エッダ

共に飲み明かそう。


「いつになく荒れてますね、占術師長殿?」

「うっせぇ、分かりやすい嫌みを言いに来たなら帰れ!」


 エッダが怒鳴りつけると、オルヴァーは笑って肩をすくめてみせた。まったくこたえていないのがこの副官の悪いところであり、良いところでもある。年下とは思えない豪胆さが、エッダのような言葉を選べない人間にはありがたくはあるのだ。苛立ちはするけれども。


「明かりが見えたので、休暇中のあれこれをご報告に参りました。早いほうがよろしいかと思ったのですが、聞く余裕はおありで?」

「ねぇっつったら帰んのかてめぇ」

「では一つ目ですが」


 淡々と報告が下される。次の祭りのための占いの結果、東部地区の収穫量の変動、経過観察を命じていた北部地域の長雨、西部遠征の結果、来年度の編成案、入隊者選抜試験の内容について――


「以上です」

「明日の朝一でウェリスの奴をぶん殴りに行くから覚悟しとけっつっとけ。半端な占いしやがって。編成の確定はあたしが占ってからだ。北の長雨の件は明日陛下へ上奏に行く。あとはいい、上等だ」

「もったいないお言葉です」


 慇懃無礼に頭を垂れたオルヴァーが、ふとエッダの足下の花束に目を留めた。


「おや、結婚式でしたか」


 目敏い野郎め、とエッダは内心で舌を打つ。


「そうだよ。姪っ子のな」

「そんなに大きな姪御さんが?」

「うちは大家族でな。一番上の兄貴の娘だから、もういい年だ。早めなのは確かだが」

「おめでたい席にもそんな辛気くさい顔で参加なさったので?」

「なわけあるかよ、ボケ」


 エッダとはいえ、時と場所くらいはわきまえている。祝いの場に水を差すような真似はしない。だが。

 オルヴァーが訳知り顔で頷く。


「なるほど、親族に擦られましたか」

「……今日はマジで殴るぞ、オルヴァー」

「たいへん失礼いたしました」


 そうだ、擦られたのだ。エッダが未婚であることを。うるせぇと怒鳴りつけても、親族はオルヴァーよりもっとひるまない。さらに激しく怒鳴り返されるのがオチだ。いつ結婚するのか、いい人はいないのか、このまま独身で行く気か、親として兄として姉として恥ずかしい云々――

 姪御の顔を立てて大人しくしてやっていたが、限界ぎりぎりだった。最初からこうなると分かっていて、休暇も最低限しか取らず、式が終わるやいなや飛んで帰ってきたのである。それでもここまで精神を削られた。

 ――思えば、うちの家族にはいつも精神を削られてばかりいる。

 エッダは苦々しく思い返す。騎士養成学校に行くと決めたときも、ヨーゼフ師に弟子入りしたときも、どうしてそんなところに行くのか、大丈夫なのかとうるさくがなり立てられて。学校であたしがどんな目に遭っていたかも、ヨーゼフ師にどんなに救われたかも知らねぇくせに!


(ああ、くそっ、こんなこと思い出してどうすんだよ!)


 立ち上がった拍子に、つい花束を蹴飛ばしたくなったのをぐっと抑え込んだ。花に罪はない。オルヴァーに背を向ける。コートすら脱いでいなかったのだ。ハンガーに掛けると、昨日の昼間からくっついたままだったらしい花びらがひらりと床に落ちた。


「僕からすれば羨ましい限りですよ」

「“他人の星は吉兆に見える”って知ってるか」

「もちろん」


 オルヴァーがカードをかき混ぜているのが背中越しに分かった。振り返ると、ちょうど山を作って切り始めたところだった。何を勝手に占ってんだ、と聞く前に話し出す。


「そういえばご存じですか、最近発表された人間心理に関する論文」

「くそド田舎にいたあたしが知ってると思うか?」

「簡単に要約するとこうです。『人が怒りを感じるときとは、己自身うすうすまずいと感じていることを突かれたときである』」


 エッダは咄嗟に言葉を呑み込んだ。ここで怒ったら論文を証明することになる。いや、こうやって黙らされたことがすでに術中にはまっている証明かもしれない。

 オルヴァーは相変わらず、薄い笑みをたたえたままだ。


「『本当に気にしていないことであるならば、怒りを感じることすらない』だそうですよ」

「何が言いてぇんだよ、てめぇは」

「分からないのでしたら論文をお読みください。『黎明』の最新号ですよ。それと――」


 カードを三枚、立て続けにめくって、


「――案外近くにいらっしゃると思いますよ。あなたがその気になっていないだけで」

「は」

「あ、僕じゃありませんよ。誓って違います」

「てめぇなんざこっちから願い下げだ! 報告が済んだなら出てけ!」


 反射的に掴んだ文鎮を投げつけられる前に、と思ったのだろう。オルヴァーは礼すら取らずにそそくさと出ていった。

 入れ違いにやってきた髭面の筋肉だるまを、そのままの流れで睨みつけてしまう。髭面は思いのほか丸っこい瞳をぱちくりさせて、首筋を撫でるようにかいた。


「なんだ、どうした。ずいぶんと荒れてるな」

「……イェルンか。なんだよ、どいつもこいつも」

「明かりが見えたから、一杯どうかと思ってな」

「今日のあたしは飲むぞ」

「飲まないお前がいるかよ」

「いい度胸だ。破産してもしらねぇぞ」

「おい待て、いつも通り半々だからな?!」

「いーや、今日は駄目だ。今日だけは奢ってもらう!」


 駄々っ子のようだと自分でも思った。けれど荒れているのだから仕方がない。イェルンも察したのか、苦笑気味に両手を挙げた。


「分かったよ、好きなだけ飲め」

「よし、言質は取ったからな。行くぞ!」


 掛けたばかりのコートを引っぺがすように取る。まだ残っていた花びらがひらひらと床に舞い落ちて、エッダはそれを思い切り踏んだ。


(知るか! あたしはあたしだ! 生きたいように生きて何が悪い!)


 世の中は気に食わないことばかりだ。だけど良いことだってある。好きなことを仕事にできたとか、一緒に飲み明かしてくれる友達がいるとか。そういうことまで引っくるめてゴミ箱に捨ててしまうほど馬鹿ではない。


 ――明かりが消された部屋の中で、机上には三枚のカードが残っている。

 その三枚を、はたしてどう解釈したものか――


「……十年来の片思い、お似合いのお二人って話題なんですけどね。当事者たちにその気がなさそうだし、逆位置の『猛進』が出るうちは駄目だろうなぁ」


 ま、占いは占いですけど。オルヴァーが夜道でぽつりと呟いたのだった。


   おしまい

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