第2話 魔法少女
担任教師の取引条件は、隣席のギャル系女子の学力を向上させること。
「暑いのに歩かせてゴメンね? エアコンつけたし、すぐ涼しくなるぜっ」
そんなこんなで僕は今、志々芽さんの部屋へとお邪魔していた。
いかにも彼女っぽいオシャレなインテリア。キュートな小物の多く飾られた明るい色味で、そこも志々芽さんらしく少しごちゃっとしていた。
「すでに上がり込んでおいてだけど、本当によかったのかな」
「大丈夫大丈夫! 今親いないし!」
大丈夫じゃない。普通は「親はすぐ帰ってくるから」って牽制しておくところ。
部屋の中心にあるテーブルを挟んで、向かい合わせで座る。わざわざ隣に行かずとも遠くなりようのない間取り。
「なんか距離あんね」
「隣じゃなくても十分近いよ」
「心の距離がさー」
ギャルの間合いと僕の間合いは大きく異なる。担任田中の取引による奇縁とはいえ、普段から関わりのない志々芽さんと同じ部屋で勉強なんて、あらためて考えると妙なシチュエーションだ。
しかし、全教科赤点の問題児を更生させるこの過酷なミッション。当人にやる気がなければ成立しないように思う。
「疑問なんだけど、志々芽さんが今さら勉強する理由ってある?」
「ん、ケンカ売ってる?」
「いや、バックレるものかと」
「べつにあたし不良じゃないし。留年したら
ぐうの音も出ないほど真っ当な答えが返ってくる。失礼な質問をしてしまった。でもその見た目はどう見ても、と野暮は言わないでおいた。
最低条件は整ったわけだし、案外この任務はすんなりとクリアできるかも。
「早速だけど、まずは志々芽さんがどのレベルか知りたい。問題集のこのページを解いてみて。ちょうど一学期のまとめになってるから」
「へーい」
素直に問題集を受け取って、腕まくりの志々芽さんは数式とにらめっこをはじめた。
個性豊かな見た目から別世界の人種みたいに感じていたが、彼女の性格は素直で接しやすい。クラスで友人に囲まれるのも納得。たぶん、悪い子じゃない。志々芽さんは年相応のオシャレ好きな女の子で、ただちょっと勉強スキルが残念なだけ。
僕の方がよほど偏屈で変わり者だし、だから友達もいない。そのスタンスを変えるつもりは毛頭ないけれど。
「……? …………??」
志々芽さんは唸りながらも問題と向き合っているよう。
しばらく眺めるも、暇になってきたので僕は静かにリュックからノートパソコンを取り出し、こっそりと開く。普段は勤労に従事するこの時間帯。今のうちにブログの予約投稿を増やしておかないと、今日のノルマはまだ終わっていない。
「ちょっと待って、なにそれ」
しかし、志々芽さんが目ざとく反応して手を止める。
「ごめん、邪魔しないから気にしないで」
「いや気になるっしょ。なんでがっこーにパソコン持ってきてんの?」
「えっと、ちょっとしたお仕事だよ。今日はバイトがない分、少しでも作業を進めたくて」
「仕事ぉ?」
パソコンの取り出すタイミングを間違えた。すっかり集中の切れた志々芽さんは、ちゃんと説明されるまで問題集なんか進みませんといった様子。ちなみに回答欄はひとつも埋まっておらず、キャラモノの小さな落書きだけが目に入った。
身から出た錆なので、素直に用途を伝えることにする。
「アフィリエイトブログってやつで、商品の記事を書いて紹介すると報酬が手に入る。お金を稼ぐためにパソコンを買ってからコツコツやってるんだよ」
「ハァ? それってさぁ……」
志々芽さんは唖然として言葉を止める。また僕なにかやっちゃいました? でも嘘はついてない。ここが変わり者たる
「それって、めっっっちゃスゴいじゃん! ていうか偉い。たぶん偉いんじゃないかな。ちょっとわかんないけど、とにかく凄いと思う!」
溜め込んでいた言葉を吐き出すように、志々芽さんは誉め殺してくる。長いまつ毛の大きな目もキラキラと光った。
「超自立してるじゃん。お金を稼ぐってホント大変だよ? あたし三日もったバイトないもん!」
「それはそれでなにか問題があるのでは?」
「店長が手を出そうとしてくるし」
「それは問題だ。すぐ通報しよう!」
派手な上に美人となれば、社会でそれなりの不都合があるのだと知る。志々芽さんはグラマラスなスタイルだけでなく容姿も良い。彼女のことをよく知らないまでも、整った目鼻立ちの優れたルックスと陽気なキャラクターで、クラスでは否応なく目立つ存在なのだ。正直なところ、こうして一緒にいるのが不思議なくらい、僕とは正反対のポジションを確立している。
「別にいーよ、キリないし。ちゃんとシメたから。てかさ、どうしてお金が必要なの?」
「……とにかく必要で」
「なんで? どーして? 教えて?」
志々芽さんが身を乗り出してグイグイくる。たわわな二つの圧力が机の問題集を押し出してノートパソコンすら落とす勢い。対思春期の最強凶器と、高価なパソコンの
「お、お金があれば大学に行ける。将来の基盤が買えるから」
「へぇ、いくらあれば買えんの?」
「卒業までにとりあえず300万。奨学金なんて借金したくないし特待生になれるほど過信してない。でもなんとか目処は立ってきた」
僕は混乱して早口に白状した。パソコンを無事にキャッチして、志々芽さんのそれは網膜に焼きついた。目に毒だ。
「ふぅん。……それがユクエの秘密なんだね」
本音を聞いて、なにかを思案するように志々芽さんは目をつぶる。その一瞬張りつめた緊張感に、嫌な予感が湧き立った。
油断した。弱みを握られた? 志々芽さんのコミュニケーション力がバケモノだから、心の距離感がいつの間にかバグっていた。
人を信用しすぎてはいけない。無害のフリして近付いてくる中に、平然と悪魔が潜んでいると知っていたはずなのに。
揺すられる不安が脳裏をよぎる。パシリで済めばいい。貯蓄がバレたとなれば、もっと直接的な要求をされる可能性もある。
僕の心配の向こう側で、意を決したように志々芽さんが口を開いた。
「……あたしもね、実は秘密があるんだ」
「そうくるかー」
志々芽さんを侮っていた。脅すなんて思考は、彼女には微塵もなかったらしい。
相手の秘密を知ったから、自分の秘密も
一方で、志々芽さんはそれを恐れない。曝け出すのを誠意とも思っていないだろう。ただ当たり前に、目の前の人間に向き合うだけ。志々芽さんの本質に、ようやくちゃんと触れた気がした。
偏屈さを反省しながら、僕が固唾を呑んで待ち構えていると。
真面目なトーンで、志々芽さんはその秘密を口にする。
「……あたし、実は魔法少女なんだ」
「ん??」
「たまに悪の手先と戦ってる」
「……ほう、どうやって?」
「
そう言って志々芽さんは両拳を立派な胸の前で突き合わした。なんかネットでこんな感じの見たことあるな。
なんの冗談? もう彼女がわからない。立派な二つの
「魔法の道具とかないの。アニメでよくあるやつ」
「じゃじゃーん、魔法のネイルセット!」
「どういう効果が?」
「テンションがアガる」
僕のテンションは下がった。ついでにいろいろとどうでもよくなった。
「へぇ。魔法が使えるなら、その力でテストも解決できない?」
「それってチートじゃん?」
「魔法が志々芽さんの力なら、それはもう立派な実力だ。知らんけど」
本当に知らんけどって感じだ。もはや怒りすら湧かない。ギャルで魔法少女って設定盛りすぎ。まず少女じゃないし。
これが遊ばれているという感覚なのだろう。変に他人と関わったのが間違いだった。
担任田中との契約破棄について思いを巡らせていると。志々芽さんはおもむろに「ちょっと聞いてみるね」と立ち上がった。
彼女は魔法のネイルセットから取り出したピンク色のマニキュアを爪に塗り、その手を前に突き出して聞いたこともない言葉を唱え始める。
途端に、空気が一変する。
甘い匂いの充満する室内にどこからか強い風が吹き入り、志々芽さんの短いスカートがピラピラと舞い上がる。どうやらこの風は、彼女を中心にして渦を巻くように集まっているらしい。超常現象を目の当たりにしながら、このまま凝視していいのという葛藤が僕の脳内に渦巻いていた。
「うお、眩しっ」
カッ——、と一瞬視界を遮る眩しい光が放たれたかと思うと。いつの間にか志々芽さんの手の甲に、小さく黒い生き物が鎮座していた。
目の前の出来事を僕がゴシゴシと目を拭って確認する一方で、クラスの友だちとおしゃべりする態度で志々芽さんはその珍獣と会話を始める。
「ねえグリモン、ちょい聞きたいんだけど」
「なんやねんカノン。こっちは気持ちよう寝とったのに」
気怠げな雰囲気を漂わせて、グリモンと呼ばれた珍獣は関西弁で文句をつけた。その形姿は、黒毛に覆われたハムスターみたいで猫耳をつけて丸っこい。まるで愛玩動物の人気要素を組み合わせたキメラのよう。
そんな生き物が突然目の前に召喚されて、僕は思わず、
「高く売れそう」
「おいニイチャン、物騒な呟きが聞こえてんで!」
謎の珍獣が耳ざとくツッコむ。コテコテの
僕の考察をよそに、志々芽さんはグリモンと交渉を進めるようで。
「ところでさ。今度のテスト、魔法でどうにかなんない?」
「ちょい待て待て。カノン、人前で呼び出したらあかんやん。魔法のことは秘密やで?」
「えー? トモダチだしフツーに秘密くらい話すっしょ」
志々芽さんはあっけらかんと言い放つ。僕がせっせと組んだ孤高の垣根を軽々と飛び越えて、いつの間にかトモダチの距離感に着地していた。
「おいおい、契約違反……て説明しとらんかった? かーっ、この
よくしゃべる珍獣だった。たしかに志々芽さんは規格外なところがある。肌感覚では僕の常識は珍獣寄りらしい。
「ゴメンね? でもマジでピンチっていうか危機っていうかお願い助けてーって感じ」
志々芽さんは手を合わせて小首を傾げ、ぶりっ子っぽく懇願する。
「そんなもん、必死こいて勉強したらええやん」
至極真っ当なご意見だった。志々芽さんは口を尖らせている。正論に
どうやら魔法の発動には、グリモンとかいう胡散臭い珍獣の協力が必須らしい。そのへんのシステムはよくわからないし、魔法なる超常現象を完全に信じたわけじゃないが、僕としても田中の取引を速やかに遂行したい。ここらで説得力のある助け舟を出すことにした。
「グリモン、これを」
「いやニイチャンも受け入れるの早いな」
「現代っ子だからね。とにかく、これを見て」
問題集を開き、白紙の解答欄と端っこに落書きの描かれたページを見せる。国民的キャラクターがモチーフの落書きは「マジ☆ムリ」とフキダシから弱音を吐いていた。
「志々芽さんが裏口以外でどうやってこの高校に入れたのか、僕はわからない。それくらい壊滅的なんだ」
「はえー。世の中にはワイの知らない摩訶不思議があるんやなぁ」
まぁええか、とグリモンは諦めたようで。
「その願い、叶えたるわ」
無表情の愛玩動物フェイスを崩すことなく、ニヤリと笑ったように見えた。
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