第6話 契約

「ユクエ遅かったじゃん。寿命が一時間も減ったんですけど」

「一時間を寿命換算する人、初めて見た」

「女子高生の一時間はセミの一生くらい価値あるし」

「うん、蝉に謝ろ?」


 窓の外でジジッと飛び去る音が聴こえた。何年も地中で過ごしてこの言われようだ。そりゃ求愛に鳴くより人知れず泣きたくもなる。


 津田と相対したあと。トイレでしばらくうな垂れてから戻ると、音のない教室に志々芽シシメさんだけが残っていた。白いふとももを露わにするキワどい脚組みをしながら、スマホをいじる手を止めてこちらを責めるように見上げる。その口ぶりは僕を待っていたらしい。


「……あんなことがあったのに、志々芽さんは僕を避けないんだね」

「あんなことって、朝の? ただのスキンシップじゃん」


 強烈な平手がコミュニケーションツールだなんて知らなかった。


「いきなり殴ってなんて頼むヘンタイだよ?」

「でも避けるとか意味なくね。一度ダチになったら一生ダチっしょ」


 志々芽さんはヤンキー漫画の仲直りパートみたいな発言をする。あまり体験したことのない友情だ。ましてやあの痴態を演じたあとである。


「理由あんでしょ?」

「き、聞いてくれてありがとう……!」


 奇行に理解あるギャル、非常に助かる。ヘンタイのまま終わりたくなかったので、志々芽さんの寛容な言葉に救われる。こういった気を利かせる能力は、学力試験ではけして推し量れない。一般社会で活きるのは彼女みたいなタイプだろう。


「ちなみに、あの珍獣は近くにいる?」

「グリモン? あたしが呼ばないと出てこないよ」


 たぶん寝てる、呼んだときだいたい寝起きの感じだし。と志々芽さんはつけ足した。渡りに船。今のうちに確認しておきたいことがある。

 僕は周りに人がいないのを見渡して、


「昨晩の出来事って覚えてる? 夢の中で逢った、ような」

「夢じゃないし。学校で助けたじゃん。ユクエ、ガチピンチでウケた」


 軽いノリで志々芽さんは返すが、その言葉でようやく証明された気になる。仮説を前提に動いていたので、ここで梯子はしごを外されたらゾッとする。

 しかし、あの悪夢が本当に起こった事だとするなら。


「あんなやつらと、いつも戦ってたんだね」

「そ。世界平和のためだし、やる以外ないっしょ!」


 志々芽さんはグッと拳を握って、正義の使者のメンタリティーを見せつける。バングルの巻かれた白い細腕一本が、これほどたくましく見えるなんて。


「志々芽さんは強いね」

「魔法少女が弱かったらサイアクじゃん」


 なにより強いのは志々芽さんのメンタルだ。彼女が魔法少女として選ばれたのも納得できる。

 だけど、もし。その信念が盲信だとしたら。

 選ばれた理由が、運命ではなく利用価値だとしたならば。きっと、これ以上の悲劇はないだろう。


 僕はシリアスな雰囲気を醸し出す。率直に伝えるべきだろうか。少し躊躇するも、後まわしにして後悔したくなかった。


「……ずっと、引っかかってたことがある。あのとき、志々芽さんが僕を助けてくれたあとに言った言葉」

「あーね。瞬殺シュンコロは流石に盛ったな?」

「それじゃなくて」


 ちょっと真面目な話をするのでギャルのノリは抑えててもらえるかな。


「あのとき、って言ってた理由を知りたい」

「んー? あたしのために魔法を使ったんだし、その分は働かなきゃでしょ」


 労働対価ってんだっけ? と初めて志々芽さんの口から難しい単語が出てくる。

 どうやら聞き間違いじゃなかったらしい。人型の影を倒してそのセリフが出てくるということは、つまり、あの戦闘はなんらかの対価だった。

 そしてその対価は——


『その願い、叶えたるわ』


 無表情のままニヤリと笑って見えたグリモンの姿が回想される。

 テストを魔法で解決しようとして、ヤツは願いを叶えると答えた。

 だけど、あの胡散臭い珍獣が、で願いを叶えてくれる殊勝な存在に見えないのだ。


「志々芽さんは、戦っている影の正体を知ってるの?」

「ショウタイ?」


 僕がすでに行き着いた影の正体。それは津田が無意識に創り出した、嫉妬の産物。薄明かりの中で視認できるほどくっきりと憎悪した表情に、直接対峙していた志々芽さんが気付かないわけがない。

 もし、気付いていないとすれば、


「影は影でしょ。真っ黒なのっぺらぼう。つーかメイク前?」


 ギャル界隈でウケるギャグなのか、志々芽さんは自分でボケておいて腹を抱えている。残念ながら僕には笑えない話だった。僕たちの認識に食い違いがある事実は、今朝によぎった不吉な予感を思い起こす。

 魔法を使う対価として、彼女はなにも知らずに戦闘を強いられている——

 影の正体が人間の負の感情であると、無邪気に笑う志々芽さんはまだ知らない。

 魔法少女は——魔法は、まるで夢のような力だ。でも真実と向き合うには、そろそろ夢から醒める必要がある。


「驚かずに聞いてほしい——」


 朝に起こした特殊イベントの目的と、その顛末を説明する。

 昨晩、学校と僕を襲撃した影には、実在する人間の表情があったこと。

 その影の正体は、クラスメートの嫉妬感情によって無意識に顕現けんげんされたものであること。

 これ以上、次の影が生まれないよう講じた対策が、今朝の痴態だったこと。

 説明しながら、やっぱりもう少し工夫できたのではとあらためて後悔が襲ってきた。だが挫けず最後まで伝えきる。


「幸い、津田くん自身はなんともないみたいだけど。志々芽さんの戦った相手は、現実とリンクした存在だったんだよ」

「無事なら別によくない? 悪い影が暴れてたら放っとけないっしょ」


 魔法少女の力を持った志々芽さんと僕では、物事の捉え方にギャップがある。過剰に反応しているだけかもしれない。だけど、仮に別世界パラレルワールドと呼ばれた場所だとしても、実際に僕はその影に殺されかけたのだ。


「おかしいと思わない? たかだか男子高校生の嫉妬が、学校の敷地を火だるまにして人間を襲うんだ。その理屈が通用するなら、世界はもっと過激な悪意の生み出す化け物で溢れているはずだろ」


 ずっと抱いていた違和感。単なる嫉妬感情が、あのような恐ろしい姿に変化するだろうか。魔法の存在を知ったから、嫉妬の対象が僕だったから、巻き込まれて襲われた。それだけで納得できるわけがない。


 あらゆる知識を総動員して思考する。

 保健室でサボっている間、ウィキペディアや『魔法少女アニメ ネタバレ』でググって、僕の脳には古今東西の様々な魔法少女モノに関する無駄知識が、貴重な学問のスペースを圧迫するくらいに詰まっている。


 フィクションの世界でしか見たことのない魔法少女が、現実世界に存在する理由。そこには明確な目的があるはずで、多くは外的要因によってもたらされる。それは、敵の存在。

 魔法少女と対峙する敵は多種多様だ。悪の組織。異界からの怪物。悪意の具現化。魔法少女の成れの果て—— 詳細な目的は様々だが、一貫して征服を目論んでいる。この平和な日本の裏側で、未知なる脅威が暗躍しているのなら、もはや僕たち一般人には手のつけられない事態だろう。そのための魔法少女。理にかなっている。


 しかし実際は、現実になにも影響を及ぼしていない。燃えた校舎も、煤汚れた僕のシャツも。津田の嫉妬感情すら、影の存在ごと完全に消失したわけじゃなさそうだった。別世界パラレルワールドで起きたことは、すべてその中で完結し、現実になにひとつ寄与しない。


 まるで箱庭の中。都合のいいように抽出した異物を、意図を持って解き放たれたような不自然感がある。


「志々芽さんは、グリモンにだまされている」


 これは僕の仮説——もしかしたら、人型の影はグリモンが創り出した産物で、自作自演の傀儡マリオネットじゃないか?


『起きたらすべて元通りや』


 昨晩。あのタイミングは、都合の悪い情報を遮断するため、僕を睡魔に落としたのでは。

 あの胡散臭い生き物が、やつに利する理由——それがなにかはわからないが、を持って意図的に行動している。

 志々芽さんにつけ込んで、目的を達成しようとしている。

 そう考えると、妙に腑に落ちるものがあった。


「え、あたし騙されてんの?」


 志々芽さんはキョトンとした表情で僕の推理を聞いていた。たしかに飛躍した発想なのは否定できない。


「でもさ、グリモンはなにも言ってこなかったけど」

「なにも言わないのがおかしいんだ」


 志々芽さんの部屋で、グリモンはという言葉を使った。伝えられていない内容だったから、その場は流されてしまったわけだけど。であれば、そこに契約が締結していたわけだ。僕と田中の取引と違い、志々芽さんとグリモンの間で交わされたそれには、説明されるべき特筆重要事項が抜けているんじゃないのか。


「そんなの、詐欺と同じだ」


 気付いたときにはもう手遅れで、場合によっては一家離散も起こり得るのだ。騙されることは愚かであっても、騙されるやつが悪いってのは騙すやつの言い分でしかない。無垢で善良に努めていても、突然悪意に裏切られることを、僕は身をもって知っている。

 今朝からずっと心に決めていた、もうひとつの決意。


「その契約を、僕が破棄してやりたい」


 僕が本物の家族と別れることになった理由——これはやり場のなかった後悔を払拭するための、代理戦争みたいなものだ。可能かなんて考えない。僕にできる、できるかもしれないことに、ただ向き合いたいだけだ。

 しかし、これは僕が勝手に望んだわがまま。余計なお世話なら諦めるしかないと、黙って彼女の反応を待つ。


「なんかよくわかんないけど——」


 その志々芽さんは、フンフンとしばらく唸っていた頭をあげて、


「あたしを助けようとしてくれてんだよね。なら、信じるよ。ユクエを」


 ニッと屈託なく笑った。

 お互いが望んで、約束を交わす。こうして、僕たちの間にも契約が結ばれた。


「……信頼してもいいけど、信用しすぎないでくれよ」


 急に照れくさくなり、真っ直ぐな志々芽さんの視線から目を逸らす。言葉遊びだとしても信用って言葉は苦手だ。


「するでしょフツー。トモダチじゃん!」

「……そうだね」


 志々芽さんのシンプルな回答が、スッと僕の中に溶け込んでいくのを感じる。不思議と温かかった。


 長い一日のたった半分が終わり、それでも過去一番の充足感を得る。終わり良ければすべて良し。グリモンへの対策を練るにしても、なにもこんな充実した日に詰め込まなくていいはずだ。

 今日はバイトがないので早く家路につきたいところだが、今更ながら志々芽さんと二人きりに至った経緯を無視していたと気付く。


「ところで、なんで志々芽さんは僕を待ってたの?」

「なんでって。勉強、これからも教えてくれんでしょ?」


 そういえば担任田中との取引は継続しているのだった。どうやらその旨は志々芽さんにも伝わったらしい。

 勉強の面倒を見る。田中との取引の代償は、今に思ってみると大したことじゃない。

 僕はすでに命を助けられている。その上、全幅の信頼を寄せて信用してくれるのため、僕にできることは全力で成し遂げてやりたい。


「で、どんな風に教えようか?」

「マンツーマンの専属家庭教師って、田中っちが」

「伝言、聞き間違えてない!?」


 勝手に立場を格上げしないでくれ、持て余す身分だ。ってかマンツーマン。ん、家庭!?

 真夏の太陽はまだ沈む気配がない。長い一日はまだ続くらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る