第13話 生き死にあるのが人間

「うわぁ……」


 商業の中心地。寄り道やウィンドウショッピングなど特に理由なく人々が集い、街路樹の緑が抜け目なく設置されたセンター街は、不吉な空模様のもと、混沌の様相をていしていた。

 市のロゴを模して並べたタイルはボコボコに浮き上がり、焼け焦げた街路樹、小綺麗だったショップ群は光を失いところどころ跡形もなく押し潰されている。その悲惨さは、あの晩の燃え盛る校舎を彷彿とさせた。だが、今回は被害範囲がかなり拡大されている。

 変わり果てた光景を横目に駆けながら、


「荒れてるなぁ。これ、僕たちは別世界パラレルワールドに迷い込んでいるんだよね?」

「たぶん。影が現れると、気付いたら入ってんだよね」


 前回は目を覚ましたときにはという感じだったので、凄惨に崩れた日常風景を受け止めるのに時間がかかる。まるで退廃したジオラマを見せられているよう。スマホを確認するとどうやら時間も止まっているらしく、電波も圏外になっていた。


 志々芽シシメさんは中央広場のあたりで立ち止まると、


「この辺、すっごくな感じ。今までの影よりも、ずっとオーラがデカい」


 魔法少女の直感力で知らない尺度を持ち出すが、あいにく僕には気配を感じられない。知らないうちにドラマの撮影現場に紛れ込んだ場違い感がある。

 それでも周囲をしきりに窺う志々芽さんを、ちょっと待って! と僕は制した。


「志々芽さん、重要な話をしていい? 人型の影のこと」

「うん、なに?」

「便宜上、シャドウって呼ばない? いろいろとややこしくて」

「ベン・ギジョー? いいよ!」


 二つ返事の許可を得る。伝わったのか少し不安なニュアンスがあるも、立て込んだ状況に呑まれてスルーせざるを得ない。


 と、そこで手前のショッピングモールの一部が、にわかに音を立てて崩れ落ちた。粉塵が舞い、空が一段と暗くなる。

 その原因は、ズゴゴゴゴとおもむろに立ち上がり存在感をあらわにする——


「……お、おい、嘘だろ?」

「げっ、エグちじゃん。あんなデッカいの初めて見た」

「こんな巨大なシャドウ、どうやって倒せばいいんだ」

「は? シャドウ?」


 人型の影をシャドウと呼称しようって言ったよね。やはり通じてなかったので、便宜上べんぎじょうとはなにかを口頭で簡単に講義する。志々芽さんは曖昧な表情で頷いた。


 空を覆う大魔神シャドウは、こちらに気付いていないらしくただ闇雲やみくもに暴れている。怪獣の尻尾みたいな腕を乱雑に振り回し、地上の車をオモチャのごとく軽々と吹き飛ばした。


「めっちゃおこじゃん」

「どうする、志々芽さん。倒す? 魔法少女に変身しちゃう?」


 僕の胸中で、華麗な変身シーンへの期待が高まる。この制服姿からどうやってあの美少女戦士っぽいコスチュームに変化するのだろう。一度脱げるのかな、眩しい光で修正されるのかな。


「あーね。グリモンの協力がないとムリ」

「ええっ!?」


 となると、魔法少女になれない志々芽さんは単なるギャルな女子高生。あのゴジラみたいなシャドウに、まさかの徒手空拳で立ち向かおうとしていたのか。それはあまりに陽キャが過ぎる。


「……もしかして、グリモンはこうなることをわかっていた?」


 再燃する、あの胡散臭い珍獣への疑い。

 小休止、ってつまりはそういうことなのか? 志々芽さんがまた魔法を使う窮地におちいると見越して、グリモンは呆気あっけなく都合のいい譲歩を示したのかよ。

 現実世界をへだてた裏側で、危険な化け物がこのように跋扈ばっこしている。一度すでに魔法少女の契約をしてしまった志々芽さんは、治安維持装置としての役割から抜け出せないのではないか。

 以前の仮説通り、この惨状が現実世界に影響しないとしても。この空間に迷い込んだ、僕と志々芽さんの処遇はどうなる。まさかアイツを倒すまで一生出られないとかじゃないだろうな。終末世界サバイバル系になるだろ。


「大丈夫! あたし、シャドウの弱点知ってっから!」

「弱点? そんなあからさまなものが!」

「そ。正面から思いっきしブッ飛ばす!」

「それ正攻法では!?」


 僕の制止も届かず、さっさと走り出した志々芽さんはショッピングモールの方へと猪突猛進する。

 いや無理無理。いくら幻想殺しイマジンブレイカーでも、そ。正面からブそしぶッ飛ばすはしない。ましてや今の彼女は丸腰のギャル。少しは知略に割いて作戦を練るべき。三十六計逃げるにかずの状況だろ。


「ってかもう、魔法を使うしかないだろ!」


 魔法少女に変身する。結論はこれしかない。

 魔法を使っても使わなくても志々芽さんが危機にひんするなら、選択肢は自ずとひとつに絞られる。袋小路に追い込まれた時点で、利用しないといけないものは利用するしかないのだ。

 一度履行りこうされてしまえば、もうくつがえすことはできない。

 魔法少女契約、やっぱりこんなの詐欺だ。


「ユクエっ! 危ないっ!!」


 遠くから志々芽さんの悲鳴が届く。切羽詰まったその声に顔を上げると、視界を覆う影と共に、突如として大きな塊が降ってきた。

 積まれた荷を飛ばしながら、うねるように浮き上がる、トラック——


 咄嗟に頭を伏せてギュッと目をつぶる。意味ないどころか、単なる自殺行為。だがその場を動こうにも、恐怖で身体が膠着こうちゃくして微動びどうだにしない。


 死——


 一瞬にして浮かぶ、残酷な一文字。

 享年15歳。目標の百歳まであと85年も残っているのに、必死に貯めた財産を放棄して、若い身空みそらでこの世を去るなんて。

 あ、でもトラック。

 異世界ゲートと繋がるあのマジックアイテムなら、ワンチャン転生の可能性が残されている。

 目を開けると、なにもない空間に薄い羽衣で身を包んだ女神が現れて、夢半ばで可哀想だからと第二の人生を与えられるのだ。そして生まれ変わったら魔法の素質を鍛えて、今まで蓄えた現代知識と、貯蓄・投資・屁理屈スキルで無双してやる。ダンジョン制覇に魔王討伐、裏切った奴には倍返し。平和の戻った世界で隠居して、弟子をとって、農耕や村づくりにも手を出して、達観した態度で安寧とした第三の人生を謳歌おうかする。そうしてようやく、最愛の妻に看取られながら笑顔で生涯を閉じるのだ。なんだか義姉ユヅキの蔵書の影響が強い。クソッ、できればチートな能力と貴族の肩書きもお願いします……っ!


「…………あれ?」


 長くふけっていた妄想からめて。しかし、僕の身体はトラックに押し潰されず五体満足のまま。救急車でくだに繋がれることもなく意識レベルも正常値で、なんなら無傷でピンピンしている。

 もしかして彼女が助けてくれた? 魔法少女に変身もせず、どうやって。まさかすでに。


「ユクエェっ!」


 志々芽さんの声がまだ遠くから聞こえる。ということは彼女のおかげじゃない。じゃあ、なんで僕は生きてるんだ。


 恐るおそる顔を上げると、


「シャドウ……?」


 等身大の影が、両腕を掲げて目の前に立ち塞がっている。その先にはちゅうで静止した鉄塊。直前に降ってきた食品冷凍車だった。

 唖然と眺める僕の前で。人型の影は押さえていたトラックを落とすと、ズンッと大地が揺らいだ。


「……かばって、くれた?」

「…………」


 無言の影は返事をしない。ただそこに仁王立ちして、僕を危機から救った。

 どれほどの時間が経ったか。もしかすると一瞬、ともすれば数分もの間。腰の抜けた僕は、静かにたたずむシャドウの——の表情を見つめることしかできなかった。


 再び時が動き出したのは、視界のブレるような大地震。

 ズドンッ!と、同時にショッピングモールの方から轟音が響き渡る。


「あっ……消えた……」


 頭を下げた一瞬のうちに、シャドウは幻のように消え去っていた。しかし、不自然に浮き上がったタイルブロックと、音もなく横たわるトラックが、直前までその場にいた存在を証明していた。


「ユクエ、生きてるっ!?」


 たたらを踏んで目前に飛び込んできたのは、ファンシーなフリルのついたドレス姿。伝説の戦士コスチュームを身に纏った魔法少女だった。

 その志々芽さんは、普段は強気な眉毛を下げて、今にも泣き出しそうな表情で僕の元へと駆けつけた。


「ゴメンっ! ごめんねっ、アイツに邪魔されて、助けに向かえなくて……!」

「いいよ。こうして無事なんだから」

「ホントに、ごめん……。約束も、守れなくて……」

「ううん。シャドウを倒してくれてありがとう」


 暗澹あんたんな空に、輝く光の粒がさらさらと溶けていく。先程まで猛威をふるっていた巨大な人型は、今や影も形もなく塵になって消えていた。


「魔法少女になったんだね」

「……うん。よく覚えてないけど、とにかく無我夢中ムガムチューで」


 志々芽さんは慣れない四字熟語を口に出す。どうやら僕のピンチに、我を忘れて変身してくれたらしい。


「泣かないでよ」

「ンー、わかんないっ。勝手に出てくるんだしっ!」


 ぽろぽろと溢れる涙を拭って、志々芽さんは不必要な言い訳をする。感謝こそすれ責めるなんてありえない。それとも、危機を乗り切って安堵したのかもしれなかった。


「とにかく、ユっ、ユクエが無事でよかったぁ……」

「志々芽さん、そんなに泣くとアイラインが崩れるよ」

「ウォータープルーフだし……」


 化粧しなくても充分美人な志々芽さんは、僕の余計な一言を聞いて、ポケットから取り出したスマホ画面でメイクを確認する。これも僕がモテない要因なのだろう。モテを度外視しても、使う言葉には気をつけないと。

 波乱の展開と区切りがついて。

 どこか漂うしんみりとした空気を邪魔したのは、割って入った胡散臭い関西弁だった。


「ニイチャンも無事でよかったやん」

「おまえ、よくも顔を出せたな」

「むしろ褒めてや。日中のお呼び出しに応えたったんやで。ま、この世界やったら仕方なしやな」


 志々芽さんが魔法少女の姿に変身したということは、当然あいつもここに召喚されていたはずで。

 見た目だけは愛らしい小動物。しかし、もうその皮を被った悪魔に騙されはしない。


「おいグリモン、魔法も使わずにシャドウが現れるなんて聞いてないぞ」

「ん? シャドウってなんやの?」

「くそっ、それはなぁ!!」


 唾を飛ばしながら早口で便宜上名付けたことを説明する。人型の影って何度も連呼すると噛みそうになるんだよ!

 認識を統一した上で、あらためて突然現れた巨大なシャドウ、引き込まれた別世界の原因についてグリモンを追及する。


「それに現実世界を彷徨うろつくシャドウも」

「知らんなぁ。ワイはなにもしてへんで」

「嘘だッッ!!!」


 もうおまえを信じられるものか。この珍獣は都合の悪いことを隠している。


「おまえの目的はなんだ! これで僕たちが死んだらどうするつもりだったんだよ!」


 ちゃんと答えてもらうぞ。と声を荒げたところで同時に、ある可能性に行き当たる。夢の中のような別世界の出来事が、現実になにも寄与しない事実。それは、グリモンに残された弁解の余地だ。


「というか、この別世界で僕たちは死ぬのか? アイツらシャドウに踏み潰されても、気が付けば元の世界で目が覚めるだけ、みたいなオチだったり……」

「ハァ? なに言うてんねん」


 冷静を装って問いかける僕に、グリモンは正気を疑う目を向ける。


「アイツらに殺されたら、当然死ぬやろ。生き死にあるのが人間やんけ」


 グリモンは無機質な瞳のまま、冷酷に、小さな希望を打ち砕いた。

 危機一髪、僕を守った人型の影が、実はグリモンの差し金であると期待した。志々芽さんを傷つける意思はないと安心していた。たとえ裏があったとしても、ともすると愛嬌のある珍獣だと思っていた。しかし、目の前の異次元生物は、同じ次元を生きる人間ではない。今度という今度は、早合点じゃない。

 こいつは、僕たちの敵だ——


「……んか……いや、それは早す……」


 敵は、無表情を変えることなく、ブツブツと言葉を溢している。

 その小さな呟きは意味を拾えるほど形を成しておらず。


「あるいは——」


 とグリモンは言い掛けて。


「時間切れやな」


 パンッ。と刹那にして世界の色が変わる。

 目前を人が行き交い、思い出したように雑談の喧騒けんそうが沸き起こった。崩れた建物は元のかたちを取り戻し、街路樹に緑が生い茂る。綺麗に並べられた平たいタイルの上を、電話をしながら歩く女性が通り過ぎていく。隣を見ると、志々芽さんは変身前の制服姿に身を包んでいた。どうやら現実世界に戻ってきたらしい。

 だが、そこにグリモンの姿はなかった。


「ユクエ……」


 志々芽さんが心配そうな瞳をこちらに向ける。楽天家な彼女をしても、さっきの会話は刺さるところがあったらしい。


「大丈夫だよ。志々芽さん——」


 これは、ただのリスタート。

 最初から目的は変わっていないし、途切れていたものが再開されただけだ。マイナス地点から這い上がる経験を、僕はしてきている。だから安心して。


「僕がきっと、君の契約を破棄してみせる」

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