第3話 波乱の予感

 週末を含めた数日が明けて。期末考査ウィークが訪れると、蝉の声に包まれながら瞬く間に終わりを迎えた。ほどなく恵みの夏休みがやってくる。


 冷静に考えて、この僅かな日数で志々芽シシメさんの学力改善は不可能な任務ミッション•インポッシブルに思えたが、どうやらコンプリートできたらしい。


「どんな手を使った?」


 放課後。今度はひとりだけ呼び出された教員室で、偉そうな態度でふんぞり返る女教師の田中と向かい合う。


「勉強方法ですか?」

「言い換えよう。どんな手口を使った? すでに蔓延はびこるカンニング技法は、ある程度封じたと思ったが」

「おい教師、もっと生徒を信じろ!」


 僕のツッコミが教員室に響いたところで、どの教師からも賛同の意が返ってくる様子はなかった。これもう汚職だろ。


「金庫の番号を変えさせるか」

「答案用紙は盗んでいません」

「赤点を回避するどころか、高得点ばかりだ」

「紛れもない志々芽さんの力です」


 あるいは珍獣グリモンの力かもしれないが、そこは黙っておいた。

 実際、彼女がテストの試練をしのいだ具体的方法を僕は知らない。今回の期末考査は難易度が高く、平均点も中間よりもだいぶ低い。自信のあった僕もテスト中に何度か唸るレベルだった。あの志々芽さんが高得点を連発したとなれば、たしかに魔法でも使ってないと納得できない。むしろ魔法であってくれ。


「……なんにせよ、結果さえ伴えば過程は気にしない。わたしの評価に繋がるからな」


 田中は話のわかる部類だった。教師としては失格だけど。


「わたしの権力はますます安泰だ。愬等サクラもその恩恵に預かれる。ラッキーだな!」

「はい、先生が担任でよかったです」

「次も頼んだぞ」

「は?」


 いい笑顔で田中が条件を加えてきた。話が違う。あの日以来なにひとつ志々芽さんに尽力してない僕は、揺るがぬ意志でしっかりと文句を言った。


「教員室で大手を振り続けるには、志々芽の成績が下がっちゃ困るんだ。わかるね?」

「物分かりよくなりたくない」

「愬等は賢い子だろー? 夏休みの課題を免除してやる。新聞のコラムを書き写すタイプのやつもだ。時間はいくらあっても惜しくないな?」

「チッ! わかりましたよ!」


 卒業と同時に告発してやると固く決心して、教員室の扉を強く閉めた。




 教室に戻ると、帰り支度するクラスの中心的一団に志々芽さんの姿を見つける。あちらも僕を視認したらしく、


「ユクエ、カラオケ行こー!」


 テストを乗り切った開放感いっぱいの表情。志々芽さんは両手を大きく広げて誘ってくる。


「遠慮しておきます」


 僕はにべもなく断る。冷たすぎる対応だけど、慢性化する前の初手が肝心。娯楽で散財する余裕は、僕のふところにはない。


「ヘタとか気にしないよ? むしろプロ並みのタンバリンさばきで盛り上げるし」

「タンバリンのプロ……? いや、財政的な理由で」

「あーね。誘いたかったから、つい」


 志々芽さんはサバサバとした反応を見せる。リア充女子軍団も「だれよ」「ユクエって名前?」「初めて声聞いた」と無碍むげにされて怒るでもなく受け入れたようだった。これがリア充特有の気遣いというやつかな。あるいは大して興味を持たれてないだけかも。


「愬等くん、来てくれないんだ。残念だなぁ」


 集団にひとりだけ。別の反応を返した女の子は、志々芽さんとジャンル違いで目立つクラスメートの鈴穣スズシゲ遥佳ハルカだった。


 ギャル属性タイプの志々芽さんに対し、鈴穣さんは清楚属性の600族レジェンド。洗練されたたたずまいに柔和な顔立ちは、凛然ともおっとりとも見えるいいとこ取りの雰囲気をかもしている。

 志々芽さんと並んで二大巨頭ともくされる彼女がなにかの気まぐれで声を掛けてきたので、


「またまたお戯れを」


 謙虚に呟きながら。腰を低くして、僕は最後尾にある自席に着いた。高嶺の花とも噂される彼女と会話するのは、少し目立ちすぎてしまう。

 それでも会話の空気は終わりを告げない。

 なぜならそこは、キラキラ女子の集う中心地。お隣りは志々芽さんの席であり、僕を挟んで反対側が鈴穣さんの席なのだった。右手に志々芽さんを、左手に鈴穣さんを。二人に挟まれたこの席は、黒が白にひっくり返ったり、攻守が逆転したりするほど影響力の強い竜脈が通っている。


「ホントだよ? きっかけがなかっただけで、前から話してみたかったの」


 鈴穣さんは鈴を転がすような声で微笑みかけてくる。その落ち着いたトーンは1/fエフぶんのいちゆらぎを感じる。


「僕のような平民にはもったいないお言葉で」

「そうかな。いつも成績優秀者の常連じゃない」


 たしかに彼女とはテスト上位枠を争う関係だ。そのくらいしか関与できる接点がない。ちなみに鈴穣さんは授業態度も真面目なので、事実上のクラストップである。


「私、勝手にライバル視してたよ」

「ライバルなんて。今回も負けたし、僕なんか相手にならないよ」

「そう? 愬等くんに並びたいって思ったから今回も頑張れたなぁ。身近な目標っていうか、ちょっと憧れ」


 初めて話したけど、ほんまええ子や。見た目も内面も花丸満点やなんてどこぞの完璧超人やねん。と思わずグリモンの関西弁が乗り移る。

 やけに褒められるので増長しそうになるが、相手は総合スペックで遥かに上をいく高嶺の花。長い目で見て関わり合うことはないだろう。

 とりあえずここは心地よい声色にだけ耳を傾けていると、反対側から志々芽さんが食い気味に参加してきた。


「それな! ハルカわかりみが深すぎ。ユクエって自虐るくせに実は只者じゃない感満載だから」

「知ってる。……ところでカノン、いつの間に愬等くんと仲良くなったの?」


 安寧の時は長く続かない。目立つ二人が会話を始めるものだから、クラスの注目は中間にあるこの席へと集中していた。話題の中心もまさかの僕である。


「えー? ヒミツっ!」


 いやそれ秘密にしなくていいやつー! とツッコミたい衝動に駆られるが、仲良く見えてしまうと外部から無闇な嫉妬を買う気がした。悪目立ちは百害あって一利なし。すでにどこかから殺意の生まれる気配がする。


 僕の機微を察してか、最初から無視していたか。そこに、志々芽さん並に派手なギャル女子が助け舟を出す。


「てかもう行かね? 新機種の部屋埋まるわ」

「そーね。DAMダムしか勝たん。じゃねユクエ!」

「愬等くん、また明日」


 いい匂いを残して嵐は去っていった。再び訪れる平穏、治安の良い教室。

 僕への興味なんてカラオケに劣るのだとわかれば、男子たちの嫉妬も表面上はすぐに霧散していった。担任田中の法治下で、本物の非行生徒は漏れなくアズカバン送りに遭っている。


 ただひとり、後ろを振り返って凄い形相で睨むの存在だけが波乱を予感させた。


 ***


 現在の住まい事情について説明しておこう。


 小学生のときに一家離散イベントが発生し、追われるように天涯孤独の身となった。

 しかし、食べられる野草を摘んで、閑散かんさんとした公園のダンボールで寝泊まりしたのはすでに過去のこと。

 今は太陽光パネルの並んだ屋根の下、団欒だんらんのある家庭の一員として温かい食事に舌鼓したつづみを打ち、羽毛の布団でぐっすりと眠ることができている。


 ただし。その布団のある部屋は、けして僕だけのプライベート空間ではなかった。


「とにかく目立たずいんキャな学校生活を送りたい。だから教室で話しかけないでくれ、って言ったのは行方ユキカタよな?」


 。自宅でだけ掛けるメガネをクイと直して、長い三つ編みを垂れ下げたパジャマ姿の女の子が僕を睨みつけている。


「言いました」

「じゃあ今日のあれはなに? 主力に囲まれてチヤホヤされて」

「目立つ人たちを主力って言うのやめなよ……」


 脇役の一員として上手いこと言うなと感心するものの、同じクラスに属するの卑屈は聞くに忍びない。


「不可抗力だよ。ユヅキも見てたならわかるだろ。ただ遊ばれてただけ」

「自慢か? 美女に遊ばれるなんて最高なんだが?」

「だめだこいつ、早くなんとかしないと……」


 小さな背丈に大きな態度。部屋の壁一面を占める極度なマンガ好きが高じて、一風変わった趣味趣向を持つユヅキは、悔しさをあらわに僕への呪詛じゅそを吐く。

 こいつのあられもない姿を知るのは、おそらく僕だけ。学校での控えめな態度と打って変わり、隠された本性は家でのみ表立つ。


 この世に生をけた順番から準ずると、目の前の幼馴染、瀬那セナ悠月ユヅキは僕の義姉あねに当たる。


 数日に渡る野宿から施設に保護された僕は、とびきり親切な隣人だったユヅキの両親と養子縁組をちぎり、こうして瀬那家に身を寄せている。本来なら瀬那セナ行方ユキカタが公的な本名になるのだけど、僕は生まれ持っての旧姓である愬等サクラを今も名乗り続けていた。


「同じサ行で、なんでウチだけ前の席なのよ」

「くじ運に文句言うなよ。そもそも田中の配慮で指定席だろ。コンタクトしないくせに、メガネも掛けようとしないユヅキが悪い」


 裸眼にこだわるから普段の目つきが悪くなる。視力さえ常人並みなら、ユヅキだって主力になれるポテンシャルがあると思うのに。


「だって、目に異物混入させるのこわいし」

「さも不祥事みたいに」

あの辺ギャルたち芳醇ほうじゅんな匂いに包まれたいだけの人生だった」

「不祥事だけは絶対起こすなよ」


 その発言はもはや事案だろ。載せとくか?


 マジうるせー、とユヅキは苛立つ姿を隠そうともしない。見ようによってはセクシーな薄手のパジャマ姿も、強い口調と態度の前では威圧感を高める要因でしかなかった。


 しかし、このまま家主ユヅキの機嫌が直らないと、居候いそうろうとしては肩身が狭い。すでに五年もの歳月を共に過ごした関係ゆえ、親しき仲にも理由なき逆鱗があることを知っていた。箸が転がるだけで文句を言いたいお年頃なのである。


「話を戻すけど、僕のスタンスは一貫している。目立たず、騒がず、散財せず。高校生の間にお金を貯めて、恩を返してこの家を出る」

「ハァ? まだ言ってんの? 一生、ここにいればいいじゃん」

「そういうわけにもいかないだろ。これ以上迷惑はかけられない。よく喧嘩もするし、ユヅキだって嫌気が差してるんじゃないか?」

「そんなの別に、気にしてないけど。……うちら、家族だし?」


 ユヅキは照れくさそうに鼻を掻く。その言葉にちょっとだけジーンとくるものがあった。

 あの良識ある両親に育てられたのだから、ユヅキの本質も当然のように善良であり、元を辿れば孤独な僕を助けようと両親の背中を押したのも彼女なのだ。


「僕も、ユヅキのことを家族だと思ってるけど」

「……弟として?」

「姉がいいって主張したのはユヅキだろ」

「あっそ!!!」


 なぜか怒った。ユヅキはここしばらく気難しい年頃だから、いい加減僕にも耐性がついている。こういうときはヘタに刺激せず放っておく方がいい。さわらぬ義姉あねに祟りなし。


 二人して黙りこくる時間が過ぎたところで。随分と前から気になっていたことを尋ねてみる。


「なんだか今夜は、窓の外がうるさくない?」

「……そう?」

「うん。なんか女の人の声が聞こえる」

「幻聴じゃない? ていうか教室でハーレムモノを経験した残滓ざんしでしょ。淡い思い出に浸るのイタいからやめなー?」


 腹立つ感じに言い残して、ユヅキは二段ベッドの下段へと潜っていった。


「……気のせいじゃないと思うけどなぁ」


 徐々に遠くなっていく喧騒けんそうを聞きながら、僕は電灯を消した。どこか聞き覚えのある声だった、ような。

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