ディスタンス・ファミリー

幸田七之助

第1話・崩壊の前夜①

一、

「本当に感染してたんですか? 何かの間違いじゃないんですか? 」

 それまで血色の良かった四十代男盛りの顔が瞬く間に蒼ざめた。薄っすらと額に冷や汗も浮かび上がっている。

(確かこの人はススキノの狸小路たぬきこうじで居酒屋を経営していた人だったわね。細心の注意を払ってきたんだろうけど、お気の毒に…)

 原田恭子はらだきょうこは、男には見えないように背を向けながらため息をついた。

傍らで医師が抗体検査キットを唸りながら見つめていたが、やがて顔をあげた。


「IgG抗体が陽性です。いつの段階かは分かりませんが、数週間から数か月前に新型コロナウイルスに感染しています」

「…ってことは、先生。このひどいだるさと微熱が続いているのは…」

「新型コロナ後遺症と見て間違いないでしょう。いや、ともかく早めに気づいてよかったと考えるべきです。ひどくならないうちに手を打っていきましょう」

 項垂れる男を元気づけようと、医師は努めて明るい声をかけた。

 

「そんな…私、ワクチン接種だってちゃんと二回済ませているんですよ。それなのにコロナだなんて…」

「ワクチンで抗体ができても、後遺症は別ですからね。ウイルスが体にどんなダメージを与えて、なぜ後遺症が出てくるのか、まだよく分かっていないんです」

「これまで私、熱が出たこともなかったし、何の症状もありませんでしたよ」

「感染した直後は無症状でも、ウイルスが消えたあとに急に体がだるいなどの症状が出てくる人もいます。後遺症だけが現れるという人もいるんです」

「私が、まさにそうだな…。先生、これから私、どうすればいいんですか? 」

「ともかく体のだるさがとれるまでは、絶対安静にして過ごしてください。あと、筋肉にエネルギーを与える必須アミノ酸を含んだサプリメントを摂って体力の回復を図ることです」

「あんまりのんびりしていられないんですよ。協力金が入ってこない中で、ウチは自粛要請を守って営業してきたから、あちこち借金しながらやっと食いつないできたんです。

 年が明けて、やっと感染拡大の収束宣言が出て、これから一生懸命稼がなきゃと思っていた時なのに」

「でも、今、無理に身体を動かすと寝たきりになって起き上ることもできなくなる恐れがあります。そうなったら回復に数週間から一年近くかかるかもしれない」

「もう、コロナってやつはどこまで俺たちを苦しめるんだ! 緊急事態宣言が出ていた頃は、政府から酒は出すな、夜は八時までだ、と締め付けられて。やっと収束したと思ったら今度は後遺症だなんて…」

 居酒屋を営む男は、両腕で頭を抱えてうずくまってしまった。


(後遺症患者は高い確率で精神疾患を発症する。この人にも対処が必要ね)

 診察を見ていた恭子は、パソコン上で「各科医師勤務予定表」というエクセルファイルを開いた。次回の男性の診察日と時間を調整できそうな精神科医がいないか探るためだ。

 症状が多岐にわたる新型コロナ後遺症。患者に応じて最適な医師と治療法をマッチングさせるコーディネーター。

 それが、新型コロナ後遺症外来・看護師長、原田恭子・四十四歳の仕事である。


 二〇二二年四月を迎えた北の大都市・札幌。

二年前、北海道では全国初の緊急事態宣言が発出され、日本で最初のコロナ禍に見舞われた。

 二〇二二年を迎えて政府は新型コロナ感染収束宣言を発出。人口二百万の北の都は、漸く活気を取り戻しつつあった。歓楽街・ススキノのほど近くにある北斗医科大学付属病院。ここに新型コロナ後遺症外来ができたのは、二〇二一年五月のことだった。


 新型コロナ後遺症。

それは、人類を襲った未知のウイルスによる災禍が新たな段階に入ったことを示している。

――少なくとも、ワクチン接種が進んだ国と地域においては。

 急激に症状を悪化させ、患者を死に至らせる「劇症の病」から、根本的な治療法がなく、長期の対処療法を迫られる「慢性の病」への変化である。

 

 倦怠感、発熱、頭痛、呼吸困難、食欲不振、脱毛、関節痛、記憶障害…

新型コロナ後遺症の症状は、実に多岐にわたる。三分の一以上の患者に見られる症状が、「体が鉛のように重くなる」と例えられることの多い、強い体のだるさ??倦怠感だ。

 これが実に厄介な問題を引き起こしている。

「熱も下がっているし、ウイルスも消えている。なのに、いつまで体がだるいと言って怠けているんだ」

といったセリフに象徴される周囲の理解不足だ。

 なじられた方は、特にまじめな人ほど無理をして働こうとする。それがさらに症状を悪化させてしまう。数週間から数か月にわたって寝たきりになり、起き上ることも難しくなる「クラッシュ」と呼ばれる症状だ。


 なぜ重度の倦怠感や発熱などの多岐にわたる症状が現れるのか。原因はまったくわかっていない。したがって根治療法もなく、症状を和らげるサプリメントや漢方薬で対処療法を気長に続けていくしかない。しかも、一つの症状が収まっても、また別の症状が出てくるという患者も少なくない。


 新型コロナ後遺症を欧米では「もぐらたたき」と例える医師もいるそうだが、同じ実感が恭子にもあった。息の長い戦いがこれからも続くように思われた。

 だが、そんな日々も何とか乗り越えていけそうな心の支えが、今の恭子にはあった。

彼女は今、月に一度、札幌から福岡に通う生活を続けている。



 札幌から南へ約五〇キロ。北海道外に向かう飛行機が離発着する新千歳しんちとせ空港のロビーで恭子は、午後二時すぎに出発する福岡行きJAL便への搭乗を待っていた。

 四月を迎えても北海道は、最高気温が一〇度を下回る日が少なくない。

この日も午前中は、薄っすらと粉雪が舞っていたが、昼近くになってやんだ。灰色の雲の隙間から陽光がさしこみ、薄暗かったロビーがほんのりと明るくなってきた。


「熱烈なファンでもないのに、福岡まで日ハム戦を見にいくことになるとはねえ…」

 恭子は、苦笑しながら小さな声で独り言ちた。


 この半年余りの間、恭子は月に一度金曜日と月曜日に有給休暇をとり、三泊四日で福岡に住む娘の元を訪ねている。あすは娘とその居候先である夫の妹夫婦と一緒に、福岡Paypayドームで、福岡ソフトバンクホークス対北海道日本ハムファイターズ戦を見ることになっている。

 新型コロナウイルスのワクチン接種を終えたからでもあるが、一年前のことを思えば、福岡と北海道をこんなふうに気軽に行き来できる日が来るとは思いもしなかった。

 恭子自身が大きな原因を作った家族の不和。そこを襲ったコロナ禍によって一家は離散し、関係の修復は不可能と思われていたのだ。


 去年まで、恭子は北海道第二の都市・旭川で夫と娘の三人で暮らしていた。

夫・原田徹はらだとおるは、地元の老舗建設会社の社長。娘・奈々ななは中学生で、バスケットボールが得意で快活な少女だ。

 かつて恭子は病床数五四〇を数える町の中核病院・旭生きょくしょう病院の総看護師長を務めていた。五〇〇人を超える看護・介護職員のトップに立つリーダーである。

 キャリアウーマンとして仕事と家庭を両立する模範的な女性。地域で恭子に注がれる視線は、尊敬と羨望に満ちたものだった。

 だが、恭子はそんな模範生を演じられるような器用な女ではなかった。

とにかく、何かに夢中になると周りが見えなくなってしまう。いや、見ようとしなくなると言うべきか。


「本当に私が子どもだったのよね。都合の悪いことは目をつぶって見ようとしない。

でもね…旦那と娘が、いい子すぎたのよ。鈍感な私にとっては」


 福岡行きJAL便の搭乗開始アナウンスが始まった。搭乗口に向かう列に並びながら、恭子は家族が散り散りになった経緯に思いをはせていた。

 恭子の一家にこの数年起きたことは…

いじめを苦にした娘・奈々の自殺未遂。そして家出。

夫・徹の不倫発覚。その後、夫から別居を求められて恭子は旭川を離れた。

絵にかいたような幸せな家庭は、あっと言う間に崩壊した。


 JAL便は定刻通りに新千歳空港を飛び立った。飛行機が高度を上げ、徐々に気圧が下がってくるにつれて恭子は眠気に誘われた。


「周りがどれだけ私に気をつかって、我慢してくれていたのか。ともかく鈍感だったのよね、私は。ああ、本当にバカだわ。バカ、バカ、バカ、バカ…」

 こみ上げてくる自責の念に顔をゆがめながら、やがて恭子は眠りに落ちた。



二、

 物語は三年前に遡る。


「で、何なの? 話って。今朝は病院でテレビ局の人たちと打合せがあると言っていたでしょう。あと五分ほどしか時間はとれないから手短に話してちょうだい」

 朝食を終えた食卓テーブルで、恭子はいら立ちをあらわにしていた。傍らに立つ奈々は、うなだれたまま口をつぐんでいた。台所では、食器を洗いながら夫の徹が二人の様子を心配そうに眺めていた。

 恭子は、うつむく奈々の顔をのぞきこんだ。

「ねえ、相談事ってお父さんには話せないことなの。とても大事なことならお父さんに相談した方がいいんじゃない? 」

「いや…ちょっと、お父さんには…」

 少し浅黒い肌にすっきりと高い鼻梁が目立つ奈々の顔立ちは、恭子に生き写しだった。細目だがくっきりとした眉を歪ませる奈々の表情に、恭子は何がしか容易でないことが起きていると察しはした。

 でも、ここで根掘り葉掘り話を聞き始めると、かなり時間がかかりそうだ。

職場の大事を抱えたこの朝の恭子には、奈々が発していたシグナルを受け止める心の余裕はなかった。

「お母さんじゃなきゃダメなの? なら早くしてくれないかなぁ」


 洗い物を中断して徹がダイニングへやって来た。

「奈々も年ごろなんだ。俺には言いづらいこともあるだろう。俺は少し外すから、ちゃんと奈々から話を聞いてやったらどうだ。病院には少し遅れるからって電話して…」

 

 徹に向かって、恭子は冷ややかな視線を送りながら言い放った。

「私には五〇〇人からの部下がいるのよ! 午前中は分刻みで予定が入っているし、今日はテレビ局の取材まで入ってきて、いっぱいいっぱいなのよ。気軽に時間に融通がつけられる個人事業主とは違うんです。私は! 」


 徹は、思わず拳を握りしめたが、苦笑いを浮かべてうつむき、台所へ引き下がった。奈々は相変わらず俯いて押し黙ったままだ。

 午前七時を回った。たまらず恭子は立ち上がって奈々の肩に手を置いた


「ごめんなさい。お母さん、どうしても行かなきゃいけないの。でも、今日はなるべく早く帰るから、そのときゆっくりお話し聞かせてちょうだい。じゃあ、よろしくね」


 恭子は、廊下を走って玄関を飛び出していった。その後、慌ただしくガレージから出て行く自動車のエンジン音が響き、遠ざかっていった。

 台所では、徹が黙々と食器洗いを続けていた。洗い終えた食器を乾燥機に載せ終ったところで、徹の動きが止まった。

 

「気軽な個人事業主とは違うか…言ってくれるよなぁ」

 うつむいた徹は、怒りが湧きあがってくるのを感じていた。

腹が立ったのなら、あの場で文句の一言でも言えばよかった。だが、これまで徹は恭子に対して「仕事に理解のある夫」で通してきた。声を荒げたことは一度もない。

 もし、あそこで感情的になればどうなっていたか…


『大した仕事をしてるわけじゃないのに、男がヒステリーなんか起こして…』

 そんなことを言われそうな気がした。言われた後の惨めさを味わいたくないと思って口をつぐんでしまった。

(俺はいつから恭子に言いたいことを言えなくなってしまったんだろうか)

徹の中で、恭子に対する怒りは、己の不甲斐なさに対する歎きに変わっていった。


「お父さん、じゃあ行ってきます」

 声に振り向いた徹は、奈々の顔に浮かんだ深刻な表情にただならぬものを感じとった。「奈々、お前、具合が良くないならきょうは学校を休んだほうが…」

 奈々は、首を横に振りながら寂しげな表情を浮かべていた。

「いいえ、心配かけてごめんなさい。ちゃんと相談できなくて。でも大丈夫だから」

 奈々は静かに玄関に向かって廊下を歩いて行った。



「すみません! 少し遅れてしまって」

 恭子が会議室に駆け込んだのは、撮影の打合せ開始時刻を五分ほどすぎた頃だった。

すでに、事務長とNHKの撮影クルーが予定の確認を始めていた。事務長の金子は、シルバーの眼鏡フレームを右手でいじりながら、恭子になじるような視線を向けてきた。


「総看護師長、あなたは病院を代表して取材を受ける立場でしょう。遅刻はいけませんね。NHKさんに失礼でしょう。こちらの意気込みを疑われてしまいますよ」

「はい、今日から撮影という日に申し訳ありません」

 恭子は、金子事務長と撮影クルーを代表するディレクターにそれぞれ頭を下げた。

 

(カネゴンのやつ、コロッと態度を変えたわね。まあ、私たちには追い風になるから良しとするか…)

 恭子はうつむきながら、苦笑を浮かべていた。


 もともと旭生きょくしょう病院の経営陣は、高齢者介護には冷ややかだった。介護保険の報酬単価は年々切り下げられている。経営陣は介護を、手間をかけてももうからない不採算部門と見なしていた。

 ところが、このひと月前に椿事が起きた。

NHK札幌放送局のディレクターが、医療関係の業界紙で紹介された恭子たちの介護の取組みを全国放送のドキュメンタリー番組で取材したいと申し込んできたのだ。

 経営陣は態度を一変。いかに病院が介護に力を入れているかアピールするよう介護現場の尻を叩きにかかった。この日の打合せも、現場を預かる恭子の都合を聞かないまま、金子とNHKのディレクターがセッティングしたものだった。

 経営陣とメディアの都合に振り回されてはいたが、恭子にはそれほど不満はなかった。むしろ、自分たちがやってきたことの正しさが少しずつ世の中に認められてきていることに喜びを感じていた。


 恭子が務める旭生病院は、全国的にも進んだ高齢者介護に取り組む病院として、医療・介護関係者の間では知られた存在だった。

「入院してもこれまでと変わらない日常を患者の皆さんへ」

 一〇年前、当時の総看護師長・笠井冴子かさいさえこが掲げた理念のもと、まず着手したことが入院患者のオムツを外し、可能な限り自分の力で排泄できるようにする「トイレ誘導」だった。

 松葉杖にせよ車椅子にせよ、自分で歩けない患者をベッドから起こしてトイレまで連れて行くのは大変な重労働だ。少しでも職員の負荷を避けるにはオムツをつけたままにしておいた方がいい。だが、起こされることのない患者の多くはそのまま寝たきりとなり、自立した排泄ができなくなると例外なく認知機能の低下が進んでいった。

 

「ずっと寝たきりで、うんちもおしっこも垂れ流しのまんまボケちゃってさ。

あんな情けない最期は迎えたくないよ、私は。あんたたちもそう思わないかい? 」


 ヘビースモーカー特有の笠井のハスキーボイスに最も共鳴したのが恭子だった。

(ボケた年寄りのオムツを替えるだけの仕事が、もっと意味のあるものに変わるかもしれない…)

 そう思うと俄然やる気が湧いてきた。

女の体力でも、負担をかけずに男の患者を動かすにはどうすればいいか。そのためには体の使い方を工夫すればいいのではないか。

 恭子は、合気道や古武道こぶどうも取り入れながら、ベッドから患者を起こす方法に工夫を重ね、同僚の看護師・介護士ともそのノウハウを共有していった。

 努力は実り、笠井が呼びかけを始めてから五年、介護病棟の寝たきり患者の割合は半分に減少。年に数件は自宅での生活が可能となり退院していくケースも現れ始めた。

 かつて、死ぬまで老人が預けられる「姥捨て山」と呼ばれた介護病棟は、リハビリによる社会復帰が可能な施設へと変貌をとげていた。

 そして、「寝たきり患者半減」の功績を認められた恭子は、笠井の後を継ぎ、若干四〇歳で旭生病院の総看護師長に抜擢された。五〇〇人を超える看護・介護職員のトップとしては全国的にもかなり若いリーダーの誕生だった。

 

 寝たきり患者半減に続いて、恭子たちが取り組んだのが認知症患者の身体拘束を全面撤廃する「縛らない介護」への挑戦だった。

 これまで夜間に徘徊する患者は、事故の危険があるため拘束器具でベッドに縛り付けていた。だが、それは尊厳を取り戻すことで患者の生きる力を引き出してきた「トイレ誘導」の理念に反するのではないか。

 恭子は、看護・介護職員と議論の末、夜間に徘徊する患者についても拘束器具をつけず、当直者が徘徊にも付き添って見守る取組みをはじめた。職員たちの負担は大きくなったが、それでも「縛らない介護」が必要だと恭子が実感するようになった「事件」が起きた。

 


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