カーミラ
紅茶のおともに二十年前の話を。
騎士団の女性隊員の人数はそれなりに多い。大方が事務員や兵站といった非戦闘職、戦闘職なら後衛の魔導師だというだけで。
生粋の戦闘職、つまり前衛の騎士になったのは、史上二人目らしい。一人目は私の入団と入れ違うようにして退団していった。あたしで途絶えなくて良かったわ、と言い残して。とても素敵な人だったから、一緒に働けなくて残念に思う。
リーム家はもとより武闘派として知られている家であり、当然のように私も戦闘訓練を受けながら育った。親は護身術程度のつもりでいたようだけれど、幸いにして――親目線なら“不幸な”ことに――私には才能とやる気があった。指導者が驚くほどに、私は剣術に熱中して、のめり込んだ。極めることを強く望んだ。そうなってしまえば、騎士団への入団を希望するのはごく自然なことで。
もちろん、両親には全力で止められたけれど。あんまりうるさかったから、父に一騎討ちを申し込み、勝利して黙らせた。主張は剣で通せ、がリーム家の流儀だから。母は最後までうるさかったけれど、負けた父は潔く諦め、私に味方してくれた。
そうして晴れて、私は騎士団の一員になったのである。
養成学校で過ごしているうちに、少なくとも同期と上下二、三期生たちは私の存在に慣れてくれた。だから――悪目立ちは相変わらずするけれど――入団後もわりとすんなり馴染めた。ありがたいことね。別にどんな扱いをされても平気だけれど、平和であるのが一番だ。
――平和はあっさり崩れるものだけれど。
入団して一週くらいが経った、ある日のことだった。中庭に出るのとほぼ同時。
「危ないっ!」
その声が聞こえたときには、頭上に影が迫っていた。何かが落ちてくる。視認するより先に本能が魔法を使わせた。
「《風よ》!」
何が落ちてくるにせよ、まずは落下スピードを緩めなければ、受け止めるのも避けるのもままならない。吹き上がった風が影を押して、そこでようやく視認する。
人だ。
それなら受け止めなければ――スピードはわずかしか緩んでいない。向こうは背中から落ちてくる。相手のほうが背が高いから、まともに受け止めたら怪我をするだろう。背中を支えて足から着地させるのが最も安全か。腕だけではやや頼りないから全身を使うべきだ――と判断して、一歩前へ。落下地点に立ち、後ろから抱きかかえるような格好で受け止めた。衝撃は膝で逃がす。
思ったより軽くて助かった。といっても、私より背は高いようだし、それなりに重いんだけれど。
背中を支えられて、足から着地した彼は、何が起きたのか分かっていない様子でぼうっとしている。なんだか腑抜けた男。制服は魔導隊のものだけれど、それにしたって腑抜けすぎじゃない?
こうしていても仕方ない。
「立てるかしら?」
声を掛けると、彼は私のほうを見た。それでようやく自分が支えられているのだと気が付いたみたいに目を丸くして、
「ああ!」
と姿勢を正した。そして朗らかに笑う。
「ありがとう、助かったよ」
「お怪我がないようで何よりだわ」
「うん、君のおかげでね。本当にありがとう、ええと――」
呼び方で迷っているのだ、と察して、名乗ろうとした、その瞬間だった。
「――美しい人」
……は?
「それじゃあ」
固まっているうちに、彼はすっと脇を抜けて立ち去ってしまった。
思わず立ち尽くす私に、怪我をしたのかと勘違いした同期たちが駆け寄ってくる。私は逃がし損ねた衝撃にくらくらするのを隠しながら、大丈夫よ、と言った。
見目の良さにはそれなりに自信があった。入学時も入団時も、母の強い勧めで社交界に顔を出した時も、男性の目が集まったのを自覚している。だからといって何だ、という話だけれど。見た目に騙される男は嫌いだし、弱い男はもっと嫌いだし、それ以前の問題として、恋愛にも結婚にも興味はない。甘く囁かれても気持ち悪いだけだ。あれこれ言われたことも数え切れないほどあるけれど、どいつもこいつも面倒だった。小細工を弄して、回りくどく褒め称えて、口先だけでこちらの気持ちを動かそうなんてその考えが一番甘い。こっちは吐き気を抑えるので精一杯だ。
――あんなにストレートな不意打ち、反則じゃない?
一体何だったんだろう、あの男は。
しばらく考えているうちに、動揺が収まってきて――代わりに、だんだん腹が立ってきた。
あっさり動揺させられたこともそうだが、命の恩人に対して「ありがとう」の一言だけで済ませて名乗りもせず名前も聞かずさっさと立ち去るとか、正直あり得ないのでは? そもそもどこからどうやって落ちてきたのよ。そこらへんの説明とかは一切ないわけ? 下手すれば私まで大怪我するところだったのよ? 魔導師なら自力で魔法でも何でも使いなさいよ。あの様子じゃ使う気なかったわよね? 信じられない! あれが本当に騎士団の一員なわけ?
苛立ちは一夜明けてもまだ収まらなかった。魔導隊に乗りこんで捜し当てて、一発殴ってやろうかと思ったくらいだ。八つ当たりとして。いや、さすがにそこまでのことはしないけれど――
――なんて思いながら本部の廊下を歩いていた私は、まさにその男が三階の窓枠に足を掛けるところに出くわしたのだった。
なるほど、ここから落ちたのね。納得した私は容赦なく男の後ろ襟を掴んだ。
「ちょっと!」
「おわっ」
「昨日のことをもうお忘れ? 学習能力がないのかしら」
彼は私を見て、私に睨まれていることにも、襟を掴まれていることにも気が付いていないかのように、平然と微笑んだ。
「ああ、ちゃんと覚えてるよ。昨日助けてくれた、美しい人だ」
「変な風に呼ばないでくださる? 私はカーミラ・リームよ」
リーム家の家格はそれなりだ。騎士団の中でうちより上位の家は数えるほどしかない。つまり大概の奴はこれで黙る――の、だが。
「僕はジークムント・アルブレヒト・ギレス」
その名前を聞いた瞬間、嘘でしょ、と叫びそうになった。ギレス家といえば、国の中でトップを争う名家の一つだ。うちと比べたら格上もいいところ。そういえば、そこの三男が占術師になったという話を聞いた覚えがある。
私はさりげなく手を離した。まずいことをしたかもしれない――
「ジークでいいよ。よろしく、カーミラ」
――いや、たぶんこれ大丈夫ね。
まったく何も気にしていない緩い笑顔を見ていたら、少しでも怯えた自分が馬鹿らしくなった。貴族らしい演技の一種かもしれないけれど、そういう搦め手だとしたらいよいよ私の手には負えないからどうでもいい。それにもう今更だ。
「窓の外に何かあるの?」
「うん。ベムタの巣が」
この時季によく飛んでいる鳥のことね。それの巣?
眉をひそめた私を無視して、彼は窓から身を乗り出した。
「ほら、あそこ」
「……確かにあるわね。それがどうかしたの?」
「昨日から雛の声が弱くなったんだ。見てみたら、餓死しかけてた。親鳥の姿は見えるから、おかしいと思って」
それが可哀想、とでも言うのかしら。だとしたらとんだ甘ちゃんだわ、と私は冷めた目になっていたから、続く言葉をうまく飲み込めなかった。
「ベムタの雛の不審死は、凶作の前兆だ」
「え?」
とんでもないことを言っておきながら、巣のほうを見つめる彼の目に危機感はなかった。変わらず、飄々とした態度で、今晩の献立を考えるみたいな調子で続ける。
「もちろん、ここ一つだけだったら偶然ってこともあるけれど。念のために警戒しておいて損はないからさ。雛が全滅するかどうかで規模も変わるから、それを確認しようと思って。昨日までは一羽残っていたんだけど……」
といってまた窓枠に上ろうとする。私は慌てて袖を掴んだ。
「待って、待ちなさい。あなたの運動神経じゃまた落ちるわ」
「でも、確認しないと」
「私が見てきてあげるから。雛が死んでるかどうかが分かればいいのよね?」
「うん」
彼は素直に頷いて窓枠から手を離した。
「じゃあ、よろしく」
って、食い下がろうともしないなんて。にこにこしちゃって、まったく図々しい。人を使い慣れているところなんか、いかにも上流貴族って感じだわ。
私は溜め息を飲み込んで、窓枠によじ上った。
――こんな出会いが、どうして婚約話にまで持ち込まれたか、って?
いろいろあったのよ。本当に、いろいろ。
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