第2章

第10話 【彼女の視点】

 たった一日で人は変われる。


 高校デビューのつもりじゃなかったけど、入学を転機に、髪を巻いて明るくしてみた。


 初日にすごく派手な子に声を掛けられた。同じクラスの志々芽シシメ叶望カノン。女子中学校時代は、勉強にも部活にも真面目な優等生を演じて、実際にその気質はあったのだけれど、いつしか同じように真面目な友だちばかりになっていて。初めて関わるタイプのカノンは、新天地で新鮮な息吹をもたらしてくれた。


 内面まで変わったわけじゃないのに、不思議と周囲の人種タイプが変わった。不良みたいな見た目の子も、とにかくおしゃべり好きな子も、その中間に位置して底抜けに明るいカノンが交差点のように繋げてくれた。今まで印象だけで苦手意識を持っていたけど、彼女たちは話せば普通に同い年の女の子で。


 初めて寄り道。初めてのスタバで長い注文を口にして、初めてのカラオケで声が出なくても一緒に歌ってくれて、初めてちゃんとイジられた。オススメのカメラアプリで、えることも盛れることも教わった。返信の早いグループラインができた。私に美人の素質があると気付かされたのも、忌憚きたんなく褒めてくれる彼女たちのおかげだった。


 オシャレに興味を持って、だけど変わりすぎない努力をした。勉強は相変わらず得意だったし、優等生のレッテルを貼られていた方が順風満帆な高校生活を送れると自覚していた。男子に噂されていることを知っても、知らないフリをして自然に努めた。告白もされたけど、あいにく私は恋を知らない。なんとなくこわくて、丁寧に断るだけだった。今の楽しい環境を変えたくなかった。


 たった三ヶ月で人は変わる。


 彼は、ただのクラスメートだった。

 くじで決まった最後尾の隣の席で、いつも寝息を立てている男の子。目隠しするように前髪を下ろして、ほとんど目を合わせようとしない、変わった人。


 だけど彼は勉強ができた。入試の結果が私よりも良かったと担任教師の田中先生から聞かされて、なぜか悔しいと思った。将来のために人一倍努力してきた自信があったし、授業では真面目な態度でノートもとってきた。頑張って仕上げた中間考査で、私は彼よりいい点数をとることができた。だけど、ほんの僅差だった。

 少し垂れ目がちなせいか、おっとりしていると見られるけれど、私は負けず嫌いの自負がある。小学生の頃は道場に通い、絆創膏だらけでもけして逃げ出さず。ひどい通信簿を馬鹿にされてからは勉強にも力を入れて、中学校では文武両道をひたむきに歩んだ。努力の分だけ結果を勝ち取り、気を抜くと怠惰な自分にも打ち勝ってきた。

 楽しく平和な教室で、ただひとり仮想の敵をつくっていた。


 梅雨もはじまった休日の最中さなか。久しぶりの晴天の下、ひとりで母親のお遣いに出掛けたときだった。

 温暖な気候に気分がよくなって遠回りした小道に、ふと目に留まったシックな喫茶店。ツタの這う外壁に、年季の入った外装はまるで素敵な隠れのようで、つい近くに寄ってじっくりと眺めてしまう。すると、よく研かれた格子窓越しに、スラッと姿勢よく立つ男の子を見つけた。

 初めて見る上げた前髪、茶色のエプロン姿。その働く姿は、偶然とクラスメートの彼だった。常連らしい年配と会話を交わして、教室で見たことのない笑顔を振りまいている。配膳の手際もよく、慣れた職場といった感じ。

 立ち止まって凝視していると、彼がチラリとこちらを見たような気がして、私は顔を隠して走って逃げた。なんで隠れたの私、逃げるなんておかしい。学校に内緒でアルバイトをしているのだろうか。もしかして放課後も? じゃあ勉強はいつ。きっと夜遅くまでこっそりしてて、だから授業中はサボって寝ているんだ。卑怯だよ、そんなの。気付けば、家までの帰り路をズンズンと大股で歩いていた。


 ただのクラスメートのはずだったのに。

 教室の彼は、あの日見た姿をおくびにも出さない。いつも始業直前に登校しては、クラスのだれとも会話しないで、忍者のように過ごしている。喫茶店での笑顔は幻のように、興味のない表情で日々の授業を受けていた。教師の隙を見て、自然な素振りで居眠りもしていた。たまに彼の奥からカノンが声を掛けてくる。すると彼は最初から居ないものみたいにスッと気配を消すのだ。本当に忍者の末裔まつえいじゃないのと思うくらい、自然に。


 気付けば、目で追っていた。バレないように寝顔を覗きこむことが増えた。お弁当箱を片手に教室を出ていく背中を眺めた。いつの間にか、だれよりも彼を見ている自信があった。


 それなのに。彼はちっとも私のことを気にしない。何度か声を掛けようと迷うも、なぜか敵視していた頃を思い出して口がかない。思春期に入ってから男子と会話する機会がなかったのも、原因のひとつかもしれない。自分に臆病なところがあると初めて知った。

 なにか接点が欲しい。けれど、勇気の出ない私にできることは勉強だけだった。寝る間も惜しんだ期末考査の結果は、今回も私が上回った。やっぱり、ほんの僅差だった。


 あの日の出来事もカノンがきっかけだった。

 期末テストも終わり、景気づけのカラオケだとみんなで盛り上がった放課後。突然、カノンが彼を誘った。えっ、どうしてと思う間もなく。機を逃してなるものかと、私は勢いのまま、初めて彼に話し掛けた。


「さ、愬等サクラくん、来てくれないんだ? ざっ、残念だなぁ……」


 声が震えたことに気付かれないか心配だった。彼が私を見る。真っ直ぐ視線を合わせたのは、きっとこれが初めてだ。


「またまた、おたわれを」


 すぐに顔を下げて避けようとする彼に対して、必死で言葉を紡いだ。


「ほ、ホントだよ? きっかけがなかっただけで、前から話してみたかったの」


 授業で当てられたときくらいしか発せられない彼の声。もっと聴きたいと思うのはなぜだろう。


「僕のような平民にはもったいないお言葉で」

「そっ、そうかな!? いつも成績優秀者の常連じゃない!」


 変にへりくだって、会話を終えたい気配が伝わる。でももう少しだけ。もう少しだけ声を聴かせて。

 つい早口になって、私は言葉を繋げる。


「私っ、勝手にライバル視してたよ」

「ライバルなんて。今回も負けたし、僕なんか相手にならないよ」

「そう? 愬等くんに並びたいって思ったから、今回も頑張れたなぁ……」


 本音を伝える。彼が二足のわらじで努力していることを私は知っている。理由は知らないけど、知ることはできなかったけれど、なぜか時折見せる真剣な表情を、私はずっと見てきた。


「身近な目標っていうか、ちょっと、あっ、憧れ……で」


 また新しい事実に気付いてしまう。憧れていたんだ。私は。


「それな! ユクエって自虐じぎゃくるくせに実は只者タダモノじゃない感満載だから!」

「知ってるっ」


 カノンが参加して、私の意見にノリ良く賛同する。そう、彼は只者じゃないの。流石カノン、曇りない慧眼で、人を見る目を確かに持っている。ただ、積極的な彼女の勢いに、いつも無表情な彼の口元が少しだけほころぶのがわかった。


「と……ところでカノン。いつの間に、愬等くんと仲良くなったの?」

「えー? ヒ・ミ・ツ!」


 カノンは冗談っぽく人差し指を唇の前に立てて、それ以上の追及をさせてくれない。

 しかし、思い当たる節がある。いつも勉強のからきしな彼女が、今回のテストはすべての教科を高得点で切り抜けていた。同時に担任教師の性格を思い出して、その理由に見当がついた。もしかして、彼が勉強を見てあげていた……? だとしたら、とんでもなく大変な偉業を成し遂げている。私なんかはすぐを上げてしまったのに。


 そろそろ行こうと、みんなが席を立つ。カラオケの機種の違いなんてわからないけど、雰囲気から察するに、みんなには強いこだわりがあるらしい。流されるわけじゃないけれど、私は彼女たちから学びたいことがまだまだたくさんあった。


「さ、愬等くん、また明日っ」


 後ろ髪を引かれる思いで、だけど小さな希望を乗せて別れを告げる。明日、もし彼が挨拶をしてくれたなら、私は泣かずに返事できるだろうか。


 グループで教室を出て、すぐにカノンの隣で問いかける。彼との仲良さそうな態度を見せられても、不思議と嫉妬心は芽生えていない。彼女の素直で明朗快活な性格を、私もまたよく知っていた。


「ねえ、さっきの。ユクエってなに?」

「え? ユクエはユクエっしょ。名前じゃん!」


 間違った読み方だよ、それ。

 彼の本名は、愬等サクラ行方ユキカタ。私の——初恋の人。


 私は三ヶ月ですっかりと変わってしまった。

 大きく変わったのは、この気持ち。

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