第2話 少年の名前

 少年は逃げようとした。

 怖かった。

 彼女は先程ミノタウロスを完膚なきまでに殺していたのだ。

 自分もどうなるのか分からない。

 もしかしたらミノタウロスと同じ目になるのかもしれない。

 未知というもの程恐ろしい物は無いのだ。

 少年は必死に入るも、彼女は飛び上がり、すぐに少年の前に現れる。

 改めて近くで見ると、年は自分より少し上だと少年は思った。


「貴方、お名前は?」


 少年はなんと言えば良いのか分からなかった。

 なぜなら名前が無いからだ。

 少年は意思だけは伝えたいと思い、首を横に振った。


「お名前が無いのね」


 少年は首を縦に振る。


「私はローゼス・グフタス。ここから少し南にある国『ローズダム』の王女ですわ」


 少年は何も分からなかった。


「……?」

「わかりませんの?」


 少年は言葉はわかるが、世間の情報などを知る機会は全く無かった。

 なんせ物心ついた時から奴隷なのであるからして、ろくに世界を見たことはない。

 見た事があるのは闇市場程度だ。


「……貴方、奴隷でしたのね」


 少年はローゼスからあまり殺意や敵意を感じなくなってきた。

 むしろ、彼女は自分を気にしている様に思える。


「寒いでしょう? 私の城に入りなさい」


 少年は改めてザアザアと降り注ぐ雨の寒さを実感していた。

 上の服もあげてしまった為、全身に鳥肌が立ち、自分の手が震えている。

 そんな薄汚い自分を彼女は匿う気らしい。


「……はい」


 少年はローゼスについて行く事にした。






 少し歩くと、2人の目の前に馬車が現れた。

 とはいえ、先程少年が乗っていた様なみすぼらしい馬車ではなく、黒く完全に個室となり、外装には綺麗な装飾が施されている。

 御者も彼女の執事なのだろうか、燕尾服を着ていて、その上に雨を防ぐコートを着ている。

 顔つきは口髭の生えた老人ではあるが目は鋭く、まだまだ現役の様な鋭さを感じる。


「お嬢様、ご苦労様です」

「あらザクロス、もう少し早ければ、私の殺しを見れたと言うのに」

「お嬢様が道からはぐれなければこのような事にはなりませんでしたがな」


 ローゼスは図星だったのかちょっと目線を逸らした。


「それよりも、そちらの少年はどうされました?」

「先程、ミノタウロスを殺した時に見つけましたの。城に入れても宜しくて?」

「お嬢様が望むのであれば……」


 2人は馬車に乗り、城へと向かった。

 馬車の中も綺麗で、下に絨毯が敷かれているし、座席も座り心地が良い。

 馬車が動き出すと、座席は多少揺れるものの、前に乗っていた木製のボロボロの馬車に比べてみればはるかに優しい。

 座席に置かれた毛布を包んだ少年はその揺れが心地よく感じはじめる。

 先程の緊迫した状況から解き放たれたのもある。

 そのまま少年は眠りに落ちてしまった。





 薔薇の国『ローズダム』

 大陸の西南側に位置するこの国は、薔薇がよく育つ事で有名である。

 様々な品種の薔薇が栽培され、国旗にも薔薇がデザインされている。

 そんな国の城は町を一望出来るような高い丘に建てられている。


 目が覚めると、少年はキングサイズのベッドに寝ていた。

 窓から差す日の光が眩しく感じる。

 隣にはあの時馬車を運転していた執筆のザクロスが居た。

 そして傍にある小さな机には、パンと水が置いてある。


「お目覚めの様ですな」

「……あの」


 少年は聞いた。


「どうかしたのかね」

「なんで……僕を……助けたんですか?」


 ザクロスは答える。


「私には分からないが……まぁお嬢様の気まぐれでしょう。お嬢様はそういうお人ですのでな……それよりも、何も食べてないでしょう。パンと水を用意して置きましたので、御自由にお食べください。お代わりも欲しければお呼びください。では」


 ザクロスはそう言うと部屋を出ていった。

 少年はパンを食べる。

 常温ではあるが、どことなく美味しい。

 パサパサの乾燥しきったパンしか食べた事の無かった少年にとって人生で1番美味しかったかもしれない。

 水も真水で、喉に優しく通り抜けていく。


「……美味しい」


 少年はパンを食べ終えると、ベッドから降りる。

 部屋はやや広く、壁には何かの背景が描かれた絵画が置いてある。

 そしてクローゼットとソファと机というシンプルな配置の部屋だが、装飾がすごいので豪華に思える。

 おそらく客人が泊まりに来た時に使う部屋なのだろう。

 少年はクローゼットを開けた。

 中には、自分に合わせたサイズの服がハンガーにかけてあった。

 とりあえず少年は着てみる。

 上はワイシャツで、下はズボンの庶民的な服であった。

 着心地も悪くなく、ある程度動ける。

 クローゼットの扉の内側に鏡が取り付けてあったので自分の姿を鏡で確認してみる。

 髪の毛がボサボサなこと以外はかなり綺麗になっている。


 すると、ローゼスが部屋に入ってきた。


「あら、私の選んだ服。着てくれたのね」

「あっ……はい」

「良かったわぁ……サイズがちょうど良くて。後で髪も洗いましょ」

「あの……」

「ん?」

「なんで、僕なんかを助けたんですか?」


 ローゼスは、不思議そうに首を傾げた。


「当たり前じゃない」

「でも、僕は奴隷で」

「それでも、貴方は生きてるじゃない」


 ローゼスは更に話す。


「生きてるから、助けられたのよ。感謝なさい。私はね、好きな奴を殺して、好きな奴を生かして生きるの」


少年は何も言い返せ無かった。やっぱり、彼女は狂人でしかない。


「そういえば……貴方、名前ありませんでしたね」

「……はい」

「私が、ちゃんと考えてきましたわ」

「……え?」

「ギャンズ・マクベル。それが貴方の名前よ。そしてこれから貴方には、ここの執事として働いて貰いますわ!」



少年もとい、令嬢のわがままによりギャンズ・マクベルは執事として暮らす事になってしまったのだった……。


To Be Continued

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