第20話 先走りの代償

「へぇ、街なくなってんじゃん」


 千切れたカーテンを広げた窓から見えた景色。それは一種のディストピアだった。アプカリプス・デイを迎えて退廃した未来の日本。核爆弾が降ってきて、そのまま放置されて数百年も経てば、おそらくこのような光景に変わるだろう。今にも改造車を乗り回す野蛮な輩が登場しそうだ。

 灰色の視界と一面の廃墟、上から降ってくる粉のようなものは、灰なのか塵なのか。雪にしては季節が違う。見覚えのある光の粒にも見えた。

 その粒が僕の手のひらに落ちて、溶けるように消える。頭上を見上げると、舞い散る粒の奥に、雲ひとつない濁り切った空が広がっていた。


「屋根もないし。よくこんなところで寝てたな僕」


 逆に窓枠ごと壁が残っていたのが奇跡のよう。律儀に朝のルーティンをこなして現実逃避してみたが、まぁ最初から気付いていた。

 昨晩まで平穏だった日常が一変していた。心当たりは正直、ありすぎるほどにある。別世界パラレルワールド。現実世界のモデリングをミラーリングした異なる世界線。様相はだいぶ違うものの、似たような修羅場を何度もくぐってきたのでいい加減慣れてくる。

 一階に辿り着くルートを開拓して、なんとか地上に降り立つ。僕が目覚めるまでかろうじて姿を保っていた家の残骸ざんがいは、そのタイミングでガラガラと粉塵ふんじんを吐いて崩れた。この世界で貴重な歴史遺産になっただろうにもったいない。


「ハァ。……にしても、ここまでなる?」


 独り言を呟いてもむなしいだけ。ただ、口から発せられる言葉のみが言語という文明の残滓ざんしを証明するものだった。あと、衣服が無事なのは非常に助かる。この状況で全裸は流石にキツい。謎の光もきっと僕を助けてくれない。


 スマホの電源が入らない。残存する唯一の文明利器も単なるガラクタに成り下がった。辺りを見渡しても、当然ながらだれひとりとして見当たらない。むしろ過酷な環境に順応した別の生命体がピョコピョコと列をなして現れそうで鳥肌が立つ。未知との遭遇をするくらいなら、孤独な方がいっそ気楽だ。


「……志々芽シシメさんを捜すしかないか」


 生き残るための唯一の手がかりは、世のことわりいっしたパワーが与えられたギャルしかない。彼女なら魔法少女のミラクルマジックで元の世界に戻してくれるはず。というか元通りにしてもらわないと困る。食料も飲料水も、屋根のある建物もないなんて、生存難易度ベリーハードどころかナイトメアレベル。水分不足に陥るまでタイムリミットは長くて72時間といったところ。いや、シャドウと遭遇したら秒速で死ねるかも。流石のジャックバウアーもこの境遇ならオリャーッとさじを遠投するだろう。


 問題は、志々芽さんがかだけど。

 残念ながらこの惨禍さんかな光景を前に確信はできなかった。だが、一縷いちるの希望にすがっていくしかない。希望を捨てたらそこで人生終了。慌ててもしかないので、開き直って落ち着いていこう。


 捨て身の状態になってしまえば、あとはトボトボと前に進むだけだった。暑くもなく寒くもないのっぺりとした気候、緩慢かんまんな風が静かにそよいでいる。隠れながら移動できる環境ではない。攻撃的なシャドウと出遭えば一巻いっかんの終わり。こちらから目視できるシンボルエンカウントなのがせめてもの救いか。


「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」


 行く宛てもなく廃墟と化した街を歩く。以前から何度も、耳鳴りのように頭を巡る『逃げてッ!』という悲鳴に似た叫び。どうやら別世界に入るたびに聞こえるようだった。この幻聴は強迫性障害なのだろうか。


「お母さんの声、なんだよなぁ」


 僕の順風満帆だった人生が激変した日。家族を失い、ひとりで逃げ続け、ホームレスとして過ごした数日間を思い出す。

 よく見知ったはず街が、初めて訪れたように不安な情景を描いていた。行き交う人々とすれ違っても、だれもいないのと同じみたいに感じた。なにもかも喪失してそれでも生きるのを選択したのは、両親に託された想いがあったからだろうと今になって思う。

 うちにやってきたアイツの顔は、もう思い出せない。きっかけは地域のボランティアをかたった詐欺だったはず。いや、保険の営業だったかな。宗教勧誘? 遠い記憶はなんだか曖昧模糊あいまいもことしている。モザイクがかったようにいびつな姿、奥行きのない深淵を貼り付けて、ただ不気味な印象のみが残っていた。


「……今は目の前のことに集中しないとな」


 かたきを討とうにも糸口は一向に見つからなかった。だから、天災だと思ってすでに諦めたこと。それよりも、今直面している非常事態をないがしろにできない。終末世界パニックホラーの域に足を踏み入れて、その一歩先は闇かもしれない。まだ生きている喜びを噛み締めながら、楽しかった思い出を振り返るひとときでもつくろうじゃないか。


 楽しかったこと。直近だと、やっぱり鈴穣スズシゲさんとのデートかな。

 人類史に残る美少女との濃厚なランデブーは、同じ時代に生を受けただれもが羨む出来事だろう。そのプランすら、こちらはオートで誘導してもらえるビギナーモードぶり。しかも顛末がまさかの告白。映画のワンシーンみたいな絵面で、僕はオッケーの返事をしたのだ。この歴史的なパラダイムシフトを未来のために書き留めて残しておくべきか、と周囲を見渡すも、廃れた大地には筆記用具も紙ももちろんなかった。


 粉々に砕けた文明社会のなにかを踏み締めながら、地平線を目指して果てのない旅を続ける。


 当然、鈴穣さんと付き合うという決断は、別の問題を引き起こすだろう。高校は男子たちの阿鼻叫喚に包まれるし、自暴自棄の極まったやつがテロを起こすかもしれない。殺意の引き金をかれるほどの由々しき事態。……銃社会の鬱屈とした閉鎖環境じゃあるまいし、ちょっと大袈裟な妄想をしすぎた。

 しかし、僕の置かれた現状は、間違いなくあの出来事にたんを発している。うみを出し切るために、事実を伝えなければならなかった。過去に遭遇した二体の巨大——それは、ずっとくすぶっていた感情が発露したアイコンだ。

 ただ、こうして文明が滅びるほどの破壊的インパクトを目撃してしまうと、もう少し慎重に行動すべきだったのかもしれない。僕の迂闊な行動ひとつがここまで悲惨な結果に繋がるとは想像もつかなかった。




 明けることのない空は、時間の経過を報告しない。

 おそらく二日目に入っていた。全身の疲労感と飢餓感が、体内時計を通じて僕に訴えかける。その警告を無視して、無味乾燥とした世界をひらすら歩き続けた。ヘタに休んだりして眠りについて、そのまま目の覚めない不安がつきまっていた。


「おおーい!」


 とうとう僕は叫びを上げた。シャドウに見つかろうが構いはしない。散々、塵や埃を吸って乾燥した喉に、ズキリと痛みがはしる。だけど孤独との闘いに我慢できなかった。


「おぉーぃ……ぉぉーぃ……」


 僕の声でやまびこが戻ってくる。もしくは、なにもない空間にただ響き渡っただけかもしれなかった。反響ではなく、僕自身が久しぶりに聞く僕の声に集中していたのだろう。それほどにこの世界は沈黙している。


「……もしかして詰んでるのか?」


 目が覚めたときにはあった微かな希望も、今や蛇口から落ちる一滴の水のように儚く流れていく。行けども行けども似たような景色で、どれだけ進んだかもわからない。方向が認識できないから同じところをグルグルしていたとしても不思議ではなかった。砂漠地帯で遭難するってこんな感じなのかな。今後機会があっても絶対に近寄りたくない。今後があるかも不透明だけど……。

 しかし、ミスった。大失態。今更になって昔読んだサバイバルガイドの教えを思い出す。飛行機の墜落事故で砂漠に軟着陸したとき、生存率上げるには、むやみに移動せずその場に留まるのが正解と載っていたじゃないか。自らヒントを手放すなんて、初手から豪快に間違っていた。


 結局のところ、僕は油断していたのだ。どうせなんとかなると。危機的状況に陥っても、正義のヒロインたる志々芽さんが颯爽と現れ、ピンチを軽くブッ飛ばして助けて出してくれる、と。

 人生の登り坂、下り坂、まさか。過去から学んで、他人に頼らないと決めていただろ。

 約束されたことなんて、なにひとつないのだから。







 区切りのない三日目が訪れた、はず。四日目かもしれない。

 感覚が鈍くなり、思考もおぼつかない。僕の足は進んでいるのか、立ち尽くしているのか。僕は存在しているのか、意識がただ漂流しているだけなのかも曖昧になり、とうとう膝を抱えて座り込んだ。一億年ボタンを押した後悔を体感した気分。変化のない二週間を15532回繰り返すのとどっちがマシだろう。起源のわからない考えが頭を埋めていく。

 救いは、僕の命には終わりがあることだった。いっそのことシャドウが現れて、僕をグシャリと踏み潰してくれたら楽になれるのに。


 荒れ果てた地面に身体を放り出す。水が飲みたい。この際、衛生面には目をつむる。雨でも降ってきて、乾いたくちびる、枯れた喉をうるおしてくれ。願えど、不吉な空は実態のない粒を振り撒くだけ。


『生き死にあるのが人間やんけ』


 胡散臭い関西弁が脳裏によみがえる。名前なんだったっけ、あの珍獣。グリモン。果たして真名まなかも怪しい。

 体内に残る最後のエネルギーを割いて、あの生き物の行動原理を整理する。あるいは、導き出していた結論の答え合わせをした。


 グリモンの譲歩によって、魔法少女の契約は中断されていたはず。

 だがシャドウは現れた。鈴穣さんのシャドウと、ショッピングモールで大暴れした巨大シャドウ。

 魔法少女の契約を再開した志々芽さんと共に姿を見せたグリモンを、僕は責め立てた。


『知らんなぁ。ワイはなにもしてへんで』


 そう答えたグリモンは、おそらく嘘をついていない。嘘をつかないとアイツは誓って、僕はそれを信じている。いや、信じるに値する理屈があった。グリモンの目的と僕たちの要求が合致していたからだ。


 僕の仮説は間違っていなかった。

 人型の影シャドウが存在するために、別世界パラレルワールドが構築された。

 シャドウを創り出したのがグリモンで、自作自演の傀儡マリオネットだと。

 別世界の出来事は、現実になにも影響を与えない、はずなのに。だとしたら、ここでがある理由はなんだ。


 だから、この辻褄の合わない事態について、ずっと考えていた。

 彼女を契約の罠から救い出すと決意して、ずっと……。


「ユクエ、生きてる?——」

「……志々芽、さん?」


 派手な赤髪を下げて、僕を覗き込む女の子。

 太陽みたいな曇りない笑顔。長いまつ毛でなお大きく開かれた意志の強い瞳。ピアス。


「……遅かったじゃないか。もう、僕は、指一本動かないよ」

「…………」

「……え? なにか、言った? 聴こえない……」

「…………」


 パクパクと口を動かして、彼女はなにかを伝えようとしていた。だけど、その声は聴こえない。聴こえるはずがなかった。

 そうか。そんなに、都合よくいかないか。

 今、一番逢いたかった希望の光は、ただの幻。


「ねがいをかなえた」

「…………」

「まほう、しょうじょ」

「…………」


 気付くと、たぶん僕は笑っていた。

 最期の瞬間に訪ねてきたのは、天使とは似つかわないギャルな女の子。たとえ幻想でも、その姿は眩しいくらい可憐で、この理不尽な世界から僕を連れ出してくれそうだった。


「ゆめ、だったんだね……」


 願いを叶える。

 それは、本来の目的を達成するための手段。

 違う。

 願いを叶える、それ自体が、グリモンの目的だった——


 正義のヒロイン、魔法少女。

 僕はとっくにその答えに行き着いていた。

 行き着いて、すべての膿を吐き出すつもりで先走ったから、こうして干からびたミミズみたいに息絶えていくのだろう。


「…………ははっ……」









「ユクエ、生きてる?——」

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