魔法ギャルの“契約”を破棄してやりたい

でい

第1章

第1話 隣席の派手なギャル系女子

 長期的な人生設計の求められる現代を「人生百年時代」というらしい。


 100年は長すぎると思うものの、先の未来がいかに発展するのか見当もつかないわけで。

 仮想空間をゴーグル越しに体験したり、AIがチャットでお返事したりする現代の常識を、百年前の人たちに教えたらどう反応するだろう。たぶん、別の惑星の言語くらい伝わらない。近い将来、寿命百歳なんてのはテクノロジーの進化でありふれているかもしれない。


 不確定未来の技術革新に、どうして想いをせているのかというと。

 突然の死でも訪れないかぎり、人生の旅路は遥か続き、その長い道のりは登り坂、下り坂、の連続であると悟っているからだ。


 10歳のとき。家庭の事情で、僕は孤独にホームレスの日々を送る羽目になった。

 日々とはいえたった数日。しかしサバイバルの心得を図書館のインターネットで検索して、食べられる野草図鑑を借り、ダンボールを被って野宿する経験をすれば、否が応でも独立心が芽生える。


 公共福祉と親切な人たちに運よく助けられながら、僕は義務教育を無事に終えると、さらに学問を修めるため地元の公立高校へと進学した。

 学歴社会の百年を生き抜くのなら、人生序盤の努力をおこたってはいけない。アルバイトに励んでお金を貯めつつ、夜間は机にしがみついて勉強。学校では有益そうな授業を除いて睡眠に努めた。おかげで、友人とは無縁の学校生活を謳歌おうかしている。独唱である。


 しかしそれも、目標へ邁進まいしんするために自ら貼ったレッテル。寄り道に誘われなければ無駄な出費を避けられるし、そもそも誘いを断る手間も省ける。助走から余所見よそみしていては、遥か先のゴールまで辿り着くことは到底できない。


 僕の目標『百歳を生き抜いて、最期に笑顔で死ぬ』ためには、まずは学歴の土壌どじょうと、豊かな財政基盤の構築を優先しないといけない。とくに学校の人間関係なんて、閉鎖的で刹那的なものに割いている余裕はない——




愬等サクラ行方ユキカタ


 そんな矢先。担任に呼び出された教員室で、無慈悲な宣告を受けた。


「君、勉強はできるね。本日をもって彼女の学力向上委員だから」

「……どういうことですか?」


 デスクに片肘ついて悪びれもせず言ってのけた田中に聞き返す。しかし目の前のアラサー女性教師は、教員室で最も権力がありそうな態度を崩そうとしない。夏場の暑さに抵抗するためか、フォーマルスーツを着崩して、パタパタと書類であおいでいる。


「どうもこうも。期末考査をいよいよ来週に控えている。勉強のちょっとばかし苦手なクラスメートが大ピンチなのだから、お仲間としては助け舟を出してやるべきだろう」

「お仲間?」


 僕は並んで立つクラスメートを見やる。たしか、隣の席の派手なギャル系女子。平凡な公立高でひときわ目立つ風貌の彼女は、所在しょざいなげに手遊びしていた。


「そういう生徒に手を差し伸べるのも、田中先生の職務では」

「これは君への救いの手だよ、愬等」

「……どういうことですか?」


 再度問いなおす。この担任教師とのキャッチボールで手を抜いてはいけない。言われるがままでは、学力向上委員なんて架空ポジションをていよく押し付けられてしまう。


「普段のテスト結果はたしかに良い。学年でも優秀の部類に入るだろう。しかしだな、成績のつけ方には、教師の親愛度という隠れステータスがある。……わかるね?」

「まさかそれを人質に説き伏せようと……」

「教師の切り札だ」

「禁止カードでは!?」


 レギュレーションを見直せ。こんなの横暴おうぼう、教育者として許されざる存在がここにいますよ! と見渡すも、ほかの教師たちは露骨に視線をらして目を合わそうとしない。なんだか不穏な空気を感じる。


「だから、救いの手と言ったじゃないか」


 田中は尊大な口ぶりのまま、フチなしリムレスメガネをちょっとセクシーに掛け直す。


「答案上だけは優等生な君が、授業態度のマイナスを払拭できる。いわば逆転のチャンスととらえてくれ」

「つまり……取引ですか?」

「よし、取引成立ディール

「してません」


 会話のキャッチボールどころか、さっきから危険球ビーンボールしか投げてこない。しかも手元で急に曲がるタイプのやつ。

 もう一度、チラリと隣を見る。ギャルはどこから取り出したのか、ミニスポンジのようなもので入念に爪の手入れをしていた。


「……うまくやればいい大学に推薦もできるなぁ」


 断りを入れようとした瞬間に、田中はボソリと呟く。


「頑張って、一般入試で入りますよ」

「しかし参考書代、受験費用、交通費などなどかかる。なにより、勉強に費やす時間が推薦とは段違いだ」


 ピクリと僕が逡巡しゅんじゅんするのを見逃さず、田中は言いくるめるように報酬を上乗せする。


「なーに、悪いようにしない。むしろ色をつけてやる。困り事があれば助けてやるし、ほかの先生方に便宜べんぎも図る。わたしの権力が続くかぎり、愬等の高校生活は安泰あんたいそのものだ」


 権力ってなに。いや、たしかにこの部屋の雰囲気から教師陣の萎縮を感じる。聞こえているはずの距離で「いい天気だ」と曇天を眺める教頭の後ろ姿に、どうやらこの担任教師への抑止力は期待できそうにない。


「その上、ミッションは簡単。テストの赤点回避だけでいい」


 あとひと押しと見抜いたか、すかさず田中はお手頃感をあおる。

 そう聞くと、たしかに悪い話じゃない。赤点と言えばだいたい平均点の半分、25点前後。報酬に対してハードルをとことん下げる理由は気になるものの、手順をしっかり踏めば困難なミッションには思えない。それならここは、救いの手とやらを握ってみても……。


「わかりました。……早速ですが、お願いがあります」

「わかった。君の学校外活動にも目をつぶろう」


 本題を切り出す前に、田中は二つ返事で快諾した。その含みある表情は、なぜか学校に申告していないアルバイトのことを知っているらしい。最終的にはこれを武器に脅されていた可能性すらある。


「いえーい、ディール」

「そんないい笑顔で言われたら腹が立ちます。教員免許を返納してください」

「別にわたしは聖職者になったつもりないし」

「まず教育者としてどうかと思いますよ!」


 いくら皮肉を言おうと意に介さない。この担任が型破りなのはクラスのだれもが認知するところなので、無視してここはポジティブに考える。教員室を黙らせる上級教員の田中にお墨付きをいただいたのだから、堂々とアルバイトを増やして貯蓄計画を前進しやすくなる。

 問題は、この隣人だけど。


「もう終わった? 帰ってい?」


 ギャルはピカピカの爪を広げて屈託なく笑っている。賢くはなさそうだった。


 田中がシッシッと手を振って帰りを促すので、ギャルなクラスメートと連れ立って教員室をあとにする。

 とくに会話するきっかけを掴めず。そのままノコノコと教室まで戻ってきたところで、


「なんかゴメンね? あたしのために」


 意外なことに、いきなり謝られた。


 ギャルの見本みたいな女の子だった。明るめの赤に染めた長髪に、差し込まれた金色メッシュ。膝上より腰下に近い丈のスカートと、耳全体の散りばめたピアス。

 校則違反を全身にまとったメイクばっちりの派手な見た目とは裏腹に、目の前のクラスメートはしおらしい態度を見せる。


「無理問題もんだいを押し付けられちゃった感じ?」

「無理難題なんだいね。……いや、自分のためでもあるし」


 あの入念な交渉を見せた上で、君のためとは口が裂けても言えない。


「ふぅん? でも助かる。田中っちは大ピンチって控えめに言ってたけど、正味そんなもんじゃないから!」

「大ピンチは控えめ表現じゃないけどね」


 彼女は意志の強そうな瞳で元気に言い張る。イメージ通りのギャルらしいテンションだが、印象よりは気さくで話しやすい。

 しかし大ピンチが誇張じゃないなら、よほどの窮地きゅうちに立たされている。なんだか雲行きが怪しい。すでに眩暈めまいしてきたが、もう少し詳しく掘り下げることにした。


「ちなみに、えっと、はどの科目が苦手なの?」

「名前知らないってマジ? 席、隣りじゃん。“叶う”に“望み”で叶望カノンだよ」

「漢字を説明されてもピンとこない」


 名前がキラキラとまたたいている。どのクラスにも数人は難読ネーミングのご時世だが、彼女は輪をかけて個性的な部類。


「てゆーか、ユクエも変な名前だし?」

行方ユクエじゃなくて行方ユキカタね。名前を知られてるなんて思わなかった。間違ってるけど」

おなクラだしフツーだって。ユクエもあたしのことはカノンって呼んでいいから」


 間違えが転じていきなりニックネームとして定着した。おそろしく早い距離の詰め方。僕でなきゃ見逃しちゃうね。


「うん。それで、えっと、君はどの科目が苦手?」

「名前呼ばないのかよクサ。まぁいっか。志々芽シシメでいーよ」

「……じゃあ、志々芽さんで」


 おかげで思い出せなかった名字がわかる。名前呼びを躊躇したのもあるけど、彼女の察しがよくて助かった。コミュ力の高いギャルは行間を読む能力に長けているらしい。案外、現代文とか得意かも。


「苦手科目はねー、国語とか算数とか理科とかぁ……ぜんぶっ!」

「現国に数学に……ああ、全部ね……」

「あ、でも身体使うのはめっちゃ得意!」


 そう言って志々芽さんは高校生離れしたスタイルを強調するように胸を張った。薄い夏服の効果もあって、出るとこがよりしっかりくっきりと出て見える。紛らわしい言い方をしないでほしい。


「体育が得意なんだね。残念ながら、テストで動かす部位は頭と手だけだよ」


 こんな回答を返すくらいなので想像はつくが、いちおう尋ねておく。


「志々芽さんは、前回の中間テストはどうだったの?」

「ん? 赤点」

「どの教科が?」

「全部」


 へぇ。となると来年は後輩かな。


「じゃあ、とりあえずテスト範囲の問題を渡すから、明日までにやってもらえる?」


 田中と取引した手前、ポーズは必要になる。宿題を与えてお茶を濁そう。今がすでに地をう学力ならこれ以上はどう転んでも落ちようない。テスト範囲を見直すだけで前回よりはマシだろうし、それで学力向上の任務は達成となるはず。どうにでもなれ。


 しかし、手渡そうとしたプリントはヒラヒラとくうを泳ぐだけだった。志々芽さんは受け取らずに、キョトンとした顔を向けている。


「一緒に勉強すんじゃないの?」

「え、一緒に?」

「ユクエのウチでする?」

「僕の家だけは絶対にムリ」

「それならあたしの部屋でいっか。時間ないし急ご!」


 机の中身をグワシと掴んでグシャリとバッグに詰めると、志々芽さんは急かすように引き戸の前に立った。いつ展開が変わった? イエス・バット法を駆使されて、なし崩しに彼女のお宅に向かうと決定したらしい。

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