第5話 僕をぶってくれ!

 普段の学校生活の過ごし方はシンプルである。


 義姉ユヅキよりも一足先に家を出るため、必然的に早く学校へ到着する。

 一限目までの空白を有意義にしようと向かうのは、屋上入り口前の踊り場。人気ひとけない死角な上に校舎の喧騒けんそうから遠く、図書室と違ってパソコンを出しても人目を引かない。ブログ更新はサボらずコツコツが収益に直結するので、朝のうちにひと記事を積み上げておく。この場所のデメリットは、たまに朝から盛り上がったカップルと出くわして気まずい思いをするくらい。


 授業が始まれば、教師のタイプによって隠れて寝るか堂々と寝るかを使い分けて体力温存に努める。担任田中の免罪符めんざいふがここで効力を発揮してほしいところだが、クラスの体面上見つかれば当然注意される。ときに真面目に、ときに力を抜くという絶妙なバランス感覚が求められる。


 昼食。ユヅキの母親が持たせてくれた弁当を持参して教室を出る。教室内で広げるとユヅキと同じメニューをひけらかしてしまう。だけどこの時間帯、中庭や体育館裏など人気ひとけの少ないエリアは、屋上前と同じくカップルのいこいの場として一躍人気スポットに変わる。そのため、盲点をついた選択として、電灯をつけないまま空き教室に忍びこむ。トイレや物置で食事は流石にしたくない。


 午後の授業も同様に過ごし、放課後は速やかに帰途につくか、人目を避けてバイト先へ直行する。実に生産性の少ない学校生活だった。


 並べてみると余計な労力を費やしている気になるが、人との関わりこそが一番の労力なのである。そこを回避するために、黒子くろこみたいに目立たない日々を送っていると言っていい。


 しかし、今日は違う。

 朝一から教室へと直行し、自分の席に大人しく座る。徐々に人の出入りが増えていく景色はなんだか新鮮だった。時間差で登校してきたユヅキも、僕の姿を見かけてギョッとしていた。


「あれ、今日は珍しく早いね」


 遅れてきたフローラルが鼻腔びこうをくすぐる。左手の席にクラス一の清楚が着くと、教室の明度が一段上がったような錯覚を起こした。


「おはよう鈴穣スズシゲさん」

「おはよう、愬等サクラくん。挨拶してくれるの初めてだね」


 環境音楽として常にリピートしたいほど癒しオーラに包まれた声色で、鈴穣遥佳ハルカは挨拶を返す。


「目が合ったからね」


 最初で最後になるかもしれないけど、と口には出さず飲み込んだ。

 僕のそっけない態度を不思議がりつつも、鈴穣さんは挨拶まわりにやってきたクラスメートと代わるがわる言葉を交わす。しかしこれから、この平和な光景が唐突に終わりを告げるのだ。


 クラスの大半が登校したところで。標的が教室にいるのを確認して、僕はわざとらしく立ち上がって大きな声をあげた。


「鈴穣さんっ!」

「えっ、な、なに?」


 当然困惑する隣りの鈴穣さん。すでに申し訳なさが半端ない。だがここでは日和ひよるわけにはいかなかった。


「僕をぶってくれ!」

「い、いきなりどうしたの?」


 教室中の注目がこちらに集まる。目立たないやつがいきなりおかしなことを物申すのだから当然だろう。そうでなきゃ意味がない。


「なにも考えず、気にせずに殴ってほしい。思いっきり!」

「……それが愬等くんの望み?」

「そう。それだけが望み」


 僕は真摯しんしに頷いた。もうなにも聞かずにそうしてくれるだけでいい。


「ふぅん。じゃあ遠慮なくいくね?」


 いい迷惑をかけられているにもかからわず、案外乗り気な鈴穣さんは嬉しそうに覚悟を決める。


「あの、もうちょっと嫌そうな顔でお願い」

「マニアックだね……えいっ!」


 姿勢を正した鈴穣さんの正拳突きがシュンと僕の頬を貫く。鈍い音と共に、強い衝撃が反対の頬から通り抜けていった。


「これでいいの?」

「……う」


 思いのほか強力な一撃に言葉が出ず、ただ首を縦に振って答えるしかなかった。

 教室の空気は見事に凍っていたが、これでいい。涙目でにじむ視界の端に、ソイツの唖然とした表情をとらえる。これで


 痛みにえながら、同時に張り詰めた空気にも耐える時間が過ぎる。その沈黙は、ギャル魔法少女界の風雲児の登場で書き換えられた。


「おはよー。ん? だれかの葬式してる?」


 空気をあえて読まない志々芽シシメさんは、葬儀に参列する振る舞いとは程遠い陽気さで教室に入ってきた。


「どしたのユクエ。あ、ハルカおはーっ。チカおっす。ユキチうぇーい」


 志々芽さんは頬を抑える僕の姿に気付くと、挨拶を振りまきながらついでのように心配する。

 言葉を発せない僕の代わりに鈴穣さんが答えた。


「愬等くんが本気で殴ってほしいって」

「ふぅん。ハルカおび持ちなのに根性あんね」


 それ聞いてないんですけど。と思うだけに留まる。まだ口が開かないし。鈴穣さんがどの格闘技を修めているのか不明だが、たしかに腰のわったいい拳だった。


「……ひひめはん」

「もしかして、あたし呼んだ?」


 僕は呂律の回らない声で志々芽さんに話し掛ける。


「僕を殴っれほひい」

「どした? 黄色い救急車呼んどく?」


 それは都市伝説だし、別に頭がイカれたわけでもない。客観的にそう見られて仕方ない言動なのは否定しようがないけど。


「とりま、殴っとくね」


 志々芽さんは躊躇せず平手を僕にお見舞いした。痛烈な音が静かな教室に響く。除夜の鐘でもここまでは響き渡らない。


「こんな感じでい?」

「あ、う……」


 言葉にならない返事をしようと四苦八苦していると、


「授業始めるぞー。席につけ愚民どもー」


 そこにタイミングよく一限目、現国担当教員の田中が教室に顔を出した。教壇に立つと、そこで目ざとく僕に異変に気付く。


「ん、顔がひどいな愬等。邪魔だから保健室に行っていいぞ?」


 田中は面倒くさそうに追いやろうとする。せめてひどい顔だろ。心配しろエセ教師。

 とりあえず担任の言葉に甘えて、教室からすごすごと出ていくことにした。

 ポジティブに思考して、サボる時間をくれたってことでいいですよね。


***


 同日、放課後。

 僕はそそくさと教室を出ようとするソイツに声をかけた。


津田ツダくん」

「……愬等サクラ? お、俺になにか用……?」


 なにも特別な相手ではない。クラスメートと総称している内の一人である。

 毒にも薬にもならない凡庸なクラスメートの津田は、不審がる態度で距離をとった。当然ながら今朝の一件が尾を引いている。その上、さっきから僕が凝視する気配を敏感に察知していたはずで、本当なら今にも無視して逃げたいはずだ。


「用があるのは、むしろ君の方だと思うんだけど。とりあえず、場所を変えようか?」


 津田をともなって、ランチスポットとして愛用する人気ない空き教室に移動する。思いのほか素直についてきたので拍子抜けな気持ちになるが、昨夜のことを思い出すと穏やかに終わるとは思えない。単刀直入に尋ねることにした。


「どうして僕を狙った?」

「……なんのこと?」

「昨晩、学校で僕を襲撃しただろ」


 グリモンが別世界パラレルワールドと告げた燃え盛る校舎で、明らかな敵意と殺意をもって僕に襲いかかった人型の影。夜の暗闇で炎に照らされたソイツには、しっかりと憎悪の表情が貼り付けられていた。


「その顔は、津田くん。君だった」


 僕は犯人を追い詰める口ぶりで、津田の正体をズバリと指摘した。目の前のクラスメートがあの人型の影を演じていたのか、それとも人型の影がクラスメートのフリをしていたのか。それも今にわかる。


 しかし、その津田は合点のいかない様子で繰り返した。


「……なんのこと?」

「いや、だから昨晩ね」


 かくかくしかじか。と志々芽さんの秘密に触れないよう昨夜の強襲を説明するも、津田は芯を食わない表情で曖昧に頷いていた。


「うーん、本当になんのことだか。火事も起きてないし」

「あ、あれぇ?」


 僕もつられて困惑する。昨夜のことは本当に夢だったのか? たしかに夢のような体験だったけど、首の傷の説明がつかない。まさか寝ぼけてつけたとは思いたくない。


 どうする?どーすんの僕?どーすんのよ! と葛藤する僕の前で、津田は少し悩む素振りを見せてから、やむを得ずといった感じで打ち明けた。


「……でも、愬等に嫉妬していたのは事実だ」

「おおっ!? よかった!」


 いや良くないけど。でも推理が根底から間違っていたわけじゃなさそうで正直ホッとする。


「やっぱり、僕に嫉妬してたんだな」

「ああ。正直、その影の話はよくわからなかったけれど——」


 苦虫を噛んだ表情で、津田は本音を吐き出す。


「あんなのを見せつけられたら、そりゃ悔しいさ」


 影の正体は津田と直結していない。魔法が通用する世界だから、その可能性は最初はじめから考えられた。


「じゃあ、今朝のアレで気は済んだろ。鈴穣スズシゲさんにも志々芽シシメさんにも殴られたし、あんな醜態を晒したからには、これ以上ふたりと関わる余地も綺麗さっぱりなくなった。……津田くんが嫉妬する理由は消えたんだ」


 ギャンブルに勝つ。無意識だとしても、間接的に津田が影を生み出した可能性に賭けていたのだ。

 人型の影が見せた、憤怒の表情。それは単なる怒りではなく、嫉妬感情が無意識に生んだ魔物の姿なのだろう。

 教室で演じた大舞台は、すべてこのための布石。無意識に化け物が生まれるのなら、その芽を摘んでしまえばいいわけだ。今回はたまたま津田の影だったが、いつ他の人間から恨まれるかわからない。僕のポジションが嫉妬の対象にならないほど絶望的なものになってしまえば、第二、第三の影が生まれる火種はなくなる。要するに、抜本的な改革が今朝の自爆メガンテ作戦だった。


「ふぅーっ」


 僕はようやく珍事のネタばらしができた満足感でいっぱいになる。どうりでドッキリ番組が気持ちいいわけだ。クセになりそう、二度とやりたくないが。

 しかし、これが万が一にも津田に響かないとなれば最悪も最悪である。


「え、どういうこと?」

「最悪だ……」


 もう死ぬしかないだろこれ。学校生活を賭けた一世一代の大立ち回りがただの徒労に終わってしまった。明日からどんな顔で登校すればいい。いっそ腫れた頬ごと整形するか?


「なんか、ごめんな?」

「…………」


 放っておいてくれ。後悔と心から向き合うだけの貴重な時間なので邪魔しないでほしい。今日の出来事を記憶から抹消して、黙ったまま出て行ってください……。


「……愬等になら言ってもいいか」


 愕然がくぜんくじける僕を見かねたのか、津田が口を開く。


「俺が嫉妬した理由は、瀬那セナさんだ」

「……ん??」

「昨日教室で、志々芽さんたちと話す愬等を見つめて、本気で怒った瀬那さんの表情を初めて見た」


 流れ変わったな。僕は気持ちを立て直して、津田の独白に耳を傾ける。


「その目には青い炎が灯ったみたいだった。冷たくて。ゾクゾクきた。最高だった」

「ちょっと話の腰を折ろうか」


 なんだか風向きがおかしな方に吹いていたので、早々に津田のセリフを中断させる。


「つまり、津田くんは、僕に嫉妬してるように見えたユ……瀬那さんの姿を見て嫉妬してたってこと?」


 盛大に見誤っていた。嫉妬の対象がそもそも間違っていたらしい。


「いや、どう見ても瀬那さんは嫉妬してた!」


 美女たちと戯れる羨ましさにな! とは言わなかった。というか言う気力が湧かなかった。しかし、これは僥倖ぎょうこう。なんという僥倖っ……! 僕のメガンテは無駄じゃなかった。

 そうとわかれば、僕の挫けた膝も骨肉の存在を思い出す。再び立ち上がって津田と向き合うと、バトルフェイズを終えて誤解をとくフェイズへと移行することにした。


「もう正直に言ってしまうけど、瀬那さん、いやユヅキとは幼馴染なんだ」

「それは、不憫な属性だな……」


 だれが幼馴染は報われないだよ。勝手に同情すんな。


「でも学校では話しかけない約束をしてるって言ったら、僕らの関係性も想像つくだろ?」

「隠れて付き合ってる?」

「その反対」

「犬猿の仲なのか」


 そういうことにしておく。余計な情報はオブラートに包んで、嘘と本当を織り交ぜて説得する。無意識下に恐ろしい化け物を生み出すほどの相手なので、できることなら穏やかにこの場を納めたい。いい加減僕も疲れてきたのだ。


「でも、あんなに憎まれるなんて興奮するなぁ」


 その性癖にはタッチせず、自然治癒して真っ当な大人になってくれるようひっそりと願った。


 津田の誤解もとけて、ようやくひと段落つく。遠回りしすぎてもはや一周したような疲労感。この筋肉痛はしばらくあとを引くだろう。

 今回のケースは、蓋を開ければ矛先は違っていたのだけど、本来の目的は津田だけでなく潜在的に恨みを抱くやつらを根絶やしにすること。それは無事に完遂できたと信じたい。

 僕の学校生活の平穏と引き換えに……。


 いちおう、その他大勢の代表として津田に反応を聞いておく。


「僕が教室で女子に殴られてるのを見て、どう思った?」

「なにしてんだろうあいつ。一生関わりたくないなって。……あ、でもちょっとだけ羨ましかった」


 おまえの性癖はどうでもいいが、この先も無事にぼっちの座をロックできそう。別世界パラレルワールドですら絡もうとする出来心は湧かないに違いない。


「時間をつくってくれてありがとう。誤解がとけたみたいでホッとしたよ」


 もう帰ろう。と血まみれの老婆くらい重い憑き物を背負った背中を向ける。その曲がった背に津田から声がかかった。


「待ってくれ愬等。あの、よければ瀬那さんとの間を取り持ってくれるとか……」

「ユヅキに近付いたら遠慮なくころすから」


 秒で答える。それとこれとは話が違う。貴様ごときが僕の恩人に手を出せると思うなよ。


 感情のジェットコースターで心労はすでにピークを超えていた。もっと効率的な手段があったはずだと今更ながらに後悔するも、ともかく問題のひとつは解決へと辿り着いた。終わり良ければすべて良しというのはシェイクスピアだったっけ。もやもやが残るところ含めて僕にぴったりの戯曲。


 津田素逸ソイツ。僕は名前以外凡庸なクラスメートの彼とたまに会話する程度の仲になるのだけど、それはまた別の話。ぶっちゃけ割に合わない。

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