第17話 二人分の彼女
「どうしてここいるの、
「
声掛けで集中が途切れたのか、僕の存在を思い出した鈴穣さんは体育会系の威勢で発破をかけた。それでも視線は
色の変わった
もしかして鈴穣さんも魔法少女なのか? それならあの相手と互角に渡り合えたのも納得できる。自分にバフをかけて肉体強化していたとか、魔法の力を闘気に変換して
しかし、彼女が魔法少女だった可能性はないように思う。志々芽さんよりはうまく隠せるだろうが、一連の流れを見ても不自然な素振りはなく、人型の影の存在自体も知らなかった様子。そうなると、相対するシャドウの正体については——
「鈴穣さんに、そのシャドウの顔は見えてる?」
「……シャドウ?」
「んんっ。えーと、人型の影を便宜上わかりやすく言いやすく——」
僕は彼女の顔を貼り付けた存在とネーミング由来を早口でまくしたてる。賢い鈴穣さんはなるほどと頷いた。
「ううん。顔はなくて真っ黒。というより、深淵みたいな真っ暗かも。……愬等くんからはこの、シャドウ? が、私の黒タイツ姿に見えるの?」
「そんな感じ」
「髪の毛は出てる? コミカルな見た目じゃない?」
「大丈夫。ふんわりとした髪型のシルエットもあるし、黒曜の彫刻みたいな感じ。しっかり美人で庭に飾りたいくらい!」
「黒塗りしてても問題にならないっ!?」
「大丈夫! 影には流石のポリコレも手を出せないよ! 全人類の共通項だからね!」
勢いよく疑問を解消していく。どうでもいいところにこだわる鈴穣さんだった。ナルシストってそこなのかと会得した。
褒めた部分が響いたのか満更でもない表情を浮かべるも。鈴穣さんはすぐに気を引き締めて、相対する自分のドッペルゲンガーをあらためて見据える。だが、彼女の目には志々芽さんと同じようにのっぺらぼうの人影としか映らないようで。
「……やっぱり、ただの影だよっ。どうして私たちを襲ってくるの?」
「わからない! 前に見かけたときは、むしろ助けてくれたのに!」
緊迫した状況に、鈴穣さんの声もだんだんと焦りの色を帯びる。僕の声は叫びすぎて枯れそうになっていた。すでにデートが遠い日のよう。
別世界から離脱するには、このシャドウを倒さないといけないのか? 今はこうして敵対しているものの、以前には降ってきたトラックから命を救われている。その上、鈴穣さんの端正な顔を貼り付けているのだ。よっしゃ倒すぞと意気込めるムードは沸き起こらない。
どうすればいい。なんとかこの場を平定できないだろうか、ともう一度強襲者の姿を見やる。しかし、シャドウはすでにこちらを気に留めておらず、なぜか周囲を警戒する挙動を見せた。
突如としてフロア全体に影が落ちる。積乱雲でも差し掛かったかとガラス窓の外を見るも、不機嫌な空は雲ひとつない。
ただ、そこにあったのは——
その刹那、奥の一帯が剥ぎ取られる。大音量のスピーカーが弾けた轟音と共にフロアがぐわんと揺れ、飛び散るガラス、吹き飛ぶ瓦礫。同時にビュウウッと身体を押し除けるような突風が流れ込んできた。
「———ッ!!」
鈴穣さんとお互いに捕まって衝撃に堪える。揺れがおさまり徐々に視界が戻ると、目の前に見えたのは、無惨に崩れたデッキにねじ切れた鉄柱、バチバチと火花を落とす照明。大きな展望ガラスだった一面がぽっかりと空いて、今度はしきりなく濁った空模様が広がっていた。
問題はこれが、自然災害でも、手の込んだドッキリでも、爆破テロでもないことで。
「マ、マジ……?」
「お、大っきい……」
ズゴゴゴゴゴ——と、存在しないはずの効果音すら聞こえてくる威圧感。
以前ショッピングモールを破壊した巨大シャドウを見たときのデジャビュかと思えば、今回はその更に倍ほどもあるダイダラボッチの影。
展望デッキの一部を剥ぎ取り、ゆったりとした動作で覗き込んだのは——
超大型シャドウだった。
その日、人類は思い出した。
ヤツらに支配されていた恐怖を……。
鳥籠の中に囚われていた屈辱を……。
「しっかりして、愬等くん!」
「ハッ! 意識が飛んでたっ!」
鈴穣さんに揺すられて
「これは、夢?」
「えっ。じゃあ私、夢の中で愬等くんとデートしてたの?」
「きっとそうだよ。緊張してなかなか寝つけなかったし」
「私も! 遠足前みたいにワクワクして、だからおかしな夢を見ちゃってるのかな」
「あるあるだね。さっ、そろそろ朝だよ」
二人してお花畑になるも、いくら現実逃避をしようと悪夢は覚めてくれない。
こうなったら、いい加減僕も覚悟を決める。鈴穣さんの手前、かっこ悪いところばかり見せるわけにはいかない。
「ひとつだけ秘策がある」
「えっ愬等くん、秘策なんてあるの?」
この状況からでもやれる秘策があるんですか!? と鈴穣さんの顔に希望が宿る。
「うん……弱点を突く」
「弱点っ! そんなものがあるのね!」
「そ。正面から思いっきりブッ飛ばす!」
「それ正攻法だよね……」
でもあんなに遠くまで攻撃は届かないね。と鈴穣さんは展望ビルの外に立つ巨大シャドウとの位置関係を把握して、現実的な課題と向き合いはじめた。そもそもあんなやつに敵わないよねと言わないだけ、彼女は現実逃避の部分が覚めていないらしい。
いや、別にふざけたわけじゃなく、たしかに志々芽さんがそう言っていたんだ。想いを乗せた拳に火事場の馬鹿力や友情パワーみたいなものが付与されて、きっとこの土壇場で発揮されるに違いない……ちくしょう! 僕の現実逃避もまだしっかりと覚めてない!
僕と鈴穣さんの視線が、再び動き出す影を捉える。こちらを覗き込んでいた超巨大シャドウは、巨大鉄球みたいな拳を持ち上げると、それを大きく振りかぶった。
その動作は、ビルを殴り倒すための助走をつけたようで。
「いやっ、これは死ぬだろ!」
死——
一瞬にして浮かぶ、残酷な一文字。
享年15歳。目標の百歳まであと85年も残っているのに、必死に貯めた財産を放棄して、若い
苦難の多い生涯を送ってきました。
僕には、普通の高校生らしい生活というものが、見当つかないのです。いきなり訪れた一家離散からの天涯孤独。救いはあったものの、いつも不安に
「くぅううううっ…………っ!!」
鈴穣さんを覆うように頭を伏せて、襲いくる衝撃波を耐え凌ぐ。
しかし、いつまで経っても破壊的な暴力はやってこない。これはつまり、痛みもなく、逝くことができたのかな。鈴穣さんと天国に行くには徳も金も積み足りてないけど、神様っ! どうか僕の不幸な生涯とバランスをとって、死後の世界くらいはせめて……!
「ユクエ? あれ、ハルカも?」
「…………え?」
聞き覚えのある声が頭上から降りてくる。
顔を上げると。目の前に立つのは、純白のフリルドレスに天使の翼を生やし、スラリとしながらもボリュームのある胸元。艶のある赤い長髪に、金色メッシュ。
祈った神とは違えど、窮地で救済を差し伸べる
「
「ち、ちげーから! アルティメット魔法少女!」
「あー、はいはい。アルティメット魔法少女さん。助けにきてくれたんですね!」
僕は勘よく察する。鈴穣さんのいる手前、ピンチに現れた謎の魔法少女を演じる志々芽さんに乗っかった。
その言葉を聞いて、腕の中で固まっていた鈴穣さんがゆっくりと頭を上げる。
「カノンがいるの……? ……えっ、だれ?」
「アルティメット魔法少女、登場っ! クラスのみんなには、内緒だよ!」
明らかにインスパイアされた決め台詞と共にノリノリでポーズをとる志々芽さん。絶妙に正体がバレそうなセリフで少しハラハラする。
僕からはどこからどう見ても志々芽さんにしか見えない。だが魔法少女のコスチュームに認識阻害の魔法がかけられているため、鈴穣さんには彼女と認識できないようだった。往年の魔法少女モノと同じくプライバシーに配慮された設計になっていて、しっかりと都合がいい。
「えっと……私たち、助かったの?」
「あ、そうだ。あの超大型シャドウは? 魔法少女さんが倒したの?」
さっきまで辺りを覆っていた巨大な影の陰は晴れ、それでもまだ
「そ。正面からブッ飛ばした」
もちろん、
「なにそのポーズ。ま、あのシャドウのおかげで間一髪だったケド」
アルティメット魔法少女こと志々芽さんは、あごをクイッとしてその方向を指す。示した先に転がっていたのは、ぐったりと座り込んだ人型の影。鈴穣さんと同じ顔で、その表情はどこか安堵しているようだった。
「シャドウが、助けてくれたの……?」
鈴穣さんは確かめるような顔をする。先ほどまで死闘を交えていた相手が、まさか自分を救ったなんて即座に受け入れるのは難しいだろう。
だけど、僕に驚きはない。すでに一度助けられただけでなく、超大型シャドウの初撃を含めて僕たちに怪我ひとつない理由を、しっかりと見届けていた。
散らばるガラス片や飛んでくる瓦礫を払い除け、迫りくる超大型シャドウの拳に向かって、二足を駆けて飛びかかる鈴穣さんのシャドウ。明確な意思を持って行動する、彼女の姿を。
思い返してみると、僕が膝を擦りむいたことがきっかけなのかもしれない。トラックから僕を守ったときのように、誤報パニックで傷ついた僕の元へと救出に現れた。その際、僕の隣にいた鈴穣さん本体を敵と認識して襲ってきたと考えれば、一連の顛末として合点がいく。
「こうして無事なのが証拠だよ。あのシャドウは、いや、彼女は、僕たちを守ってくれたんだ」
「ホント、ガチ焦ったけど、助ける時間をギリ稼いでくれたかんね」
「そう、だったんだ……」
鈴穣さんは納得したのか、今度は自分のシャドウに聖母のような眼差しを向ける。真剣に拳を交えると、やはり相手の人柄とかそういう繊細な部分に気付けるのだろう。
「で、でも……。どうしよう、もうほとんど動けないみたい……」
「あーね。ボス戦で
心配する鈴穣さんに対し、志々芽さんがゲーム感覚の診断を述べる。僕が助けられた過程とか実はシャドウが鈴穣さん姿とか重要なあれこれを知らないので、彼女はひとりだけあまり感傷的になっていなかった。このままだと、とどめ刺そっか? と言いかねない。
僕は志々芽さんとシャドウの間に入ると、
「魔法少女さんは、彼女も倒すのか? 僕たちを守ってくれたんだから、なんとか見逃せないかな」
「いや、倒さないっつの。あのシャドウ……ううん。あの子、悪いやつじゃないし」
空気を読むでもなく、志々芽さんは当たり前のように答える。物事の伝え方は軽く聞こえても、その正義の目はたしかな真実を見通していた。疑った僕が愚かで、それが普段通りの彼女の在り方なのだ。
「じゃ、じゃあっ、助ける方法はないの? 私にできることはない?」
「それは、ゴメン。わかんない……倒したコトはあっても、世話したコトないし……」
「そんな……っ」
志々芽さんの返答に、鈴穣さんは愕然としてシャドウを見つめる。その絞り出すような声は、同情でも喧嘩で育まれた友情でもなく、もうひとりの自分と向き合えた繋がりを失ってしまう憂いを帯びて聴こえた。
鈴穣さんのシャドウが生まれた原因はわからない。それまで志々芽さんは魔法を使っていなかったし、以前に真相を問い詰めたとき、グリモンはなにもしてないと答えた。額面通りに信じるならば、なにか別の原因があったのだろう。
しかし、何度も見てきた彼女の表情が、生み出された理由をつまびらかに語っている。
今日のデートで鈴穣さんが何度も見せてくれた、温かく、慈愛に満ちたそれを思い出す。夏休み終盤にふらりと喫茶店に訪れたとき、
鈴穣さんのシャドウ——もうひとりの彼女は、
きっと、僕を想ってくれていた。
シャドウの元へ、僕は近付いて膝を落とす。
動かなくなってしまった彼女は、今にも消え入りそうなほど儚い。しかし、その顔を少しだけ上げて、僕を見た。
感情によって生み出された人型の影。彼女に言葉は発せない。だけど、その表情はしっかりと語りかけてくる。
『愬等くんが、無事でよかったぁ』
「ありがとう。何度も助けてくれて」
『いいの。私が、勝手にしたことだから』
「ううん、勝手じゃないよ。君がいなかったら、僕はここにいないんだから」
『困らせて、ごめんね』
「謝らないでよ。おかげで、一生忘れられない初デートになった」
『でも、邪魔しちゃった』
「なに言ってんの。これは君とのデートなんだよ」
待ち合わせ、水族館、ファーストフード店、図書館、展望ビル。その合間の移動中も。
目の前にいた鈴穣さんとリンクして、ずっと彼女の表情がそこにあった。
何度も重なって、何度も微笑んだ。
僕たちは、今日一日を楽しく一緒に過ごしたのだ。
「ねえ、もうひとりの私」
彼女の傍に、その手を握って鈴穣さんがそっと寄り添う。優しい瞳は、ただののっぺらぼうを見つめておらず。鏡写しの自分と、互いに見つめ合っていた。
「安心して。ずっと一緒だよ」
『……うん。……愬等くんを、よろしくね。もうひとりの私』
そうして彼女は、音もなく光の粒になった。さらさらと美しい瞬きは、雪の結晶みたいに展望フロアの空気に溶けていく。
僕はその最期を見届けた。もうひとりの自分と手を取り合い、消える直前の表情は、とても満足そうで——
普通の女の子として、魅力的な笑顔で消えていった。
「……彼女は、鈴穣さんの生み出した気持ちだよ」
「うん……。ちゃんと気付いたよ」
「最期は笑ってたね」
「うん。それも、ちゃんと感じた……」
僕たちを囲むように、破壊のない展望デッキはがやがやとした喧騒を取り戻していた。横切る人たちが
いつの間にか志々芽さんの姿は消えていた。魔法少女としての使命を終えて、
「……そろそろ立とうか?」
「う、うん。……ごめんなさい、なんだか気が抜けちゃったみたいで」
「手を貸すよ」
鈴穣さんの細い手を握り、二人して立ち上がる。そのタイミングで、辺りを柔らかな光が照らした。僕たちの街の新名所、展望ビル名物の夕焼けタイムが訪れたらしい。こちら側が眺望の一等地らしく、四方八方から観覧客が殺到する。
人
遠く山の方へと落ちていく太陽が、なんでもなかったはずの景色を幻想的に塗り替えていく。地味だとばかり思っていた街が、綺麗に整備された自然、道路の流れから建築、家屋の配置まで実は計算されたものだと気付かされる。こんな美しい街に住んでいたのだと初めて知った。
隣に立つ鈴穣さんを見る。白のワンピースが、夕陽に照らされて、燃えるようなオレンジに染まっている。ベージュのふわりとした髪も、白い肌も、燦然と輝いていた。
清楚なだけの女の子はきっといない。今日一日を通して知ったのは、本当の彼女は勇敢で、少し天然なところがあって、素直な感情を表に出せる情熱的な子だということ。そんな内面は、外から見える姿よりも遥かに魅力的だった。
その鈴穣さんは、僕の視線にはたと気付いたようで。
「本当に、一生忘れられない初デートになったね」
「……散々なデートだったと思う?」
「ううん。愬等くんだって、そうは思わないでしょ?」
僕は首を振る。思うわけがない。とんでもない一日ではあったけど、すべてが繋がって、本当に意味のあるデートになった。
だけどそれは、僕がもたらしたものじゃない。鈴穣さんが一生懸命準備してくれたおかげ。そして、彼女たちが助けてくれたおかげで、楽しいことも怖いことも、悲しいこともあったけど、絶対に忘れることのない経験だった。
同じ気持ちを共有して。鈴穣さんは鈴を転がすような声で、僕に問いかける。
「ね、吊り橋効果って、知ってる?」
「一緒に恐ろしい体験することで恐怖心を恋愛感情と錯覚する、みたいなやつだっけ」
「そう。でも……私の気持ちはそれとは違うよ」
今日はただ、気持ちが深まっただけ。と彼女は一度、視線を夕陽に向ける。その横顔はオレンジ色に染まりながらも緊張の色を帯びて見えた。繋いだままの彼女の手にギュッと力が入る。
「私は愬等くんが、好き。ずっと前から好き。気付いたときから、他のことが見えなくなるくらい、すごく好きなの……っ」
炎の揺れる瞳でこちらを見つめて、彼女の言葉は止まらなかった。鈴の転がる音がどんどんと力強さを増していく。その姿に、もうひとりの彼女が重なる。
鈴穣さんは、二人分の想いを口にした。
「愬等くんのことが大好き。……私と、付き合ってください」
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