここに?」

「わかんない。楽しい時間って過ぎるのアッていう間じゃん?」

「なんか惜しいな。じゃあ、シャドウの姿が見当たらないのは」

「あたしが狩り尽くしたかんね!」


 勇ましく豊満な胸を張る。シャドウハンター志々芽さんの無双によって、このエリアのポップアップは打ち止めされたらしい。素材も落ちないのにやり込む要素がどこにあるんだ。苦行マラソンにも程がある。

 だけどそれは、訊くだけ野暮というものか。


「そっか。……そろそろ気は済んだ、志々芽さん?」

「え?」


 オリジナルの魔法少女コスチュームに身を包み、正義のヒロインを一途いちずに遂行する彼女に対し、僕は真理を問いかける。


「君は、世界を救う魔法少女なんだよね」

「うん。そう、だケド」

「でもね、志々芽さん。……この世界は、もう平和とは言えないよ」


 辺りを見渡せば明白だった。シャドウが暴れ回り、跡形もなくなった僕たちの街。なにも残らない廃墟と残骸の世界で、護るものもなくゾンビみたいに現れるシャドウを倒し続けたところで、すでにそこには意味などないのだ。


「ずっと、おかしいと思っていたんだ。グリモンの詐欺契約を破棄しようと僕が持ちかけたときの、志々芽さんの様子。なんだか乗り気じゃなく見えた。グリモンに対する歯切れの悪さも」


 きらびやかな衣装を見に纏い、悪と対峙し、魔法のパワーで颯爽と滅する。シャドウを倒して、それでも現実世界に戻ることなく、またシャドウを倒す。その繰り返し。奇跡の加護で疲れも飢えも眠気も感じない彼女は、魔法少女の使命をひたすら忠実に守ってきた。

 そんな、グリモンによって与えられた役目——いや、自ら与えた役割を。


「志々芽さんは、魔法少女になりたかったんだね」

「…………」


 彼女は否定しない。僕の言葉を呑もうと、こらえたくちびるをみながら、こちらの目をジッと見つめている。

 グリモンは魔法の行使を、と言い換えた。

 それは、魔法少女の固有スキルを発揮するのではなく、グリモンの能力によって発現させることを意味する。


『謎を解いていくのも楽しいもんやろ?——』


 僕の勘違いは、因果を逆転させて認識していたこと。

 魔法少女の力は、グリモンの持ち掛けた契約ではなく、志々芽さんがだとしたら。

 グリモンが自らの利益のために人を利用したのでなく、とする生物だとしたら。

 アイツが妙な手心を加えた辻褄も合い、理屈の線が一本に繋がる。


「志々芽さんに悪気がなかったのは、わかる。軽い気持ちではじめたことかもしれない」


 志々芽さんという人間は、疑いようのない善性でできている。この数ヶ月の急接近で彼女の人柄に触れ、僕は信用に値するトモダチができたと、ハッキリと断言できる。

 だからこそ、間違いを指摘せずに放置なんてしたくない。


「でも、この状況は間違っているよ」


 なにもかもが元通りになる別世界パラレルワールドで、関わった人間にだけ生き死にがある。その理由の正体は、覚悟だ。代償なしに得られるものはないと、志々芽さんは気付いていた。

 彼女のまっすぐな性格が、隠しながらも培ってきた願いが、歪んで表現されてしまっただけ。だれかを傷つけたり、なにかを失うようなことは求めていない。この世界において無関係の人間が被害に遭わないことが、それを証明している。

 別世界パラレルワールドは彼女の望んだことわり。平和な日本の裏側で、未知なる脅威が暗躍している。そのための魔法少女。敵対する存在、その影に、正体なんていらない。

 だけど——


「僕には、シャドウの正体が見える。……その顔に貼り付けられた表情まで、はっきりとわかってしまう」


 僕の知らない過去にも、志々芽さんは数々の人型の影シャドウと相対してきた。

 だが、僕の知るかぎりヤツラはすべて、同じ教室のクラスメートだった。嫉妬する津田のシャドウ、恋慕を抱く鈴穣さんのシャドウ。そして、——

 知ってか、知らずの内かはわからない。だけどそれらは、志々芽さんの強い感受性で敏感に読み取られた、彼ら彼女らの持つ感情の具現化ファンタズムだ。

 別世界パラレルワールドが過激な悪意の生み出したシャドウで溢れていない理由も、それで説明がつく。


 だからこそ、今この虚無の世界で跋扈ばっこしていたシャドウ。志々芽さんが狩って狩って、跡形もなく狩り尽くしたシャドウの正体も、そうなのだ。

 きっと、過去に出現した二体の巨大シャドウと同じ。


「ここのシャドウたちは……ユヅキは、僕の大切な人なんだ」

「え……っ」

「本当のユヅキは、優しいやつなんだよ。見境みさかいもなく、暴れ回ったりしない。だからあんな偽物を……あんな顔をしたユヅキを、僕はもう二度と見たくない」


 闇雲に暴れていた巨大な人型の影シャドウ。その表情に浮かんでいたのは、怒り、悲しみ、嫉妬、諦め。様々な葛藤を帯びたが、やり場のない想いをぶち撒けていた。


 時系列の問題だった。

 夏の間、志々芽さんは魔法を使わなかった。つまり、あの日現れたショッピングモールの巨大シャドウは新たに生み出されたわけじゃなかった。それよりももっと前、グリモンとの契約を中断した頃には、隠れたまま燻っていたユヅキの無意識がカタチとなってすでに生み出されていた。

 また、再び魔法少女になった志々芽さんに立ち塞がる強敵として、さらにパワーアップした姿で出現したのが展望ビルの超大型シャドウだろう。

 未だ解消されないユヅキの悲痛な気持ちが、今もなお次なるシャドウとして感情の深淵から這い出ようとしている。


「え、ウソ、待って……。あたしそんなつもり……っ」

「うん、わかってるよ」


 言葉を失った志々芽さんの両肩に、僕は手を置く。に包まれたその身体はひどく震えていた。

 彼女には後悔や罪悪感を持ってほしくない。だれよりも実直で、ときに愚直だけど。だからこそ、志々芽さんはたくさんの人を惹きつける唯一無二の魅力を持った女の子なのだ。


「志々芽さんが背負わなくていい。これは、僕の責任なんだから」


 永遠とわに繰り返される破壊、退廃し尽くした空っぽの世界。暴走する感情の顕現けんげんと、対抗する魔法少女の使命。

 こんな救われない別世界パラレルワールドを創り出したのは、他ならぬ僕だ。


 ユヅキを感情を酷く揺さぶって、無限のシャドウを生み出した。

 その敵対勢力ユヅキエサに、志々芽さんに魔法少女の役目を演じさせ続けた。

 彼女の気が済むまで。すべてを吐き出して、向き合って、そして終わらせるために——


 ユヅキを傷つけたのは僕で、志々芽さんを傷つけたのも僕。だから、その罪と向き合うのは。地獄の閻魔えんまと対面するのは、僕だけでいい。


「君はただ、正義の魔法少女ヒロインとして、僕をピンチから救ってくれたんだよ」


 影はひとりでに存在しない。

 そこに光を当てるから生まれる。


 影を創り出したのは、『魔法少女になって平和を護りたい』という志々芽さんの、純粋な欲求。無垢な願い。

 いのちを賭けて使命をまっとうした彼女は、ちゃんと祝福されるべきなんだ。


「助けてくれてありがとう、魔法少女さん」


 しんしんと降るシャドウの残滓ざんしの中、志々芽さんははばからず泣いた。未熟な僕にできるのは、その震える身体をそっと抱き留めることだけだった。

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