ぬいはモフるか焼くしかない・中編

 千代子の話はこうだった。

 この春から私とルームシェアして、同時に大学にも通い始めた彼女は(これまで一体どんな生活を送ってきたのか、生い立ちや受験生活については非常に気になるところだけれど、それは別の機会にゆっくり聞かせてもらおう)、一月半ほど前から頻繁に誰かに物陰から覗かれているような気配を感じ始めた。

 最初は自分の気のせいだ、大学に入ってこれまでとは違う環境になったせいで自意識過剰になっているのだと自分に言い聞かせていたのだが───

 半月くらい前のある日のこと。大学で聴講のためにいつも陣取る席に、薔薇の花束とお菓子が置かれていた。

 手紙なし、メモもなし。そもそも自分あてに贈られたものかどうかも定かではない。周囲の仲良くなった同級生に尋ねてみても、誰もが首を横に振る。

 千代子はそれら一式がなんとなく気味悪く感じ、落し物として学生課に届けたそうだ。

「それからなんですけど…マンションの外にいる時にしょっちゅう見張られているような感覚になることがあって。ほら、好意を向けられている時って、たとえそれがどんなものでもじんわり温かな気分になるものでしょう?それがその視線は、なんというか、その」

「キモいわけね」

 私はデザートの胡桃のアイスをパクつきながら一刀両断。千代子は申し訳なさげにこっくり頷く。

「もっと早く相談してくれればいいのに」

「ごめんねミュウミュウ、いつも仕事で遅くなってたから、つまらないことで煩わせたくなかったの…」

「んー!もう、この良い子ちゃん!」

 千代子はオーナーの厚意でアルバイト中だけど相談することを許されて、私の隣に腰掛けている。私はそもそも千代子の友人代表として出席している。黄狸は苦虫を噛み潰したような顔をしてるけど、文句は言わせないよ!

 人間の私、プラス他の三名はぬいぐるみという光景。これ、私以外に見破れる才能ギフトを持った第三者からすれば相当ファンシーなシチュエーションに見えることだろう。

 まあ、ドアには『準備中』の札がかけてあるから店内には他に誰もいないんだけどね。

「なるほど。それからは?何か実害はなかったか」

 ワニはコートの内ポケットからパイプと煙草の葉の詰まったパックを取り出し(オイ!吸っていいかどうか私達に了解を得てもいないじゃん!)、見たことのない道具をテキパキとテーブルに並べていく。

 二つ折りにできるパイプスタンド、金属の小さなスプーンと押し込み棒が一体になったもの、小さな缶のマッチ(底が赤リン部分になっている!)。それを眺めながら千代子の雰囲気が目に見えて曇った。

「実害…と言えるのでしょうか…」

「どんな細かなことでもいい。一見関係がないようなことでも、日常の中で少し変わったことでも、一切合切話すことだな」

 ワニは太短い指で器用に火皿に葉を押し込みながら容赦なく訊いてくる。

「その…私に直接、何かしてきたわけではないのですけど…」

「ふむふむ?」

「一週間前…なんですけど、午前まるまる使った二時限連続の英文学史の講義の時に、私がトイレに行って戻ってきたら───」

 大学の講義の間には十五分ほどの休憩・移動のための空き時間がある。千代子はその日、友人達と席を取っていた。千代子と何人かがトイレに立ち、一人だけ残っていた友人が目を離したのはほんの一瞬だったという。

「───机の中に、私のノートとお弁当の上に…化粧箱に入ったブランドの口紅が…」

 ちなみに私はそのブランド名を聞いて胸の中で口笛を鳴らした。その会社の口紅は私の部署のお局様が贔屓にしてるシリーズで、私のような平社員はとても手が出ない額の代物だ。そう、大人気のゲーム機本体が二台は買えちゃうくらいの。こういう基準の換算がスッと出るのが我ながらオタクっぽい。

「お嬢ちゃんの気を惹く為のプレゼント、というわけか。鼻水が出るくれぇ古典的だな」

「それで、そのプレゼントどうしたの?チョコ、もともとあんまり化粧しないじゃん」

 人間に見えていたときの千代子は、黒髪セミロングで色白な箱入りタイプの女の子だった。いまは愛らしい(人間のときも可愛かったけど)黒兎のぬいぐるみだけど、それについての違和感はとっくになくなっている。

「そうなのだけど、それより何より気持ち悪くって…こっそりゴミ箱に」

「えー⁉︎もったいない!フリマアプリで売れば何万円にもなるのに!」

 チッ。

「ちっ?」

 舌打ちの音に前を見ると、ワニが男らしい仕草でしぽっとマッチを擦っていた。立ち上がる火をパイプの火口に当ててすぱすぱと二、三回せわしなく吸い、やがてゆったり紫煙をくゆらせる。

「フー…蝶野サン。あんたが首を突っ込んでくると話がズレる。黙っといちゃくれねぇか?」

「はぁ⁉︎その言い方何?あんた何様⁉︎私はねえ、チョコが心配だからこうして」

 これ見よがしに肩をすくめ、半目になるワニ。

オンナはこれだからな…感情任せにだけなら、おうちに帰ってアイドルの動画でも見ておけよ」

「な、なん…」

 私はワニの黄色い四白眼をバチバチに睨みつける。しかし相手の目元にはひとかけらの焦りもない。どっしり構え、リラックスしてパイプをふかしているだけだ。

 なんなのだこの、依頼人相手に高慢こうまんなマッチョイズムを振りかざす探偵は?大体アイドルなんて線のほそこい、な男は私の趣味とは正反対。私の好みは野獣系、プロレスでいったら木戸修きどおさむ杉浦貴すぎうらたかしなんだから!

 もし隣に千代子がいなければ、コロッコロな爬虫類頭はちゅうるいあたまに水ぶっかけて後ろ回し飛び蹴りローリングソバットでも喰らわしてやるところなのに!くぅ〜イライラする!

「───で、お嬢ちゃん、もちろんそれで終わりではなかったわけだな?」

 ワニは犯人が自白ゲロするのをうなが刑事デカのようにテーブルに腹を乗り出した。ゆったりとした口調だが鋭い問いかけ。大きな四白眼に見つめられ、千代子は身を震わせ首肯をした。

「その日の帰りがけに、カフェテリアの前を通ったんですけど…」

 千代子の大学には四つの飲食提供場所があるそうだ。構内のはずれにポツンとある生協の食堂、サークル棟一階の大きな学食、購買部と隣接した食堂、そして教授や懐事情の裕福な学生がおもに利用するカフェテリア。

 アルバイトに遅れそうで、小走りに学バスの停留所に向かっていると、その日に限ってカフェテリアの前が妙に人だかりがしていた。

 映画研究会か何かの撮影でもしているのだろうか?そう思って、建物側にもうけられている花壇の煉瓦レンガの上にひょいと飛び乗った。普通の人間達には人間と同じように認識されているとはいえ、は身長がとても低いのだ。

 バイト代が入ったりした時にたまに自分へのご褒美ほうびでケーキセットなどを注文する、学内では割高のカフェのテラス席。

 その、店の前にある鉢植はちうえのタコの木が。

 めらめらと燃え上がっていた。

「文字通りの炎上エンジョーしぁったわけっしゃっすね。ギャハハ!」 

「まぜっ返すなつってんだろ馬鹿野郎」

「ソーリー、ボス!」

 ワニの裏拳で殴られて椅子ごとひっくり返る黄狸。バカだこいつ。ワニの方は…話の腰を折るなという態度は男女の別なしなのね。

 千代子は目を丸くし、「まあ」とくちに手を当てて、可愛らしく覗き込んでいる。ワニは手を振って続きを促した。

「話はまだ終わってないんだろう?」

「は、はい。私が人だかりを迂回うかいして、カフェテリアのウインドウ側を抜けようとしたら───」

 その、大きなガラスに書き殴ってあった。

 “君をのがしはしない。永遠に僕のものにしてあげよう”

 その時の千代子の胸中を、漢字二文字で表すとしたら。うん、簡単に分かる。

 恐怖だ…

「しかもよく見たらそれ、口紅で書かれていたんです。多分、その…私の机に入れてあったもので…」

 一応真面目そうに話に相槌あいづちを打っていた黄狸が、途端とたんにコミカルな表情になってテーブルを叩いた。

「あー!あの口紅文字っしゃっすか!」

「なんだマミ、お前も知ってるのか」

 黄狸はワニに向かって得意げに頭を掻く。

「俺ちょくちょく、あン大学ン学食行くっすよ。あそこ、学生じゃなくても入れしゃっし、サークル棟の大食堂はとくに安くて量も多すっし」

「厚かましいなー。いやしくも社会人でしょあんた」

「るせっす!ほんで、先週も金欠んなって行ってっすよ。ほしたらバス停の先で人だかり出来できっ騒ぎんなっしゃっせ、あンだァ?て見に行ったっしゃ、クッソでけー字が書いてあっしゃっすぉ。一瞬血文字かと思ってビビこいたっすぉ…そン時は火は消えてぁっしゅっすけど」

 千代子はコクンと頷いた。兎の可愛らしい小鼻がピクピクしている。二の腕の皮膚があわ立つようなそのおびえが私にも伝わった。

 正体不明の相手からつけまわされるだけでもイヤなのに、ついに学内での放火などという実力行使に出るとは。そんなの───シンプルに怖い。気持ち悪いをとうに超えている。

「なるほど。それで?どうして俺達を頼ろうと思った?」

「え?」

「こういう時、ぬいは警察を頼る。この街なら警察官おまわりにもぬいがいるからな。それをなぜ、遠回しに探偵なんてものを雇う気になったんだい、お嬢ちゃん」

 千代子は面を伏せがちにしておずおずと答える。…心なし赤くなってないか?

「それは───もちろんそれも考えましたが───私に付きまとう相手が誰か分かって、もしちゃんと話してやめてくれるなら、その方がいいと思うからです。その人にとってだけではなくて、私のためにも」

 それから、意を決したように顔を上げた。

「そういうこと、そこまでのことは、公務員であるおまわりさんには無理でしょう?」

 分かった。千代子は、その犯人ストーカーの今後の身の振り方まで心配しているのだ。もし相手が学生なら…いや、社会人であったとしても、脅迫まがいの行為をしたとバレたら世間的な評判を落とすことに変わりはない。

 もう、なんだってこの子はこんなに良い子なんだろう。気がついたら私は千代子を抱き上げて頬をスリスリしてしまっていた。

「ちょっと、ミュウミュウろして?恥ずかしいわよ」

「あ!ゴメン。つい」

 しぽ。何かほどほどに弾力のある音がした。ワニめ、私と千代子が感動的な女の友情シーンを演出しているのに全く意に介さずマッチを擦って、二回目のパイプを美味そうにくゆらしている。

 目一杯イヤミな表情で煙草の煙を追い払っている私と逆に、黄狸はうっとりと尊敬の眼差しをパイプをくわえるワニに向ける。

「やっぱすっげっすボス!マッチとか普通に扱えンの、この街のでもボスくらいっすぉ」

「あーそーなの、へーすごーい。できたらそれ私達がいない時に吸ってくれない?」

「ふっ」

 ワニは鼻で笑った。───のくせに!

 あれ、でも。

 私はちょっと不思議な感じがした。パイプの先から店内の空気にじんわり溶けて漂い滲む、この煙草の葉の匂い。ダークチェリーをわずかに含む、落ち着くフレーバー…

 どこかで私は、これと同じものを嗅いだことがある…?

 それがどこでなのか、何なのだか思い出せなくてちょっとモヤったけど。多分気のせいだろう。

「ではお嬢ちゃん。あんたの依頼は一連の出来事の主犯を捕まえ、かつ穏便おんびんに改心させる事を念頭に対処するという内容でいいか」

「はい…」

「なーんかややこしそうだけど、あんたらにそれができるわけ?千代子に危害が出る前に目星をつけるとか、正直すごーく難しくない?」

 ワニは大きな口を開け、ぞろりと並んだ白コーンのような歯並びの谷間から大量の煙を使って大きなマルを天井に飛ばした。

「いや、この場合ハードなストーカーの方が捕まえやすい。しかるべき罠を張って、こちらから網を構えていればシビレをきらして尻尾を出すだろうさ…短期決戦だな」

「ふーん。いっぱしの探偵ぽい口ぶりじゃん」

「こちとらいっぱしの探偵なんだよ、蝶野サン。ところで最初に確認しておきたいんだが───お嬢ちゃんは相手がだと思うね?」

 私には見当がつかない質問。だけど千代子はすぐ頷いた。

「はい。たぶんだと思います」

「根拠は?」

「大学内に私以外のは数えるくらいしかいないので。そのかた達とは顔見知りですし、私に対して何かされるとは思えませんし…とても忙しくしている様子ですから」

「そうか…まあそれが順当だろうな。同士ならそんな目立つ行いはしづらい。それにあそこは領界りょうかいギリギリだし」

「どういうこと?」

 ワニは今度はパイプの煙を細く細く吐く。空中に出現する、紫煙の螺旋らせん階段。小器用こぎようだなー。

「俺達が意識を得て動けるのは、サンリオ神社を中心にしておよそ半径33㎞圏内。それを越えたら力を失ってただの物体に戻ってしまうんだよ───あー、つまりただのぬいぐるみに戻ってしまうわけだ」

「何それすごい!魔法みたい」

「魔法…というと罰当たりだな。まがりなりにもあの神社からなんらかの神威影響を受け、ほかの土地神の支配域に入るまでは活動できると言った方が正しいだろう」

「ふーん?ゲームで言うところの結界とかバリヤーみたいなものなのね」

「安っぽい表現は嫌ぇだが…そんなもんだろうな」

 ワニは最後のひと吸いを終えると携帯灰皿にパイプの灰をあけ、小さなスプーンと細い金属棒が一体になった道具で丁寧に火皿の灰を掃除する。ものの一分もかからぬ早業。

「さて。早速今から調査を開始する。お嬢ちゃんは明日、講義かね?」

「えっ、はい!一限目から大学に行きます。夜からまたここで働きますけど」

「よし。じゃあ明日の朝、あの神社の前でお嬢ちゃんと蝶野サン、それに俺とマミとで合流。学内でもなるたけ一人きりになるのは避けるようにな。一日かけて俺は大学の講師、教授、学生課など従業する大人達を中心に聞き込んでくるから、蝶野サンとマミは二人で学生の方の聞き込みを頼む」

「ちょっと何勝手に仕切ってんのよ。なんで私がこいつと」

「それはこっちン台詞っす!なんで俺がこいつとセットなんすかボス!」

「あーうるせぇうるせぇ…あのな蝶野サン、どうやらあんたはこちらのお嬢ちゃんの個人的な揉め事にまで首を突っ込みたがるくらいの世話焼きらしいからな、それを見込んで潜入調査を手伝ってもらいたいんだよ。…あんたからしたらに見えるだろうが、俺は普通の人間の目にはイイ歳した大人なんだ」

「そうなの?…芸能人でいえばどんな感じ?」

「生憎だが派手な世界にゃとんとうとくてな。まぁ、ガタイのいいオッサン俳優くらいが関の山だろうが」

「じゃあプロレスラーで。ラグビー選手でもいいわよ」

「なんじゃそりゃあ。あんた、変わった男趣味してんだな。そうさな───ランディ・オートンてなとこかな」

「アメリカレスラー界のサラブレッド、“レジェンド・キラー”と似てるって?あんたが⁉︎ちょっとおこがましくない?」

 私はくだんのレスラーを思い浮かべた。クールなゴリラ系の戦士顔の選手だ。目の前の、フォルムの丸いデフォルメされたワニっつらにはどうやっても重ならない。ついジト目になってしまう私。

 そんな私にお構いなしにワニはパイプを懐にしまって涼しい顔で言う。

「ま、ともかくだ…お前らは若い。学生らには受けやすい。そこへ足して半人前だ、二人で一人前じゃねぇか。ん?」

「だからその、ん?がしゃくさわるんだけど…まぁいいわ。あんたもプロらしいしね。いいわ、言うとおりそっちは任せる」

「そうしてくれると助かるぜ。それともう一つ。お嬢ちゃんの送り迎えはこれから毎日俺かマミがつくことにする」

 ワニは勝手に話を切り上げて椅子から下りる。私にありがとうとか言わないのか?まぁ、こっちだって感謝なんか求めないけども。だって他ならぬ千代子のためなんだし。友達のためならひと肌脱ごうじゃないの!

「このあと蝶野サンはどうする?」

「え?私は…とりあえず家に帰るけど」

「送ろう。あんたもストーカー野郎の標的にされる可能性があるからな。お嬢ちゃんは、仕事上がりの時間にマミをまたここに来させる。そら、さっさと行くぞ」

「だから命令口調やめてよ!───チョコ、また後でね」

 私、ワニ、黄狸の三人で千代子に見送られながら『ぽるこ』を後にした。

 もう三時。小学校低学年のランドセルの子供らとすれ違いながら、のんびりとしたクラシック曲のオルゴールがBGMに流れる商店街を歩いていると、自分が童話か幼児向けアニメの世界にいるような気分になってくる。

 甲高い声でひっきりなしにワニに話しかける黄狸と、それにほとんど応えない愛想のかけらもないワニとの三人だけど…

 ふと思いついて私からワニに尋ねた。

「ねえ。ついでに確認しときたいんだけど」

「なんだ。手短に頼むぜ」

「あんたの言ってるマミ、ってこの黄狸の名前なわけ?」

 黄狸はフン!と鼻を鳴らし、私の膝小僧あたりしかない身長でふんぞり返る。

「俺の本名は狸屋まみや辰之進たつのしん、マミはボスが俺につけてくれた、ウルトラメタボリックかっちぇー通り名っす‼︎」

「語彙力は足りないみたいだけどね。ふーん、タツだと言いにくいし分かりにくいからマミね。なるほど。ぶっ。なるほどね、ぷぷぷぷっ」

「なぁーに笑ってっすかカンジ悪っしゅっすね」

「まぁまぁ。よろしくマミりん」

「誰がマミりんすか!てか、俺をマミって呼んでいいのはこの世でボスただ一人だけっす‼︎」

「いーからいーから。特別に私のこともミュウミュウって呼ぶのを許したげるっすよ」

「いらねっす‼︎マネすんなっす‼︎」

 ぎゃあぎゃあ騒ぐ辰之進をいなしながらマンションに着くと、ちょうど宅配の業者らしい私服の男がエレベーターを待っていた。

 私を見ると、相手は野球帽のひさしを上げもせず軽く会釈してきた。

「こんにちは、もしかして蝶野様…ですか?」

「あーハイ、そうです。その荷物、私宛わたしあてなんですね?お疲れ様です」

 私は段ボール箱を受け取りサインする。この辺でAmazon配達を引き受けているのは確か、おじさんだったはずだけど…今日のひとはずいぶん若いな。パッと見高校生にも見えちゃう。若作りの童顔なだけかもしれないけど。

 エレベーターの中で、だしぬけにワニが背伸びをして私の手元に頭を寄せた。

「誰からだ」

「エッチ変態!他人の宅配物覗き見しないでよ!こないだ注文したパスタの電子レンジ用で器が来たの」

 むぬぅ、とうなりながら引っ込むワニ。そちらにあっかんべーをしてからエレベーターを降りる。

「…ねぇ、まさかさ、部屋の中までついてこようってんじゃないでしょうね」

「察しが良いな。盗聴器と隠しカメラを探させてもらうつもりだが?」

「───あ、そっか…もうそーいう段階の話なわけね」

「っか〜パンピーはこれだから!こっちゃプロっすからね、仕事はきちっとしゃっすぉ。ね、ボス!」

 勝ち誇る辰之進。今度は私が、ぐぬぬと唸る。

 玄関を開けて入る。辰之進は女子のシェアハウスを物珍しそうにキョトキョト見回し、ワニは手早くコンセントや電灯のスイッチにリモコンのような機械を近づけて反応を調べている。

「ねえ、盗聴器とかってそんなにありふれたものなの?」

 テーブルに段ボール箱を置いてカッターを探しながら訊く。間髪入れずに遠くから辰之進の「あっしゃっすぉ!」という叫びが聞こえてきた。

 ぽてっぽてっぽてっ。緊張感のない柔らかな足音で走ってきた辰之進の手の肉球に、ホワイトボードにつけるマグネットのようなものが二個載っていた。

「そっちの部屋、天井ライトのカバーの裏に一個。それと廊下の火災報知器の上に一個っしゅっす」

「え、そんなに⁉︎ていうか、あんたの身長でどうやって探したの⁉︎っていうかそっち、チョコの部屋なんだけど‼︎」

「この際プライヴァシーやら言わないでおくれよ蝶野サン。こっちはステレオタイプにコンセント周りに計三つだ」

 ワニはテーブルの上に消しゴムサイズの機械をぽいぽいっと投げ上げた。

「まさかこんなにあるなんて…」

「この程度は予測の範囲内だ。しかしこうなると、今日中に鍵を付け替えたほうがいい。蝶野サンもそれでいいな?」

 もちろん異論はない。私は膝の力が抜けてテーブルに手をついて体を支える。第三者に千代子とのガールズトークから私達のナマ着替えから全て筒抜つつぬけだったのだと思うと、今更ながら二の腕に鳥肌が立ってきた。

「落ち着いて、深呼吸をしろ。相手がどんな野郎だろうと───まあ女かもしれんが───俺達が蝶野サンとお嬢ちゃんをまもる。これは絶対だ」

「あはは…たーのもしー…」

 ワニの手が、ぽふ、と私の足に触れる。硬さはないのになぜだか安心する感触だった。

「いいか、盗聴器のたぐいを外したのはもう相手に知られているだろう。一刻も早く鍵屋を呼べ。それと…」

「え、ああ、うん、そうだね、そうする。あ、いけないこれ開けちゃおっ」

 努めて明るく箱にカッターを突き立てる。いやらしいストーカーに対する腹立ち紛れに、一気に包装を引き裂いた。勢いに負けて箱が動くくらいに。

 ちゃぽ。

 また箱の内側から水性の音がした。ワニの目が険しくなりテーブルの上をさまよう。

「おい、あんた何を注文したつった?」

「え?パスタの茹で器だけど。シリコン製でね、こないだインフルエンサーが『今までで一番美味しく茹で上がる』って紹介してたから」

 私は最後まで言い切らなかった。

 ワニが私の両足を蹴り払い、倒れたのをお姫様抱っこにしてテーブルから飛び退すさる。

 そして次の瞬間、テーブルの上から天井まで届く大きな火焔かえんの花が咲いた。

「マミ!」

「っしゃっすボス!」

 辰之進が玄関へと走る。ワニは両目が🌀になったままの私を抱え、辰之進が蹴り開けたドアから廊下に出た。

「ここにいろ。動くな」

 動け、立ち上がれと言われなくてよかった。腰が抜けて座り込む私は、水飲み鳥のオモチャみたいにこくこく頷く。

 辰之進が廊下に設置してあった消火器を持って再び部屋に突入する。あとからワニも続く。

「ダメっすヤベっすボス!火の勢いっしゃって止まんねっす‼︎」

「お前もさがれ!ガスの元栓は消した、それより俺達の表面に着火剤がついたら一貫の終わりだぞ‼︎」 

 辰之進とワニの緊迫感に溢れた会話と、建物中に鳴り響く火災報知器のベルを聞きながら、私は

(あー、一階の豆腐屋さんになんてわけしようかなあ)

 …なんていう場違いなことを考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る