第18話 伝えないといけない

「あれ行方ユキカタ、帰ってたのかよ」

「ん、ああ、ユヅキ。ただいま。ちょっと前にね」


 瀬那セナ家のリビング。声を掛けてきた幼馴染で義姉あねで家主のユヅキに対し、僕はカウチに寝そべったまま返事する。


「超だらけてんじゃん」

「ごめん。いろいろあったから、疲れ切ってて」

「いいよ、別に。あんたの家だし」


 瀬那家は、一階の大きなスペースに家族団欒のダイニングとアイランドキッチン、快適にくつろげるリビングを配置している。二階には書斎や寝室があり、僕はユヅキと同部屋ではあるものの、余裕のある間取りなので二人でもそれほど手狭に感じない。この広々とした立派な一軒家は、孤児みなしごの僕を引き取って養子縁組できるほど優れた社会ステータスを有するユヅキ両親の集大成でもある。


 デートから帰った僕はそのリビングに直行すると、寝れそうなくらいゆったりとしたカウチに、着の身着のままで横たわっていた。普段ならば居候としてもう少し奥ゆかしい態度を見せるのだが、この週末は義父が出張に出ており義母もそれに同行しているため、つい油断した格好である。我が家の養父母はいつまでもおしどり夫婦で、理想の夫婦像としてお手本にしたいくらい。


 その広々とした居室に、ユヅキは当然ながら堂々とした振る舞いで入ってくる。長い三つ編みを下げて、家でのみ掛ける赤縁メガネに、インドアな白いふとももが露出したグレイショートパンツ。油断しかない薄手のルームウェア姿だが、それが夏場のユヅキスタイルだった。


「ユヅキは一日中引きこもり?」

「こんな暑い日に出掛けるなんてバカじゃん? 部屋でマンガの整理して、気付いたら刃牙全巻を読破してたわ」


 ユヅキは片付けあるあるを披露する。それ相当な巻数あるだろ、と思ったがテンポよく読めてしまうので案外達成できてもおかしくない。今日はマンガみたいなリアルバトルを目撃したことだし、久しぶりに読み返そうかな。むしろ三戦サンチンがどんなだったかちゃんと確認するまで眠れない気分になってきた。


「行方はまた、あのつまらなさそうな集まりだろ?」

「なにそれ?」


 奥のキッチンに向かったユヅキは、冷蔵庫から麦茶のボトルを取り出しつついてくる。鈴穣スズシゲさんとのデートをつまらなさそうな集まりとはどういう了見だろう。


「今日、オフ会じゃねーの?」

「オフ会?」

「前に行ってたじゃん。朝早くに色気づいて準備してたから、今日もかなーって」

「あー、アレね」


 そこで合点がいく。夏休みに一度、SNSを通じて『将来起業家を目指すティーンエイジ・オフ会』なるものに参加してみたのだ。ためになる儲け話が聞ければ勉強になるし、身の丈に合わない意識高い系を見ておくのも反面教師、仮に怪しい詐欺まがいの勧誘を受けても僕なら逆に論破してやる。と謎の上から目線を発揮しつつ都内に遠征したまではよかったが。


「交通費の無駄だったよ。紹介特典目当てでゲームアプリの勧誘されまくった。アカウントを売って小銭稼ぎするとかで」

「そういや愚痴ってたっけ」

「法的には知らないけど、規約ではアウトだろうし倫理的にどうかと思う。もっとマトモに金を稼ぐ人と会ってみたいね」

「ふぅん」


 寝転がる僕の前に立って、瀬那家のお嬢さんであるユヅキは興味なさそうに鼻を鳴らす。お小遣い制ベーシックインカムの彼女には大量のマンガを積めるだけの不労所得があり、勤労は大学を含めたモラトリアム期間を卒業してから考えるとキッパリしていた。余裕がある分、迷惑な転売とかパパ活に手を出したりしなさそうなのは安心できるけど。


「それじゃ今日はなんだったの? バイトは休みだろ。あの格好でぷらりと本屋ってわけでもなさそうだし」

「デート」

「ほーん。真顔で嘘つくのうまくなったな」


 麦茶の注いだグラスをグビっとあおり、ユヅキはプハーッと満足気な息を吐いた。僕の口からデートなんて言葉が出てきて、信じてもらえないのは無理もない。おそらく僕の辞書に載ってない単語だと思われている。ちなみに辞書には、ほかにも協調性タダばたらきとか打ち上げパーティジカンとカネのむだづかいとかいう単語が載っていない。もうすぐ学校祭の時期なので憂鬱な気分になった。

 ユヅキは立ったまま、こちらを見下ろすように話を変える。


「そーいえばさ、いよいよ明後日じゃん?」

「ん、なにが?」

「おいおい、行方の命日くらい重要な日を忘れた?」

「まだ未定だろ。そこは誕生日とか……あ、そうか」

「そう、うちの誕生日。行方より先に16歳を迎えるうちの」


 ふふん、とユヅキは急に年上の威光を放つ。回りくどい言い方をするな。


「誕生日って、去年もやったじゃん」

「毎年あんだよ。それで明日、ついに歯列矯正が取れんの」


 ユヅキは嬉しそうに平坦な胸を張る。重いかせの外れる日。どうやら彼女のエックスデーは誕生日の前日だったらしい。

 小学生の頃から続けていたユヅキの歯列矯正。いちいち食べ物が詰まったり、メンテナンスの度に痛みに苦しんだりと大変な姿を見てきたので、僕としても感慨深いものがある。昔、クラスのやんちゃキッズにハリガネ食べてんのかってバカにされてたっけ。あいつ実はユヅキのこと好きだったんだよなぁ。とどうでもいい記憶が掘り起こされた。


「取れてから言えばよかったのに。明日なら次の日がユヅキの誕生日ってすぐに気付けたし」


 急に言われたから出てこなかっただけで、こっちはすでにプレゼントも準備済みなのである。変化した姿をいきなり見せてもらった方が僕としてもリアクションを取りやすい。

 すると、ユヅキは呆れた目で僕を見る。


「これだから行方は……。ビフォーアフターを目に焼きつけといてほしいから言ったんだろ」


 そう言ってニッと針金のついた歯を見せた。普段は笑っていても滅多に見せない歯並びだが、言われてみると昔に比べて綺麗に整って見える。それどころか、丁寧に手入れされているため白く光っていて上品だ。これで口が悪くなければまさにお嬢様なのだけれど、実に惜しい。


「明日のアフターが本番ね。超可愛くなるから楽しみにしとけー? 」

「ハードル上げるなぁ」

「たとえ下回ってもちゃんと褒めろよ? 勉強だけじゃなくて、女心もしっかり学んどこっ」


 ユヅキはグラスの残りをグイと飲み干すと、カーッとおっさんみたい声を上げた。まさかこいつに女心を説かれる日が来るとは。そんなに複雑で、受験の出題傾向より大きく変動しそうなものを学ぶ気力は起きない。と、今までの僕なら思っていただろうが。


 大事なことを思い出す。

 目の前にいるユヅキは、家族であり、幼馴染であり、無二の気心の知れた仲でもある。言いにくいことでもすべて話せと言われてるし、伝えておくいいタイミングかもしれない。

 僕は寝転んだ姿勢のまま、リビングテーブルの前に立つユヅキを見上げた。


「言い忘れてたけど。今日、カノジョができた」

「出た、真顔で嘘のやつ」

「いや、本気のやつ。ユヅキにはちゃんと報告しておこうと思って」

「はいはい……えっ?」


 目が合ったユヅキは手に持っていた空のグラスを落とす。強化ガラス製グラスは鈍い音を立てるも、テーブルの上をごろごろと回転しただけで割れてはなさそうだった。

 慌てる素振りもなく、ユヅキはそれを拾い上げながら、


「へ、へぇ、ふぅん。そうなんだぁ。……どのゲーム? 勧誘されたアプリって恋愛シミュレーション?」

「ゲームの話じゃないって。勧誘されたけどインストールせずに逃げたし」

「……あ、別のアプリだろ。マッチング系のアレ、だいたいサクラかネカマだから、かっ、勘違いすんなよ?」

「勘違いじゃないし、今日デートして告白されたんだよ」

「て、てことは、さっきのデートって……」


 それで無言になったユヅキは、静かに麦茶のボトルからおかわりを注ぎ足す。が、すぐにグラスの縁からダラダラとあふれ出した。


「ユヅキ、こぼれてるこぼれてる」

「……あ、うん。マジか。……ちょっと待って……オエ゛ッ」


 ドンッとボトルをテーブルに置くと、ユヅキはすごい勢いでリビングを飛び出していく。すぐに廊下の方から嗚咽おえつが聞こえた。

 慌てて様子を見に行くと、トイレの便座に覆い被さるユヅキがいた。


「ヴォエっ……くうぅっ……」

「大丈夫か? こんな猛暑日になにを拾って食べたんだ?」

「み、見んなっ。……オエェ……」


 言われて、トイレのドアをそっと閉める。普段からあられない姿を見ていると言っても、嘔吐おうとする乙女の後ろ姿を眺める趣味はない。だが同居人がいきなり吐き気をともなう病気を発症したとすればこちらも気が気じゃない。衛生的な瀬那家では考えにくいことだが、さいあく食中毒の可能性だってある。

 心配して何度か声掛けしたところで、扉越しのこもった声がようやく返ってきた。


『……さっきの、本当に嘘じゃない?』

「さっきのって、カノジョの件? それは本当だけど」

『相手、だれ……? 学校のやつ? あ、ありえないけど主力勢とか』

「同じクラスの鈴穣遥佳ハルカさん」

『うわぁあああああっっ!!』


 突然、悲鳴のような声がトイレからあがる。事件かと肝を冷やすも、この密室には僕の知るかぎり一人しかいない。


『ふざけんな! なんでだよっ、ムリだろ普通!……ううっ、マジ無理ぃ!』


 トイレの中でユヅキのブチギレる声が響き渡る。思い当たる理由のひとつはすぐに浮かぶ。クラスの誇る二大巨頭のひとり、学年カーストトップの美少女とボトム層の僕が付き合うなんて、たしかに釣り合わない。ましてやユヅキは彼女らに心酔しているところがある。怒り心頭に発するのも致し方ないだろう。

 少し落ち着いたところで、再びトイレからユヅキが問いかけてくる。


『もう、シたのかよ……?』

「した?」

『セックスだよ!! シたって聞いたらセックスだろうがふつう!!』

「ちょ、ユヅキ。近所に聞こえるからもうちょっと声抑えよ?」


 した?って聞かれたら、普通は宿題かテスト勉強だろ。必死にしてても「全然してないわーヤバイわー」ってうそぶくところまでがセット。あの問答を定期的に繰り返す意味が僕にはちょっと理解しがたいが。


「付き合った当日でするわけないだろ。初カノジョでそこまで貞操観念バグってない」

『は、初、カノ……。なら、キスはっ? したんだろ?』

「しないけど。相手はあの鈴穣さんだよ? そんなホイホイと」

『じゃあ手はっ』

「手は、まあ繋いだけど」

『くっそぉおおおおっっ!!』


 バンバンと内側から鈍い音が聞こえてくる。たぶんユヅキがトイレの壁を殴っていた。

 普段の鈴穣さんだって、教室で志々芽シシメさんとかクラスのお友達とふざけて手を繋いだりしている。いくらその光景が羨ましかろうが、ここまでヒステリックにならなくても。


「でも実際のところ、お試し期間、っていうか」

『…………お試し期間?』

「あっちが言ってきたんだよ」


 ほんの一時間ほど前。夕焼けに染まる展望ビルで、僕は鈴穣さんに告白された。


『愬等くんのことが大好き。……私と、付き合ってください』


 その真摯な言葉を受け止め、だが僕が返事をする前に、彼女はこう付け足した。


『……ズルい、かな? このタイミングだと、愬等くんの方が吊り橋効果にかかっていてもおかしくないもんね……』

『いや、そんなことは』

『で、でも! お試し期間でいいから。もう少しだけ、私のことを知ってほしい……』


 あの鈴穣さんにそこまで言われて、無碍にできる男はこの世に存在しない。

 仮にフってしまえば、本来なら一生に一度もない奇跡的チャンスをふいにした愚か者。陰キャの分際で鈴穣さんをフるなんて調子に乗るなよ? と逆に責められ、クラス八分はちぶに追い込まれるのは目に見えている。

 ただし、これは一般論。僕はそんな些事は気にならない。村八分になろうが、九分九厘まで追い詰められようが独りで足掻ける自信がある。

 今考えると、展望ビルでいろいろあった流れなので、彼女なりに一人で盛り上がりすぎたと感じた面があったのかもしれない。だけど同時に、僕の臆病な部分、尻込みしている理由を正鵠せいこくに見抜いているようにも思えた。

 鈴穣さんの告白を受け入れたのは、僕自身の本心が、彼女をもっと知りたいと思ったから。彼女の想いを心で感じ、その真剣さに向き合いたいと思ったからに他ならない。

 でも——


「特殊な状況だったからな。もしかしたら、すぐにフラれるかも」

『…………』


 かれこれ5分ほど経つも返事はない。すでに小窓から脱出していて、僕は無人のトイレにひたすら語りかける変人と化した可能性が急浮上した。

 と、そこで内側からトイレの流れる音が聴こえる。バンッと勢いよく扉を開けたのは、すっかりといつもの威勢を取り戻したユヅキだった。


「よく考えたら、手を繋ぐくらい普通だよな」

「うん、過剰反応すぎて逆にビックリした」

「それじゃあ、明後日までな。お試し期間」

「えっ?」

「明日は敬老の日で学校休みだろ。明後日行ったら、ちゃんと丁寧にお別れしろよ」

「おい、なんでそれをユヅキが決めるんだよ」

「当たり前だろ?」


 さっきまで嘔吐していたユヅキは、メガネをクイと直して、堂々と言い放つ。


「うちはあんたの義姉で、うちの命令は絶対なのっ!」

「なっ——」


 反論しようにもバシンと口を押さえられる。そのまま、ユヅキは眼で威嚇すると、振り向きざまにさっさと階段を駆け上っていった。


「……いや、どういう上下関係だよ」


 そんな指図がまかり通れば僕の境遇は変身前のシンデレラと並ぶ。

 無理を通して道理を蹴っ飛ばすような発言を残して部屋へと戻るユヅキ。僕が居候の身だとして、その生殺与奪権をユヅキが握っているわけじゃない。ただのわがままだということは、彼女自身が一番わかっているはずだ。


「ここまで溜まってたとは。ちょっと、やりすぎたかな……」


 僕には、ユヅキの本心がわかってしまう。

 幼馴染は、昔から嘘を隠そうとしてボロを出すヤツだった。

 義姉は、口は悪くても本音の出るヤツだった。

 これだけ長い間一緒にいるのだから、気付かないわけがない。だけど、気付かないフリをしないといけなかった。

 ここ最近のユヅキは、くすぶっていた感情を表に出すことが増えていた。だからこそ、彼女にとって辛い選択を躊躇するわけにはいかない。伝えないといけない。うみを出さないといけない。そして、

 気付いてはいけない——その願いは叶わないのだから。

 僕たちは、家族なのだから。

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