第15話 デート

「クマノミって、ボスのオスがメスになって子を成すんだって。いん踏んでるっていうか、早口言葉みたいだね」


「チンアナゴって、地中にいる一つの個体からそれぞれ意思を持った触手みたいでキモいね」


「クラゲって、なにも考えないで漂っているように見えるけど、ほとんどの人間よりよほどライトアップされて生きてるよね」


「……あ、ごめんね鈴穣スズシゲさん。一人ではしゃいでて」

「えっ、ううん。愬等サクラくんが楽しんでくれて、なんだか私まで嬉しくなっちゃう」


 ひとりで喋りすぎた。どこかぼーっとした様子の鈴穣さんを隣に、僕はひっそりと反省する。


 商店街から2ブロックほど離れたところにある、近場の市立水族館。

 鈴穣さんのデートプランでは前菜アペタイザーのつもりらしいが、すでにメインディッシュくらいの満足感がある。県外から客目を惹きつけるほど人気スポットじゃないものの、趣向を凝らした展示や丁寧な注釈など世話する職員の熱心が伝わる館内で、僕は娯楽に飢えた子どもみたいにテンションが上がっていた。


 このような娯楽施設を訪れる機会は、思春期の義姉ユヅキが家族旅行を敬遠しがちになって以降ほとんどない。今年の夏休みは珍しくそのユヅキと動物園に出掛けて、猛暑でけた肉の匂いに猛獣を興奮させたりもしたが。その点、水族館は落ち着いた照明に冷房が効いていて快適そのもの。初めて気付いたけど、思いのほか僕は海の生物が好きらしい。


「この街に住んでると定番のデートコースだから、もしかしたら退屈させちゃうか心配だったんだけど、よかったぁ。正解だったみたいだね」

「ふーん、定番なのかぁ。初めて来たし、デートなんてしたこともないからすごく新鮮」

「ええっ? へ、へぇー。そうなんだぁ」


 深海魚コーナーの最中、暗めの照明で表情は伺えないが、鈴穣さんは機嫌のよさそうな足取りで隣を歩いている。行き慣れただろう定番を差し込んでくるあたり、彼女も水族館がお気に入りらしい。鈴穣さんの落ち着いたイメージにピッタリと合致した趣味である。


「この水族館で、鈴穣さんのイチオシっているの?」

「えっ、どれだろ。私も初めて入ったからなぁ……」


 でもこの子たちダンスしてるみたいで可愛い。と鈴穣さんは、小さな水槽に展示された熱帯魚を指差す。説明を読むと交尾の仕草らしかった。


 さほど広くない施設なので、一時間もすると一周して戻ってきてしまう。これならもう少しゆっくり眺めてもよかったと思うも、入場料は市の委託運営だけあって小学生もニッコリの激安価格プライス。また今度リラックスしたいときに訪れようと心に誓った。


「あっという間だったね。……愬等くんは楽しめた?」

「満喫。おかげで素敵な場所を発見できたよ」

「そっ、そう。よかった。それで、次はランチなんだけれど」


 水族館を出て、周辺にある有名チェーンのファーストフード店へ。ヴィーガン御用達ごようたしのオーガニック専門レストランだったらお高そうだなと戦々恐々していたので、高校生の身の丈にあった行き先にこっそりと胸を撫で下ろした。


 中心地から少し外れるとはいえ、日曜の混み合った店内で、絶世の美少女とテーブルを挟む。

 アンバランスな組み合わせは少なからず人目を引いており、目立たずを実践してきた僕の信条にすっかり反していた。かといってここで臆病な態度を見せると、相席する鈴穣さんの立場に傷がつく。デート相手として恥ずかしくないよう、せめてもの悪あがきで背筋を伸ばして胸を張った。こんな見栄が学校の人間に見られてないといいけど。


 余計なフラグを立てつつ、二人して紙袋に包まれたハンバーガーをかじりながら、


「鈴穣さんのことだからてっきり、開放的でアンティークなカフェレストランとか、洒落しゃれたバーに案内されるものかと」

「バーは未成年だし流石に……。普段、親のお小遣いで遊んでいるのに、背伸びしてもしょうがないでしょ?」

「ごもっともだね」

「リゾートバイトのお給料もあるし、少しくらい奮発してもよかったんだけど」


 せっかく貯めたお金だもの、大事なときのためにとっておかないとね。と彼女は未来志向の素晴らしい考えを披露する。このお手本を学校中の壁に掲示できないものだろうか。


「リゾバね。その節は、本当にお世話になりました」

「ううん、こちらこそ。愬等くんの手際がよかったおかげで、初めてのアルバイトでも困らなかったよ?」

「そう? 社会の歯車になってるときは、どうにも記憶が曖昧で」

「あの旅館、かなり健全ホワイトな環境だったよね……」


 偶然にも彼女や志々芽シシメさんのグループとご一緒することになった夏の一幕を思い返す。ハチャメチャなハプニングが重なり、トラブル頻発のリゾートバイト期間だった。関わりは多くなかったものの、彼女の影ながらのフォローがなければあれほど円滑に仕事を回せはしなかっただろう。

 それに、役得というか、合間の休憩では二大巨頭の水着姿を同時におがむことが叶った。高校生離れした健康的なスタイルはモデルも顔負け。今まで降りかかった災難は、すべてこの徳のためだったのではなかろうか。しかしこの事実がほかの男子に知れ渡れば、悔しさのあまり血の涙を流すやつらが続出しそう。とデスゲームのごとく凄惨せいさんな教室を思い浮かべた。


 音も立てずにシェイクをすする鈴穣さんを眺める。絵になる光景というのは、たぶんこういう感じ。額縁で飾ればすぐにモナリザほどの価値がつく。


 彼女が僕を誘った理由は、会話を総括するとリゾバのお礼を兼ねているのかもしれない。記憶に深く潜ってもそのくらいしか思い当たる節がなかった。でなければ学校で擬態する僕を、わざわざデートに誘った辻褄つじつまが合わない。学園ラブコメのように前触れなくモテ始める天変地異は起こるはずもなく、まさか過去に生涯を契っていたみたいな運命もありえない。


 ふと、ストローを離した鈴穣さんと目が合う。


「ん? なぁに?」

「ごめん、頬っぺたにソースが付いてるの気になってて」

「ええっ!? そういうのってすぐ指摘されたり、そっとぬぐってもらえるものかと思ってた……」


 そんな恐れ多いことできるわけない。その油断した姿も芸術の一部なのだ。


「愬等くんって、学校での印象通り変わってるよね」

「ええっ!? そういうのって、意外と違うねって言われるやつだと思ってた……」

「だって、こういうキャラクターだって知ったの、今日が初めてだもん」

「幻滅した?」

「ううん。知れてよかった」


 窓ガラスの外では炎天の日差しが陽炎かげろうを生み出している。それほど暑いのなら、この店の冷房が唐突に壊れたとしても仕方がない。

 名画のように微笑む鈴穣さん。これ以上直視するのは熱中症を悪化させる気がして、僕はストローをズズッと啜った。


***


 デートと言われてパッと思いつくのは、遊園地や動物園・水族館、映画館にカラオケ、ボーリング、ゲームセンター。ショッピングモールを練り歩いたり、公園でのんびりとピクニックしたり、この時期ならまだプールもあり得る。少し大人びて、プラネタリウムなんかも選択肢か。ダークホースでまさかのお家という可能性も。僕の浅はかなデート知識で、よくこれだけラインナップできたものだと胸を張りたい。


 このだるような暑さ。長時間の野外は躊躇するし、屋内でも人目の多いところはできるだけ避けたい。なにしろ一緒にいる相手は、ヘイト調整した囮役タンクくらい注目を集める清楚系美少女の鈴穣さんである。僕といたせいで不名誉な噂が学校中を駆けめぐるのは本意じゃない。どう誘導すればいいものか。


 プランを先読みしようと取り越し苦労の考えを巡らせていたところ。

 鈴穣さんの案内先は、予想を裏切る場所だった。


 予報通り猛暑日の気温まで太陽に照らされた午後。

 僕たちは、徒歩移動の火照ほてりを冷ます冷房完備、調べ物からテスト勉強、食べられる野草図鑑の貸し出しまで幅広い用途に対応する入場無料の公営施設。要するに、図書館へと訪れていた。

 デートにまで勉強時間を設けるなんて、鈴穣さんはまことなる学生の鏡。二宮金次郎と並べて銅像を建てたいくらい——


「もしかして、僕に気を遣ってる?」


 とまあ、ここまでくれば彼女の構想も見えてくる。

 懐かしの児童書コーナーをブラブラしていたタイミングで、僕はその真意を尋ねた。


 市営施設、ファーストフードに続いて図書館。懐事情に優しい、これぞ高校生身分に合ったデートプランで立案者の人柄がよくにじみ出ている。だがそれ以上に、これらのチョイスは、人目を避けたい僕に


 思い返してみると。水族館はある程度休日の賑わいだったものの、主な客層は子供連れの家族で、学生カップルはほとんど目にしていない。いたとしてもあの暗くムーディーな照明の中で、顔を認識できるくらいじっと眺め続ける野暮は難しく。そもそも初心うぶなデートの最中、他人を気に掛ける余裕もないだろう。

 人目を引いたのはセンター街での待ち合わせくらいで。それも、その後の行き先が図書館となれば、成績優秀なクラスメート同士で一緒に勉強ならまあ仕方ない、と言い訳の立つ仕組みになっている。


「って考えたんだけど……深読みしすぎかな?」

「ううん、ご名答。学校での愬等くんを見てたら、注目されるの嫌かなって」


 大部分を静寂が支配する図書館内で、鈴穣さんは音もなく小さな拍手を送った。たかがデートコースの考察で、知能犯と推理レースした気分になる。


「混む時間帯とかいろいろ調べて、できるだけ穴場で選んでみたんだけど、地味だった?」

「いや、僕の理想。ありがとう。でもこんな縛りプレイみたいなプラン。考えるの大変だったでしょ」

「そうでもないよ? テスト勉強もだけど、私、計画を立てたりするの好きみたい」


 言いながら、鈴穣さんはげていたバッグからメモ切れを取り出す。元は白紙だったであろうそれは、僕から全面の黒が透けて見えるほどにビッシリと書き込まれている。

 スマホでメモ派の僕は、それを見てつい余計な茶々ちゃちゃを入れた。


「下調べが入念だね。とりあえず思いつくままに羅列した感じ? ひとりブレインストーミング的な」

「ううん、これは清書。ほかに快晴時と雨天時用、途中災害が起きた時用もあるよ」

「へ、へぇ。リスクマネジメント能力高いね」


 加えてFBIやCIA並のリサーチ力。こんな地方中都市にそこまで書き込めるほどのデートスポットがあったかな。


 しかし、ここまで周到なプランを準備していたとなると、偏屈な僕でも彼女の本気の部分に気付けてしまう。最初誘われたときには想像もしなかったことだが、鈴穣さんは、僕とのデートを楽しみにしていたらしい。

 その理由を、単なるお礼の気持ちと矮小わいしょう化するほど鈍感にはなれなかった。


 隣接された持ち込み専用の飲食スペースへと場所を移し、自販機で買ったドリンクで休憩をとる。

 あくまで飲食のみ推奨されているためか、館内で散見された受験勉強に励む先輩方の姿は見当たらず、僕と鈴穣さんの二人きりで独占した感じになる。


「実はね、前に愬等くんがアルバイトしてるところを見かけたの」


 紅茶ラテのペットボトルを両手で抱えながら、鈴穣さんが話題を切り出す。


「喫茶店の?」

「うん。あの隠れ家みたいなお店。だから、なにか事情があってお金を稼いでるのかなと思って」


 お財布に考慮されたデートコースの理由はそれだったか。細部まで行き届いた、彼女らしい気の利きよう。将来は大手企業の社長秘書なんかになっていても納得できる。僕が人事ならコンマ1秒で顔採用してしまう。


「事情というほど大したものでは。将来のための資金。鈴穣さんも言ってたけど、大事なときのためにたくわえておかないとね」

「それでも、高校一年生のうちからなかなかできないことだよ」


 それを言うなら鈴穣さんもリゾートバイトに精を出しているわけで。一方で、陰ながらの努力を認められて嬉しい気持ちもある。鈴穣さんは男を褒めて伸ばすタイプか、甘やかしてダメにするタイプのどちらだろう。僕は褒められて伸びるタイプか、甘やかされてダメになるタイプのどちらだろう、とかどうでもいい妄想を一瞬で済ませた。


「あの喫茶店は縁故採用みたいなものだし、鈴穣さんが思ってるほど大変じゃないけどね」

「そうかなぁ……。そういえばあのお店、看板見かけなかったけど、どんな名前なの?」

「さぁ? 僕も常連さんも喫茶店としか呼んだことないなぁ」


 昔マスターが万感の思いで名付けたであろう秘密基地は、今や名もなき喫茶店として寂れた小道にしっぽりと佇んでいる。

 その切なさを想像してグッと込み上げるものをこらえていると、鈴穣さんは上目遣いでこちらの頭部に注目していた。


「もしかしたら今日は、髪の毛上げてくるかなって期待しちゃった」

「そんなところまで見られてたのか」


 急に恥ずかしくなり、目元まである前髪を撫でる。実のところ僕にしては珍しくヘアセットしたのだが、出発前にユヅキの手でグシャグシャにされていた。待ち合わせに遅れた原因のひとつでもある。

 以前も志々芽さんに指摘されたような。いっそのこと散髪してもいい気がしてきた。


 それにしても。鈴穣さんは喫茶店の存在を知っていたのか。

 となると、にも伏線があったわけか。


 鈴穣さんにそのつもりはないだろうが、僕としてはいろいろと種明かしされたところで、ずっと気になっていた本題へと移る。

 ここまでのデートを通して、ひそかに見極めようとしてきたこと。

 おかげでいくつか仮説は浮かんだものの、結論に至る重要なピースが欠けていた。


「鈴穣さん。この夏、なにか変わったことなかった?」

「変わったこと?」

「うん。奇妙な生き物が現れて、僕と契約して魔法少女になってよ、とか言ってきたり」

「なにそれ? アニメの話?」

「じゃあ、コナンの犯人みたいに真っ黒なドッペルゲンガーを見かけたことは」

「ドッペルゲンガーって自分のそっくりさんだよね。なんで全身黒タイツ限定なの?」


 もちろんないけど、タイツから髪の毛出てたかでだいぶ印象変わるよね。と鈴穣さんはあさっての心配をする。反応を見るに、質問内容にピンときていないらしい。

 ここで志々芽さんの事例を持ち出して、「グリモンと名乗る珍獣に、詐欺契約を持ちかけられなかった?」なんてダイレクトに問いただすわけにもいかなかった。

 嫉妬感情により無意識にを生み出した津田と同じように。鈴穣さんは非日常に片足を突っ込んでいて、詐欺の片棒を担がされていると気付いていない可能性が高い。


 夏休み終盤に現実世界の喫茶店を訪れ、あの日の別世界パラレルワールドでトラックから身をていして僕を守った人型の影。を、おそらく彼女は知らない。


 もし彼女とシャドウが遭遇してしまったら。

 ドッペルゲンガーの都市伝説を信じるなら、鏡写しの自分と出遭った者には、厄災が降りかかるという。事故、災害、あるいは死——

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