第14話 待ち合わせ

 日曜日。真夏をぶり返す炎天下。


 したたる汗をぬぐいながら、中心街まで続く整備された公道を、訳あって僕は全速力の自転車で駆け抜けていた。

 あの人を待たせるなんて、全人類・全世界・全事象を敵に回すようなもの。お天道てんとさんも怒りの紫外線を浴びせかけている。


 思い返せば、起床時間はアラーム通り。身支度を整えて優雅に朝食をとり、せっかく早起きしたのだから今日の分のブログでも書き溜めしておくかと熱中した結果、気付けばご覧のとおり。完全に自業自得だった。


 要するに、待ち合わせである。

 しかも相手はクラスが誇る清楚の権化、志々芽シシメさんに並ぶ二大巨頭の片割れ、鈴穣スズシゲ遥佳ハルカ。学校中の男子が羨む高嶺の花を、僕は身の程知らずにも待たせようとしていた。


「ごめんなさい鈴穣さん! 遅くなって!」

「あ、ううん。私が勝手に早く着いただけだから」


 商業のセンター街。賑やかな空間にぽっかりと穴が空いたみたいに、ひとり静かにたたずむ清楚タイプの600族レジェンドの元へ、フラフラと自転車を引っ張りながら近付いていく。辺りから遠巻きに眺める男たちの舌打ちが聞こえた気がする。


 清潔感のあるオフホワイトの膝丈ワンピースに身を包み、肩ほどあるベージュの美髪をふわりと巻いた鈴穣さんは、いつものように落ち着いた癒し系ボイスで疲弊ひへいした僕の様子を気に掛ける。


「汗だくだね。そんなに焦らなくても、待ち合わせ時間より早いのに」

「万が一にも鈴穣さんを待たせるわけにはいかなかったからね。チャリで来た!」

「……そのポーズはなぁに?」


 結局待たせてしまった反省にこぶしを握っていましめるも、逆に不自然すぎてツッコまれる。

 本来の予定では早めに着いて待ち合わせの目印になるつもりだったのに、かろうじて五分前到着に落ち着いてしまう。モデルのような鈴穣さんと違い、僕の存在感オーラだと休日の人だかりに埋もれたかもだが。


「時間前集合なんて流石、鈴穣さんだね。あ、でも汗かいてる。……もしかしてだいぶ待たせちゃった?」

「全然だよ。たかだか三十分くらい」

「ええっ!?」

「あ、嘘! 私もちょうど着いたところだよっ」


 焦ったようにバタバタと両手を振る鈴穣さん。取り乱すなんて珍しい。誤魔化さなくても、彼女は社会の模範となる人間なのでその教訓をしっかと胸に刻む。三十分前集合は基本で、今着いたと伝えるのは最低限のマナーなのだ。


 二人して駐輪場に向かい、自転車を置いたところで。

 鈴穣さんがあらたまって話し掛けてくる。


愬等サクラくん。今日は来てくれてありがとう。いきなり誘ってごめんね」

「よくわかってないけど、僕じゃなきゃいけない用事なんでしょ?」

「そ、そうなの。でも、愬等くんから尋ねてきてくれて助かったなぁ」

「日時と場所の書かれた紙切れ、最初拾ったときは怪文書かと思ったけど」

「あっ、それは自分用の走り書きで……」


 放課後の教室で。鈴穣さんのポケットから溢れた落とし物を拾い上げたところ、こうして頼み事の待ち合わせをするに至ったのである。その詳細な理由はわからないが、僕としても彼女には人知れず恩を感じているので無碍むげにはできない。

 なにやらモゴモゴと口籠くごもるも、待ち合わせのメモをわざわざ準備してくれたあたりに品行方正な鈴穣さんらしさが表れている。今日はいざ社会に出たときの心構えを学ぶつもりで付いていこう。


「それで、どこに行くの? このまま進むと商店街を外れるから、ショッピングの荷物持ちってわけじゃないのかな。もしかして僕の役割はボディガードとか弾除けとか」

「……あのね、愬等くんっ」

「どうしたの?」


 急に立ち止まった鈴穣さんは、意を決したように拳を握った。ふと教室で殴られたことを思い出して身を硬くする。


「実はこれっ、デートに誘ったの!」

「デート?」


 はて、耳慣れない単語だな。帰ったら辞典で調べてみるか。


「……デートって、まさか僕と鈴穣さんが?」

「う、うん。……嫌だった?」

「めっ、滅相めっそうもございません!」


 デートの意味を脳内で噛み砕きながら、降って湧いたようなオファーを受ける。非現実的な展開だが、俗世のイベントに興味を持ちたいお年頃でもある。正直言って、女の子からデートに誘われるのは男子のほまれ。断る理由がない。

 しかし、数多あまたの男子からりすぐり放題の詰め放題、才色兼備さいしょくけんびあわせ持つ鈴穣さんともあろうお方が、一体どんな気まぐれを起こしたのだろう。


「でも、僕なんかでいいの? 他に選択肢があったんじゃ。……まさか罰ゲームで脅されてるとか?」

「違うよ。さ、愬等くんだから誘いたいの。あの、もっと仲良くなりたくて」

「それは……恐縮です」

「だから、その謙遜表現はやめてね? 私たち、クラスメートだよ」


 数々の発言を思い返して、ここまで卑屈な返答をしていると気付く。知らず知らずのうちに勝手に格差を感じていたらしい。


「それに……デ、デートで男の人がそんな話し方だと、変じゃない?」

「たしかに、そうだね。じゃあ、気兼ねなく話すようにする」

「う、うんっ!」


 どこか緊張した面持ちだった鈴穣さんは花の咲いたようなスマイルを見せる。他人を寄せ付けない高嶺の花ではなく、ひとりの女の子として魅力的な笑顔だった。


「あ、でも僕、プランも立てないで」

「愬等くんは気にしないで。こっちが誘ったんだから」


 その言葉を聞いて素直にホッとする。仮に僕がデートプランを練ったところで彼女を満足させられるシナリオは想像できない。男子の恥を忍んでレクチャーしてもらおう。この際、予算のことなど野暮は考えない。むしろお金を払ってでも価値のある一日だ。


「と、ところで、今日はとても暑いよねっ」

「九月に入ったのに、昼過ぎには猛暑日の予報だって」

「どうりで。でも、ふふっ、これから施設内デートを予定してるので安心してね」

「流石鈴穣さん、抜かりない!」

「えへへ。……それにしても、あ、暑いね。今日はっ」


 頭が沸騰フットーしそうだよー。と灼熱の歩道を、手うちわでパタパタあおぐ鈴穣さんと並んで歩きながら。


 僕は——

 現実世界を彷徨うろつくシャドウが、だった理由に思いを巡らせていた。

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