第8話 譲歩

「ニイチャンが大事にしてるもの、将来のためのお金やな」

「…………」

「懸命に働いて、随分稼いでるみたいやん」

「…………」

「その貯め込んでる金を、ぜーんぶ差し出せるか?」


 グリモンはこちらの弱点を見抜いていた。しかしコイツの前でそんな話をした覚えはない。

 僕はチラッと志々芽シシメさんに目をやる。チロリと舌を出してウインクしていた。テヘペロはもう古い。


「ゴメンっ。ユクエの凄いところ、自慢したくって!」


 申し訳なさそうに志々芽さんはバチンと両手を合わせる。迂闊とは思うものの、悪意がないとわかっているので責めるつもりはない。一日の終わりパートに、『今日はとっても楽しかったね。明日はもっと楽しくなるよね、グリモン?』みたいな感じでマスコットキャラとお話しするのは魔法少女のたしなみ。ましてや女子高生のおしゃべりだ、国家機密ですら自然と漏れてしまうだろう。


 グリモンと向き合うかたちで、僕は提示された取引への懸念を問う。


「条件に乗って、グリモンが約束を守るという保証は?」

「書面に起こしてもええけど。たとえ口約束でも、ワイは一度した約束は破らへんで」


 はたしてその言葉自体を真に受けていいものか。約束を守るのであれば、それに越したことはない。だが、仮にグリモンが約束を破ったとしても、それはそれでこの生物が嘘を吐き、約束や契約を反故にする性質を持ち合わせると把握できる。例外の法則を用いる未知の生き物の傾向を知ることは、おそらくこの後も重要なキーになってくるはずだ。


「……確認させてもらうけど、僕の貯金だけだな? 家族や、志々芽さんのものには手を出さない」

「ニイチャンのだけやで」

「銀行に預けてある分だけか?」

「財布の中身、貯金箱、タンスにヘソクリがあれば当然それも対象や」


 なるほど、すべての現金を奪われるってわけか。しかし裏切られたとしても、痛い目を見るのは僕だけで済む。

 少しだけ考えて、僕はグリモンの提案に乗ることにした。


「わかった。条件を飲むよ」

「ちょっと待って! ユクエの大事なお金でしょ!?」


 承諾の返事に、焦ったように志々芽さんが待ったをかける。


「大学に行くため、頑張って貯めたって言ってたじゃん!」

「いいんだ。それくらいで済むなら」

「だ、ダメだよ! それなら、あたし、魔法少女のままでいい。ユクエが苦しむ必要なんてないから!」

「それこそダメだ。志々芽さんが危ない目に遭う方が、僕はずっと苦しい。だから、これでいいんだ」

「ユクエ……」


 志々芽さんは神妙な面持ちで僕を見つめる。その瞳は少し潤んでいるようにも見えた。頼むから、そんな目で見ないでくれ。


「ほな、準備しよか」


 僕たちの間で意思決定が成されたのを確認し、グリモンが机の上に飛び乗った。


「見とき。召喚魔法の力はこんなときにも便利なんや。あ、その辺の物はちょいとどかしてくれへん?」


 僕は机の上に開いたままの宿題を片付ける。便利な魔法でどうにかしろと少しだけ思った。


「いくで。こうしてこうやって、こうや——」


 グリモンが小さな前足で机全体をなぞると、跡を追うように六角形の幾何学きかがく的な紋様もんようが、青白い光と共に静かに浮かび上がった。


「おおっ、魔法っぽい!」

「キレー! えるー! カメラで撮ってい?」

「インスタ載せたらあかんで!?」


 グリモンのツッコミに呼応したのか否か、机の上の紋様はますます光度を上げていく。次第にそれは、教会のステンドグラスの荘厳さを兼ねたカラフルな色彩を描く。

 ついに魔法陣から溢れるエネルギーが飽和すると、視界はパァ——と一面の光彩で包まれた。その光景を眺めながら、僕は——


「ほれニイチャンの埋蔵金、大集合や…………って、どういうことやねん!?」

「……だ、ダメだ……。まだ笑うな……こらえるんだ……しかし……」

「おい、ニイチャン。ブツブツ言っとらんと、これは一体どういうことか、説明してくれへん?」


 小動物のつぶらな瞳のまま、グリモンは敵意を剥き出しにこちらを睨む。それもそのはずで、机の上に召喚されたお札と小銭は、数えられる程度にしか積まれていない。


「多く見積もって数万……聞いてた話と違わへんか?」

「ホントだ。あたしの貯金より少ないじゃん」


 志々芽さんも不思議そうに机を見渡している。疑っていたわけではないが、その表情にグリモンと結託していた様子はない。どちらかと言えば、騙していたのは僕の方だ。


「グリモン、おまえ言ったよな。貯め込んだ金が対象だと」

「たしかに言うた。やけど、ニイチャンがこれっぽっちしか持ってないなんてありえへん」

「そう。だが、全財産とは言わなかった」


 僕は最高のネタバラシをする表情で、グリモンに言い放つ。


「フッ、貯蓄と投資は別物だろ?」

「な、なんやて……!」


 グリモンの条件は、あくまで財布の中身を含む貯金全般、いわば現金化されて蓄えられているものだ。しかし、僕は百年時代を生き抜く覚悟を決めた情報社会の現代っ子。将来の資産形成のため、ユヅキの両親に開設してもらった未成年口座で、収入が入るたびリスク低減の都度分散投資、長期的な目線で絶賛運用中なのだ。リスクをはらむ投資は、財産ではあっても貯蓄ではない!


「そないな絡繰からくりが……!」


 グリモンが悔しそうに唇を噛む。目には目を、屁理屈には屁理屈を。古代ハンムラビ法典にもそう記されている。


「……ユクエぇ?」


 志々芽さんがジト目でこちらをうかがう。頼むからそんな目で見ないでくれ。


「敵をあざむくにはまず味方から、ってね?」

「もーっ! カッコいいとか思ったあたしがバカじゃん!」


 それは申し訳ないことをした。志々芽さんの好感度が著しく下がった気もするが、いずれにせよ僕はグリモンの条件を達成したわけだ。屁理屈だと言われようと、これでグリモンが約束を反故にすればそういう類いの相手なのだと認識できる。

 舐めた真似をされてグリモンがどう出るか、僕はその反応を静かに待つ。


「……仕方あらへん。約束は約束や、カノンとの契約は小休止したる。このお金は遠慮なくもらっとくで」


 しかし、グリモンはあっさりと妥協する。あれ、肩透かしだな。


「怒り狂って魔法でなぶり殺されるかと思った」

「オイオイなんやねん、命賭けるくらいなら素直に払っとけばええやん!」

「いや、金は命より重い……!」

「ニイチャンはどないな世界観で生きてんねん……」


 世界観とか異次元生物のおまえに言われたくない。僕は現代人として地に足のついた価値観を持っているだけで、金の認識を誤魔化して地を這う輩ではないのだ。


「まぁ、せいぜいカノンが魔法を使わないように見張っとくんやな」

「フンッ! 僕の目的は契約を破棄させることだからな。そっちこそ、ないクビを洗って待っておけ」

「物騒なニイチャンやで……」


 愛くるしい姿のマスコットキャラに啖呵を切って、ひとまずこの場は収まった。抜け穴を使うかたちだったが、どうやら最小限のダメージで切り抜けたらしい。しかし32,811円はけして安い代償ではない。宿題代行にして33時間分の価値である。この借りは必ず返してもらうぞ。


「ニイチャン改め、契約破棄代行人ユクエ。なんや、物語がはじまりそうな気配やな?」

「うるさい、僕ならタイトルで切る」

「謎を解いてくのも楽しいもんやろ? ほな、ワイは還らせてもらうで。もう昼間に呼び出すのは堪忍な」


 意味深に言い残して、珍獣はポワンと一瞬にして姿を消す。本当に決着したのか怪しいままだった。身銭を切ってこそ、争いの火種はそう簡単に消えることはなさそうだ。


 静寂を取り戻す、ほのかに甘い匂いの部屋。日常への回帰をなんとか無事に果たすことができた。


「ふぅ、これで一安心だな……。ね、志々芽さん」

「…………」

「……志々芽さん?」

「…………」


 返事がない、ただの独り言のようだ。彼女の様子を窺うと、不自然に身体を背けた志々芽さんは、黙ってスマホとだけ向き合っていた。


「し、志々芽さん。ごめんね? なんか騙した感じになって」

「なに? 今、グループラインで愚痴吐くとこなんだけど」

「それは止めて!?」


 平穏への微かな希望がついぞ消えてしまう。クラスのラージグループが無視どころか敵に回ろうとしていた。必死に志々芽さんをなだめて、数十分の悶着の末、どうにか送信の指を抑えることに成功する。


「ちなみに、あの、宿題は」

「やって」

「追いジェムは……?」

「…………」

「……ハハっ……」


 無言の圧力に負けて、再び机の上に志々芽さんの宿題を広げる。マイナス収支とマイナス好感度だけが残った。

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