ドゥイリオとジークムント
お茶を濁すなんて許さない。
ヴァンダル清貧院は、国内随一の厳しさを誇ると有名な孤児院だった。その若い院長を前に、ドゥイリオはすっかり萎縮しきってうつむいている。
「ことの顛末は存じております」
彼女の声は鋼の棒のようだった。硬質で揺るぎない。僕の背筋まで自然と伸びてしまう。
「ジークムント・アルブレヒト・ギレス様。このたびはわたくしどもの不始末で、あなた様のお命をたいへんな危険にさらしましたこと、伏してお詫び申し上げます」
お腹の前で両手を重ね、彼女は深々と頭を下げた。ほとんど直角になろうというくらいに、だ。これではかえって申し訳なくなってしまうな。
「いや、気にしないで。僕はこの通り生きているから」
「寛大なお言葉に感謝申し上げます。しかし」
彼女はピッと頭を上げて、睨むように僕を見た。実際は睨んでなどいないのだろうけれど、あんまり鋭い、厳しい目だったものだから、睨まれているように感じてしまう。
「どうか甘やかさないでいただきたく。このような過ち、二度と起こってはならないのですから」
「ドゥイリオならもう大丈夫だよ」
「いいえ、彼一人の問題ではありません。これは孤児全体のお話です。先日処刑された元占術師長も元は孤児と聞いております。孤児は犯罪をなす、と、世間がそのように思ってしまったら、幸せを掴めたはずの子まで不幸になる。そして一層、悪に堕ちやすくなる。負の連鎖を生むわけにはいかないのです。ドゥイリオ」
静かな、その分鋭い声が、ドゥイリオに矛先を向けた。ドゥイリオは元々真っ直ぐだった背を、びくりと震わせてさらに伸ばした。
「あなたはその負の連鎖に加担しました。それなのに、なぜ許されてここにいるのです」
ドゥイリオはごくりと唾を飲んでから答えた。院長の問いには決して口を挟まないでくれ、と事前に頼まれていたから、僕は意識して口を閉ざす。
「き、騎士団の方々が、俺には責任能力がなかったと判断なさったからです」
「そうですか。では正当ですね。まったく、子供だからと容赦する悪い癖はまだ直っていないようで。後ほど団長に直訴しに参ります」
この人の直訴を受けるのは大変そうだなぁ、と他人事のように思う。イェルンがおたおたする姿が目に見えるようだ。
彼女の尋問は終わっていなかった。
「次。許されたのならなぜ、今の今まで姿を見せなかったのですか」
「……怖かった、からです。怒られると分かっていたので、怖くて、忘れたふりをしていました。そうしたらいつの間にか、本当に忘れていました」
「恐怖は正常な判断を失わせます。恐怖することは悪いことではありませんが、その恐怖を振り払い、正しい判断をする力が、あなたには欠けている。これを学びとし、二度と繰り返さないように」
「はい」
「では、あなたは外へ。あの日あなたにかばわれた子供たちが、あなたのことを待っています。何をするべきか、お分かりですね」
思わぬことを聞かれたとばかりに、ドゥイリオは目をしばたたかせた。
「ええと……謝ります」
「何について」
「……何も言わず、失踪したことについて……?」
「違います。あなたは謝罪と感謝を受けるのです。彼らは、あなたに救われ、あなたがさらわれるきっかけを作りました。あなたは正しいことをなした。堂々と、謝罪と感謝を受けてきなさい」
なるほど、と僕は思った。彼女が慕われるわけだ。
ドゥイリオはわずかに面食らったような間を開けて、ようやく「はい」と頷くと、院長と僕に頭を下げてから部屋を出ていった。
彼の足音が遠ざかるのを待って、
「おかけください、ジークムント様」
と、彼女はソファを指した。ドゥイリオがいなくなっても彼女の口調は変わらず、堅いままだった。
僕がゆっくりと腰掛けるのを待ってから、彼女は口火を切った。
「孤児院の決まりはご存じかと思います」
「うん、知っているよ」
――未成年の子供の退所は、養子縁組以外認めない。
それが国の法律だ。だが、ヴァンダル清貧院ほど徹底的に守っている孤児院はないだろう。大抵は口減らしだなんだと言って、未成年でも働きに出している。ひどいところでは、子供を金で売ることもあるらしい。また、養子縁組なら何でもいいと、相手のことをろくに調べもせずに子供を任せる孤児院もある。……たとえ、何人もの子供を不自然に死なせている家であっても。
院長は真っ直ぐに僕を見据えた。
「ジークムント様のお覚悟をお聞かせください。ドゥイリオをご自分のご子息と思い、守り、彼の幸せを保障してくださいますか」
参ったな、と思った。
「……正直に話すよ」
誤魔化す気は元々なかった。けれど、この人には、ほんのちょっとの濁りも見透かされそうだと察したから。
「僕は保障できる。間違いなく、彼のために身命を賭すと誓えるよ。けれど、僕の養子になるということは、ギレスの名がついてくるということだ。僕はもうギレス公爵家とはほとんどつながりを持っていないし、兄上だって気にしないだろう。当然、相続権はない。たとえ兄上のご子息に何かあったとしても、ドゥイリオが責を負うことはないよ。でもね」
自然、口が重たくなる。嫌な世界だ。
「当事者たちがどれだけ納得していようと、世間の目は表面しか見ない。ギレスの名だけを見て、あれこれ言う人は腐るほどいるだろう。……ドゥイリオが、僕を殺しかけたことについても、同じだ」
大方の人々は、ドゥイリオの良さなど見ようともしないで、彼がどれだけ自分自身を責めているのかも知らないで、口さがないことを言い立てるだろう。
それを悪だと言うつもりはない。この世のすべての人のことを正しく知るなんて、できるわけがないのだから。僕らの目にはいつだって、身近な人のことしか映らなくて、その像すら見誤る。まして一瞬映っただけの見ず知らずの人間ならなおさら。
「だからね、実を言うと、自信はないんだ。世間の目は、僕の手の届く範囲から外れてしまうから。もちろん、ぎりぎりまで守るつもりだよ。できることは何だってするし、僕に文句を言うなら反論する。でも……」
ああ、結局、濁ってしまった。結論を出さないまま来てしまったから。覚悟が足りないと喝破されたら、もう何も言えない。
突き刺されると思って身をすくめていると、彼女は心持ちゆっくりとした口調になった。
「あなた様は、騎士団養成学校に入り、一年で自主退学し、故ヨーゼフ氏に弟子入りなさったと聞いております」
「よく調べているね」
「当然です。子供たちの行く末を守るのは、わたくしどもの勤めですので」
簡単なことのように言い切ってみせたが、そこに途方もない苦労があることは、いくら僕でも想像がついた。
「そのときも、世間の目とやらを気になさいましたか」
「……しなかったね」
「では、一度忘れてみてはいかがです。世間がどう思うか、など」
そう言いながら、彼女は自分自身が矛盾を生んでいることなど先刻承知しているとばかりに微笑んだ。
「あなた様がおっしゃる通り、世間は表面しか見ません。だからこそ、内側は誰よりも愛に満ちていなくてはならないのです。世間に負けないほど強く、厳しく、優しくあらなくてはならないのです」
――なるほど、彼女が強いわけだ。
「あなた様は、ドゥイリオに、世間に屈しない強さを与える覚悟がありますか」
参ったな、と思う。
もしかしたら、この孤児院にいたほうがドゥイリオにはいいかもしれない。僕のような半端者より、彼女のような徹底した人物のもとにいたほうが確実なんじゃないだろうか。そんなことを考えて。
――こうやって、隙あらば逃げようとする自分を恥じる。恥じて、悔いて、だから次はもう逃げない。
はっきりと頷いてみせる。
「うん。大丈夫。任せてほしい」
「よろしくお願いいたします、ジークムント様」
毅然とした態度で、院長は深々と頭を下げた。
おしまい
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