第12話 早とちり

「ねえ、おかしいよね?」

「うん、おかしい」

「ありえないよねー?」

「ありえない」


 放課後、アルバイト先の喫茶店。夕方どきにもかかわらず客足はなく、珍しく閑散としていた。

 いつもシックで落ち着いた店内は、中心街の雑踏でも目を惹く派手な女子高生によって、キャピキャピとした陽の雰囲気に呑まれている。芳しい珈琲の香りも、志々芽シシメさんから漂う甘い芳香でかき消された。


「というか僕は許せない。田中を絶対に許すことはできない。PTAに訴えかけるつもり」

「そ、そこまでしなくて良くない?」


 かの邪智暴虐じゃちぼうぎゃくの担任を除かなければならぬ。と激怒する僕を、両手を制して志々芽さんはなだめる。その穏やかじゃない様子を察してか、人当たりと気遣いに定評のある店主マスターが、奥からそっと珈琲を差し入れてくれた。田中のクビが皮一枚で繋がった。

 テーブルの端から提供サーブするマスターに、つい僕は愚痴をこぼす。


「おかえりテスト、っておかしくないですか? そんな鬼畜システムを導入するだなんて、教師には血も涙もありませんよ」

「ほっ、ほら夏休み明けだしねぇ。長期休暇で緩んだ生徒の気を引き締めたかったのかも」

「かといって、『ただいま、テスト!』とはならないですよね? テストは尻尾を振って近寄ってきたりしませんよね?」

「なに言ってるかわからないけど、強い怒りは伝わってくるね……」


 夏休みが明けて、二学期に突入した。

 笑顔で僕たち生徒を出迎えた担任の女教師は、トントンと問題用紙の束を教卓の上で叩いたのだ。クラスの阿鼻叫喚あびきょうかんをリムレスメガネの奥から眺める田中のあの愉悦たのしそうな目は、今思い出しても腹が立つ。


「でも、行方ユキカタくんは勉強ができるじゃないか。会計の精算もすぐに暗算で出しちゃうし、メモしなくてもお客さんのオーダーを覚えてるし」

「僕はいいんですよ、僕は。おかえりテストをヨシヨシと撫でてやる余裕だってあります。……でもっ」


 僕は向かいに座る志々芽さんを見やる。テーブルに広げた課題にお決まりの落書きをしながら、夏の成果かほんのりと日焼けの残った彼女は、チロっと出した舌を噛んでお茶目におどけた。


「記号問題モンなかったら、トーゼンひとつも埋まんなくね?」

「この万年赤点ギャルーっ!」


 よくわからない罵倒ばとうを口に出す。呼び出された教員室で「おい下僕げぼく、パソコン没収するぞ」と田中にこっぴどく脅され、うっかり行き場のない怒りを向けてしまった。なんであの教師はノートパソコンのことまで知ってんだ。

 録音データが流出しても問題ない程度に優しめな叱責しっせきを耳にして、志々芽さんはムスッと表情を曇らせる。


「ユクエがカテキョしてくんないから悪いんじゃん……」

「夏休みを遊びつくすって言ったのは志々芽さんでしょ」

「でも、放置はひどくない? ラインも基本既読スルーだしさ。こっちが無理やり誘わないと出てこないじゃん!」


 連絡してくる志々芽さんを度々無視していたのは事実。でも、『みんなで遊ぼー!』とカフェやカラオケに毎度付き合っていたのでは、せっかく稼いだお金が翼を生やして飛んでいく。ただでさえ、この夏はグリモンに奪われた貯金の補填に忙しかったのだ。


「わかってて誘ったんだから、そのくらいフツーに奢るし」

「軽々しく奢るなんて言わないで! ヒモになったらどうすんの!」

「そこまでは世話しない……」


 流石の志々芽さんもタジタジとしていた。だんだん遠慮のなくなってきた僕だった。


「まあまあ。しかし、行方くんがこんなに荒れているのは珍しいなぁ。仲よきことは美しきかな、ってね」


 犬も食わぬ会話に居た堪れなかったのか、マスターはそう言い残してそそくさと奥のキッチンに引っ込んでいく。そんなムツカシイ言葉を言っても志々芽さんにはきっと伝わらない。


「…………」

「…………」


 微妙な空気が流れる。志々芽さんは怒っているのか、さっきの言葉の意味を考えているのかどっちだろう。


「流石に意味くらいわかるし」

「心読んできたね」

「あたし、なんとなくわかんだよね。トモダチの考えてるコト」

「そのわりには、けっこう伝わらないこと多かったけどなぁ……」


 過去の端々で、その能力を片鱗でも使ってくれていたら。と走馬灯のようによぎるイベント事を回想する。少なくともグリモンといきなり対峙たいじして金をられはしなかったなぁ。


 と、そこで気になっていたことを思い出す。

 おかえりテスト赤点者だけに課されたプリントを下敷きにして、目にも留まらない速さでスマホをいじる志々芽さんに話し掛ける。


「友達といえば、鈴穣すずしげさんはどういうきっかけで仲良くなったの?」

「ハルカ? いきなりなに。フツーに話し掛けて、フツーにトモダチだよ」

「普通にって言われても。はたから見てるとジャンルが違うっていうか、鈴穣さんは地に足がついたタイプだよね」

「あたしが浮いてるみたいじゃん」

「フワフワしてるって言いたくなるときはあるよ、頻繁に」


 その志々芽さんはおやをストローですくうと、空いた紙袋にかけてニョロニョロさせていた。そういうところ。


「だって。鈴穣さんは真面目な優等生で、雰囲気も上品というかさ。あんな風になれたらって見習いたいくらい」


 明確な目標あっての隠キャな高校生活だが、もし自分があのスペックを持っていたら、おそらく違った生き方もあったろうと思う。

 夏休みの間、志々芽さんたちと散々遊び尽くしたであろう鈴穣さんは、突発的に配られたおかえりテストでもほぼ満点に近い点数をとっていた。当然、それを自慢するような態度も素振りもなく。きっと穏やかな家庭でオーガニックな食事をしてすくすく育ったんだろうなと、つい成長環境を想像してしまうくらいだ。


「生まれ持ったものが違うのかな。家柄とか」

「そ? べつにハルカはそんな感じじゃないよ。おウチ大金持ちってわけじゃないし、パパとママも普通の人だったし」

「それにしては完璧すぎる。ツァラトゥストラ並の超人だね」

「つぁらとら? アベンジャーズに出演てた?」


 マーベルやDCのキャラクターじゃない。ここで偉そうにニーチェやゾロアスターを語っても勉強がさらに嫌いになるだけだと、僕はマスターの差し入れた珈琲をゆっくりとすする。この程良い酸味はマスターの特製ブレンドだろう。お高いものを惜しげもなく出してくれる、この優しさが憎い。高校卒業まではついていきます。


 机の上を指差して、志々芽さんの注目をもう一度課題に戻す。結局、知識を身につけるのも白紙を埋めるのも地道にやるしかないのだ。渋々と彼女はシャーペンをとって、落書きに色をつけ始めた。すかさず消しゴムで消した。


 でもさー、と今度は志々芽さんが切り出す。


「完璧な女子なんていなくね? あたしら全員、足りないトコあるから」

「志々芽さんの足りない部分はわかるけど、鈴穣さんも?」

「今さらっとディスったっしょ? まぁ、ハルカはああ見えて、けっこうナルだから」

「ナル?」

「ナルシスト」


 頑張ってる自分が好きなんよ。と志々芽さんは言う。


「それこそ悪口じゃないの?」

「ハァ? 悪口なワケなくない。みんなカワイくなるために超頑張ってっし。中でもハルカは勉強もオシャレも一番いっちばん頑張ってる。頑張った自分が大好きなのは当然じゃん」


 だからご褒美ホービにスイーツ頼むんじゃん。とケーキを注文しだす。まだ課題は一問も解けていないので僕はすかさずオーダーにストップをかけた。


 ナルシスト、ねえ。僕の認識では完全無欠でも、普段から近くで接している志々芽さんの方が鈴穣さんに詳しいのは当たり前で。あの成績を維持する陰なる努力を含め、きっと教室で見る姿以外の一面もあるのだろう。人間だれしも複雑なバックストーリーを持つのだから、勝手に出生や才能で一括ひとくくりするのは失礼かもしれない。と志々芽さんをただの派手なギャルと括っていた過去を思い出す。


「新学期になって、ハルカ変わったくない? めっちゃカワイくなってた」

「そう?」

「そーゆうトコだぞユクエ。変化に気付いてあげなきゃモテないよ?」


 小学校は足が速いだけでモテたし、中学校は少し悪ぶっているやつがモテた。モテの変遷へんせんにまで追いつくキャパシティはない。仮に学生時代にモテて付き合ったりしたところで、一過性の恋愛関係なんて途中で縁が切れるのが関の山だろう。余計な軋轢あつれきと負担をこうむるだけである。


「そう言われても、前から変わらず美人だからなぁ。でも、たしかに少しだけ気になるところはあるかも」


 と、カウンター席に目を向ける。あの日以来、人型の影は店に訪れない。

 マスターに聞こえない程度の小声で、僕は志々芽さんに尋ねる。


「ちなみに確認なんだけど。この夏、グリモンにお願いして魔法使ったりしてないよね?」

「してないよ。ユクエの貯金とられちゃったし、あの涙を見たら、あたしも約束守るしかないじゃん」

「あの悔し涙は志々芽さんの宿題のせいだけどね……」


 あの日、この喫茶店で見かけた人型の影は、どうやら志々芽さんとグリモンの契約によって因果的に生まれたものではないらしい。約束を必ず守ると、あの珍獣は言った。果たして信用したわけじゃないが、志々芽さんの自然な態度からグリモンの関与を疑うのも難しい。

 となると、あの影の出自はますますわからない。

 以前襲ってきた津田の影とはまったく違う雰囲気をまとい、危害を加えてくる敵意も悪意もない存在。しかも現実世界を幽霊のように彷徨さまよっている。志々芽さんとグリモンのせいじゃないとなれば、心当たりは八方塞がりの袋小路。謎は混沌を極めようとしていた。


 スイーツのアメとスマホ禁止のムチで、志々芽さんを課題プリントと向き合わせて。一度、空いたカップを片付けるためにキッチンへと運ぶ。マスターはダンディーな佇まいでミルを手入れしていた。

 シンクの蛇口を捻って洗い物をはじめたところで、マスターは作業の手を止め、声を潜めて話し掛けてきた。


「盗み聞きするつもりはなかったんだけどね。あんまり女の子の前で、別の子の話するとモテないよ?」

「モテの注意事項ってたくさんあるんですね……」

「男たちがぶち当たってきた壁だよ。しかし、いい子そうだね、行方くんの彼女」

「カノジョ? 違いますよ」


 クラスメート、隣の席、教え子、トモダチ。僕たちの関係性はいくつか浮かぶも、適切な表現を探す中で、担任との不平等契約による扱いがはたと浮かんだ。


「僕はただの都合のいい男で、時に奴隷なんです」

「最近の子は進んでいるねぇ……」


 年老いたマスターが勘違いする。当然僕のせいなので、いくら進んだ子でも奴隷プレイは普通じゃないんです、とちまたの常識をあらためて説明していると。


「ユクエっ!」


 突然、切羽詰まった様子の志々芽さんが、大股でカウンター内に侵入してきた。僕の腕を掴むと、そのまま店の外へ連れ出そうとする。


「どっ、どうしたのいきなり?」

「……ヤバい。影の気配がした」


 普段と打って変わって、志々芽さんは真剣な表情で答える。その意志の強い瞳に宿すのは魔法少女の正義感。世界の危機に際して緊急出動モードに入ったらしい。


「どうして影が?」

「わかんない! でも行かなきゃっ!」

「わかった。……あ、リュック」


 僕は貴重品の入ったリュックを掴んで、店の奥へと声をかける。ブログの下書きが入った高価なパソコンを肌身から離すことはできない。


「マスターすみません、用事ができました」

「…………」


 マスターからの返事はない。奥のキッチンを凝視するも、さっきまでいた老紳士は見当たらず、がらんとした静かさに包まれている。

 志々芽さんを追って店を飛び出る。喫茶店の通りはいつものように静まり返っていたが、しかし、なんだか空が暗い。あの晩と同じように、嫌な空気が漂っている。

 普段であればそれなりに人だかりのある大通りまで出てくるも、今は人っ子ひとり見当たらず、街路樹のヒグラシも眠ったように静かだ。まるで、街の時間が止まったみたいに。


「……あっちの方から反応を感じる」


 中心街の方向に視線を向け、短いスカートをひるがえして一目散に駆け出す志々芽さんの背中を追いながら——


 僕は自分の早とちりに行き当たっていた。

 そもそも、大きな間違いを犯していたのかもしれない。人型の影を創り出していたのはグリモンだと。志々芽さんの契約を小休止したことで、問題はすっかり解決したものだと、勝手に決めつけていた。

 平和な日本の裏側で、未知なる脅威が暗躍している。僕の前をひた走る彼女は、そのために存在しているとしたら……。


『逃げてッ!』


 一瞬、脳裏を駆ける。その懐かしい声は、魔法少女を追いかける必死の吐息にかき消された。

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