第3章
第19話 【彼女の独白】
アイツを好きになったきっかけは、今思うと単純そのもの。
ガタガタの歯並びを笑わなかったこと。
バカにしてきた男子を蹴って、追い払ってくれたこと。
ホントそれだけ。小三の頃だし、ヒーローみたいな男の子って、普通にカッコよく見えるじゃん。足が速いだけで好きになるよりはずっとマシな理由。
物心ついた頃には一緒にいたと思う。3歳くらいかな。うちが走り回りだして、手狭になったから新築一軒家を建てたってパパから聞いた。そのタイミングで隣に引っ越してきたのがアイツだった。
アイツの両親もうちのパパとママと同い年で、ほどなく家族ぐるみの付き合いになったらしい。名字の違いに気付くまで、姉弟だと思って遊んでいた気がする。
小学五年生のとき、急にアイツは学校を休みだした。家の人も出ないって連絡をとった先生が騒いでいたのを盗み聞いた覚えがある。警察沙汰になって、数日後に離れた公園で保護された。発見されたのはアイツだけだった。
アイツの両親が失踪した理由は、今もわからない。どこにいるのかも、もういないのかも、うちには知りようがなかった。
ただ、アイツが遠く離れた施設に移るって聞いたとき、当時のうちは泣いた。とにかく泣いた。離ればなれになって、もう二度と逢えない距離なのだと知って、死ぬほど泣いた。実際、涙も枯れて病院で点滴まで射った。
「おねがいっ! 助けてあげて!!」
パパとママに頼んだ。簡単じゃないと言われたけど、なんとかしてと
それを聞いても、うちはまたしても泣いて
「あなたは本当にそれでいいの?」
ママに訊かれたけど、良いもなにも、アイツが遠くに行って、独りぼっちになるなんて絶対にイヤだ。
パパとママは夜遅くまで相談してて、翌日の朝に「絶対の約束はできないし、期待しないでね」と
半年が経って、アイツはうちの家族になった。
これでずっと一緒にいられる! 念願が叶って、嬉しくて泣いた。たぶん、あれが最初で最後の嬉し泣きかも。
久しぶりに会ったアイツは、以前と変わっていた。明るくておちゃらけた性格だったのに、思い詰めた表情が多くなっていた。理由がわかるから、うちはなにも言えなかったし、なにもできなかった。せいぜいアイツの両親の分まで隣にいてあげようと、姉らしく決意した。
アイツは手間のかからない子だった。
気が付くと机に向かって勉強して、難しい本もたくさん借りてきて、うちのマンガをたまに息抜きで読むくらい。家に帰ってすぐ、毎日毎日。だからあっという間に成績も良くなって、いつも満点のテストを持って帰ってきた。
うちのパパとママは、昔からアイツのことを気に入っていて、今ももちろん大切にしているけど、二段飛ばしで大人びていく息子を心配していた。成績は優秀で、わがままを言わない。お小遣いも受け取らない。パパの肩を揉んであげたり、ママの買い物を手伝ったり、家事や掃除を率先してやっている。家族なんだからもっと楽にしていいのよ、って逆にママが断るくらいだった。うちにはマンガを読んでる途中でも平気で頼んでくるのに。
いつしか、アイツは目の上のたんこぶになっていた。
中学の頃はあまり仲良くしていた思い出がない。いつも喧嘩してたし、些細なことが
その理由はすぐに思い当たる。単純に不満だった。賢くて手間がかからなくて物分かりのいい
家族に——姉弟になったことで、昔からの夢が叶わなくなったと気付いてしまったから。
二律背反の感情が、うちの未熟な部分を
高校に入る頃には、アイツは近所の喫茶店でバイトをしたり、誕生日に買ってもらったパソコンでウェブサイトを立ち上げて副収入をつくったりと、だんだんと自立に向けて動き始めた。
中学時代にいろいろあったからか、今度は目立たないように高校生活を送るとか言ってきて、それはうちにとっても都合がよかった。同じクラスで嬉しい気持ちもあったけど、教室で話し掛けたりはしない。アイツが月見草のように過ごしているうちは、だれもアイツの魅力に気付かない。邪魔なやつはだれも近寄ってこない。
念のため、前髪を伸ばした方がいいとアドバイスして、アイツもそれを聞き入れた。イケメンじゃなくても、顔って人それぞれ好みがあるから、うちみたいな物好きがいるかも。たまにカッコよく見えるときがあって、そういう瞬間を見られたりとか、可能性あるし。
最初の内はなにも問題はなかった。
うちのクラスには学年でも目立つ美女がいて、しかもふたり。もう顔面同着優勝。可愛い子も美人な子も好きだから、つまらない学校生活の中で目の保養になった。尊いというか、マンガの主役たちを見ているような憧れ。冴えないうちにとって、手が届かないからこそ眺めていられる芸術鑑賞。
そんな中でも、アイツはしっかりと陰キャを演じていて、クラスの連中も次第に触れなくなった。担任の田中はちょっかいをかけたりしてたけど、うまくいなして要領よくやってた——ように、うちには見えていたんだけど。
夏休み前から、少しずつ変になった。
教室でギャルたちに仲良さそうに囲まれたり、朝から奇声を発して殴られたり。そんなキャラじゃないから、とうとうイジメの矛先になったかと心配したんだけど、無理をしてるようには見えないし。ホント謎。
だからこれは、変になったんじゃなくて変化し始めたんだと、うちはこわくなった。
「行方、うちにはなんでも話せよ。言いにくいことも全部な?」
ベタなラブコメみたいな真似して、アイツと距離を詰める。うちの知らないところで、知らないだれかと仲良くするなんてイヤ。……あれ、なんでイヤなんだろ。アイツは弟で、うちは姉なんだから、そんなこと関係ないはず。
……あーそっか。いつも近くで見てる分、陰の努力とか、実は昔から変わらない素直な性格とか、そういう面を丸ごと全部知ってるせいで。うちの気持ちは、知らない間にもずっと育ち続けていたんだ。
思いがけず、自分の本音と向き合うことになった。
一度気付いたら、もう止めるなんて無理じゃん。
だから、うちは目標を立てた。
九月になれば誕生日が来て、うちは16歳になる。その前日には、ようやく歯列矯正も取れる。やっと。
その日が来る前に、少しずつ準備を整える。
最大の壁は、この関係。うちらは家族。でも、血のつながった本物の
アイツがリゾートバイトで留守の続いていた夜。うちはパパとママに相談して、泣きながら本音を打ち明けた。遅かれ早かれ、この気持ちは爆発を起こす。その雰囲気は、ふたりとも感じとっていたみたいで。アイツの人柄を知ってるから、うちが本気でそうしたくて、結果としてそういう関係になれば反対しないと、両親は賛成してくれた。要するに、アイツとの養子縁組を解消する決断。でも、一度家族として受け入れた以上、理由もなく戸籍を外せない。私たちは責任を持っている。簡単に大切な家族を解消しない。最終的には当人の希望を優先すると、大人な返答をされた。
だからこの関係を変えるには、ひとつしか道は残されていない。
16歳の誕生日になったら、告白するって決めた。
うちを好きになってもらって、一生添い遂げる。
同じ家族でも、違う意味合いになればいいんだ。
だから直前に、こんな残酷なことってある?
「カノジョができたんだ」
「出た、真顔で嘘のやつ」
「いや、本気のやつ。ちゃんと報告しておこうと思って」
嘘だね。
アイツにカノジョができるなんてありえない。アイツの良いところを知ってるのは、うちだけだ。うちだけでいい。だれも近付くな!
想像しただけで胃のなかがムカムカする。こみ上がるなにかを抑えられなかった。
そこからはあまり記憶がない。溜まりに溜まっていた感情を便器に、文字通り吐き出していた。カノジョってなに。アイツが一瞬でも別の女を好きになったと思うと、感情がグチャグチャに溢れて止まらない。
アイツがだれかに触られる? 脳が破壊されるわ、そんなの。しゃべったり、目を合わせたりするのもムリ。ムリ無理無理ッ!!
……待ってよ。こんなことになるなら、もっと、
喧嘩の数を減らしとけばよかった。
言葉使いくらい直しとけばよかった。
素直になるのが遅かった。こんなに近くにいたのに。
後悔はいくらでも——
うちって、後悔するほど行動したっけ?
「じゃあそれ、明後日までな。お試し期間」
気付いたら、アイツにムチャな要求をしていた。ムチャでいい。相手はうちの憧れ、桃源郷に咲く高嶺の花。一秒も怯んでる暇なんてない。
「えっ?」
「明日は敬老の日で学校休みだろ。明後日行ったら、ちゃんと丁寧にお別れしろよ」
「おい、なんでそれをユヅキが決めるんだよ」
「当たり前だろ?」
この言葉を口に出すのが、なによりもイヤ。
「うちはあんたの
いつからか封印していた、姉。うちらの間にある一定の距離を縮められない言葉だから。
でもなりふり構ってられない。今しかない。今っ!
抑えられない。好きじゃなくて、もう大好きなんだよ。ただ、ただただただただ愛してる。この気持ちはだれにも負けない。負けるはずがない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます