第8話 リンカの想い
「ハアーーーーーーー。もう無理」
アリストノア王国の女王、リンカトレア・フォン・エレアートは自身の机の上にぐったりと突っ伏した。寝不足や何度も繰り返される会議により全身を疲労が苛み、体と瞼がひどく重い。
王都がシャドウに襲撃されてから二週間が経過していた。氷花の家から王城に戻ったリンカが見たのは、彼女の想像を遥かに超えるほど凄惨なものだった。白く美しい輝きを放っていた王城はボロボロに崩れ、多数の花が咲き乱れる広大な庭園も酷い有様だった。特に王城内部は酷く、地下から天井まで何かが昇って来たかのように上に一直線に穴が空いており、今にも崩れそうな状態だった。
すぐさまリンカを含めた重鎮達で対策会議が開かれた。流石にど真ん中に巨大な穴が空き、崩れる寸前の城で行えるはずもなく、無傷だった別館にて行われた。今リンカがいる部屋も急遽、別館に作られたものだ。いつもの部屋よりは小さいがベッドにテーブル、大きなソファが2つ、向かい合って置かれている。
リンカの予想通り、被害は相当なものだった。まず、降って来た瓦礫により中にいた大勢の貴族や王族から多数の死傷者がでた。すぐさま駐屯所に医療救護所を作り、宮廷医と街の医者で治療にあたった。重傷者の多数は助かったが、救えなかった命もある。唯一幸運だったのが、被害が街に及ばなかった事だ。避難時に怪我をした人はいたが数は少なく、街の負傷者は少数の医者で対処できた。
そして、会議で最初に議論されたのは、この事件の原因だ。なぜ、人間界にいるはずのない魔物が襲ったのか。誰の仕業なのか。似たような事件がこのわずかな期間で2回も起きているのだ。会議は長時間行われ、結局原因は分からなかった。この時のリンカはずっと焦りが募り、背中には冷たい汗が滲んでいた。原因の分からないこともあるがそれ以上にこの中にいる誰かが魔族の存在を疑わないかが心配だった。500年交流が無いとはいえ、魔族に良い印象を持っていない人間も多い。中には昔のように魔界に侵攻し、土地を奪おうと企んでいる人間もいる。リンカの父親である前国王みたいに。
だが、不思議なことに誰一人、魔族の存在を疑う事はなく、結局原因不明ということになった。それよりも被害が大きく、貴族や民への補償はどうするのかという議論に変わっていった。そして、国の中心である王都で前代未聞の事件が起こったのだ。他の街にまでこの事件は伝わり、国全体が混乱に陥った。リンカはこれ以上の混乱が起こらないようにほぼ毎日、通信用の水晶を使い、国全体に向けて演説をしていた。会議と演説をほぼ休みなく行い、混乱が収まったのはつい先日のことだ。
様々な仕事が降って来たようにリンカを襲い、寝る時間すらほとんど無かった。彼女の一言一句が国の動きに関わってくるのだ。気が休まる時間など無く、仮眠を取っている時ですら悪夢で目が覚めていた。
「だが、混乱は収まったじゃないか」
「まあそうだけどさ。魔族の話が出ていたらどうなっていたことか」
下手をすれば戦争にまで発展しかねない事態だ。そうならなかったのは重鎮達が国民の事を優先してくれたおかげだ。
「ん?」
つい流れで会話してしまったが自分は一体誰と話しているんだろう。顔を上げるとすぐ前に少女が立っていた。腰まで伸びる銀髪、水色の瞳。そして白いワンピース。こんな特徴的な姿をしている人物をリンカは1人しか知らない。
「シア?!!!」
「何だ、今更気付いたのか?」
突然の来客に驚くリンカをシアはいつもの冷淡な瞳で見ていた。リンカは辺りをキョロキョロと見る。すると彼女の行動の理由を察したシアがリンカより先に答える。
「氷花なら来てないぞ」
「え?!そうなの?!」
リンカが驚くのも無理は無い。シアがリンカを1人で訪れることなどまず無い。氷花と一緒に来る時はあれど、いつも不機嫌そうな顔をしている。彼女は他の人に対してはいつも素っ気ない態度をとり、冷たい性格と思われがちだがその心の奥には確かな優しさがある事をリンカは知っている。
「どうやって来たの?!」
「どうって、そこのドアに決まってるだろ」
銀髪の少女は不思議そうな顔をして後ろの出入り口のドアを指差す。
「そうじゃなくて!どうやって城に入って来たのさ!」
現在、城門の警備はもちろん、大勢の兵士や騎士が見回りと復旧活動をしており、そう簡単に入る事は出来ないはずだ。
(まさか、強行突破して来たんじゃ)
氷花以外にあまり関心の無いシアならやりかねない。リンカの胸の内を読んだのか、不機嫌そうに少し眉間にシワを寄せながら答える。
「普通に歩いてだ。氷花が認識阻害の腕輪をくれてな。誰も気付かなかったぞ」
と言いながら右手首に嵌っていた黒い腕輪を撫でると、一瞬にしてシアの姿が見えなくなる。突然の事態に思わず目を見開いてしまう。その反応に満足したのか、シアの姿が再び現れる。恐らくあの黒い腕輪が魔道具なのだろう。
「そんな事より本題に入っても良いか?」
「え、あ、うん」
シアは大きなソファにドスンと座る。リンカも椅子から立ち上がり、テーブルを挟んだ反対側のソファにゆっくりと腰を下ろす。
「話って何?」
まさか氷花に何かあったのか。その可能性が思い浮かび声が僅かに固くなる。だが、シアは両手を固く閉じたまま動かなくなる。
「………シア?」
尋常では無い気配に思わずゆっくりと呼びかける。すると、意を決したかのように勢いよく顔を下げ、
「すまなかった!」
「ちょ?!え?!何が?!」
突然の事態に今までの会話で1番驚いてしまう。まず謝られるような事をされた覚えもないし、何より驚いたのはあのシアがリンカに向かって頭を下げたことが1番の驚きだった。
思考が纏まらずあたふたしてしまうがシアは頭を下げたままなどで動揺を押し殺し尋ねる。
「えーとね。私、何かされた?」
「お前を殺そうとした事だ!」
「へ?」
予想外の返答に頭が真っ白になるがさすがは女王というべきか、すぐさま思考能力が戻り記憶を辿る。そして、それに思い当たることがあった。
「もしかしてあの時?」
シャドウ襲撃の日、氷花の家にシアと二人で避難した時のことだ。会話をしていたシアが急に苦しみ出し、赤黒い魔力が吹き出したのだ。そして、突然の事態に動揺するリンカにシアは不気味な魔力を纏った右手を伸ばしてきた。考えられるのはあの時しかない。
「そうだ。私はあの時、お前を」
そう答えるシアの顔は今までに見たことがないほどに罪悪感が滲んでいた。いくら記憶の封印が解けかけた影響で正気で無かったとはいえ、リンカの命を奪おうとしたのだ。シアはどんな罵りでも受けるつもりだった。だが、
「その事なら気にしてないよ」
「え?!」
予想外の返事に耳を疑った。ゆっくりと顔を上げリンカの顔を見ると、何故かリンカまで暗い顔をしていた。そして、言葉を選ぶようにゆっくりと話し出す。
「この前、氷花とシアがこの事件の真相を教えるために私の所に来たことがあったでしょ。」
事件当日の夜、戦いから戻ってきた氷花とシアから事件の真相について聞いていた。何故ネオが裏切りの魔法剣士と呼ばれるようになったのか。何故転生したのか。そして、シャドウという邪悪な存在が何をしようとしていたのか。その全てを聞いた時、涙が溢れていた。何より衝撃だったのがシアが魔族という事だ。彼女の赤黒い魔力を見た時から予想はしていたが、実際に彼女自身の口から告げられ、再び目の前で赤い魔力を見せられると何も言うことが出来なかった。
「その時に氷花と二人で話したことがあったの。どうしてシアがあんなに苦しそうにしていたのかって。もしかしたら命に関わるんじゃないかって心配になって。そしたら氷花が」
その時のシアは記憶封印の魔法が解けかけた事で苦しんでいたんじゃないかな。中途半端に封印が解けて過去の辛い部分だけが流れこむ。その影響でショック状態になったんだと思う。でも封印が解けかけるほどの事が起こったのかな?
そう推測する氷花も何が原因で封印に綻びが出来たのか分からない様子だった。
「それで、もしかしたら私が何かシアに酷い事をしたんじゃないかって。ずっとその事が気になって。ごめんなさい。私がシアを傷つけなかったらあんな事には」
「そうじゃない!」
後悔の籠った声で謝るリンカの言葉をシアが大声で遮る。
「そうじゃないんだ。お前は何も悪くない。私がお前に嫉妬したからなんだ」
「え?」
「私の知らない氷花との思い出をお前から言われたときに。いや、お前が氷花の事を好きだと知って胸が苦しくなって。その苦しみが急に憎しみに変わって意識が途切れて、気付いたら右手がお前に伸びていた。もし氷花の異変に気付いてなかったら」
自分の右手を恐ろしいものを見るような目で見ながら言葉を続ける。
「私はお前を殺していた」
あの時、一歩間違えればリンカを殺していた。怖かったのだ。氷花がリンカに奪われることが。もし氷花の心がリンカに向いてしまったら、もう自分のことを見てくれないのではないか。あの時のシアはその強力な脅迫概念が過去のトラウマにより増幅され、理性が飛んでしまった。
「すまなかった!」
再び頭を下げようとするシアをリンカは止めた。そう、シアの頭を自分の胸に抱きしめて。シアの身体がビクッと跳ね、逃れようともがく。だが、リンカは強く抱きしめ逃がさない。
「大丈夫だよ、シア。あれはシアの意思じゃなかったんでしょ。知ってるよ。シアはあんな事絶対にしないって。私は女王だから。ううん。シアの友達だから」
「だが」
「だがじゃない。私が気にしてないんだからこの話はこれでおしまい。何回、殺されかけても私はシアと友達を辞める気は無いよ」
何せ殺されかけた事にすら気付いていなかったのだ。だからシアを責める気など毛頭ない。
「あ、………ありが………とう」
そう小さく呟くと、バッとリンカの腕の中から離れ、プイッと泣き腫らして赤くなった目元を隠すように顔を逸らす。それから少しの間グスグスと鼻を啜っていたが、泣いた事が恥ずかしくなったのか、急いで涙を拭き、いつもの調子に戻ろうとする。
その照れ隠しも、とても可愛く愛おしく思えた。やがていつもの冷淡な目つきに戻る。
「そうだ!喉乾いたでしょ。何か飲む?」
「紅茶で良い。砂糖たっぷりで頼むぞ」
「りょーかーい」
目元はまだ赤いがそれ以外は完全にいつものシアに戻ったことが嬉しくて声が上擦ってしまう。
(でも、さっきの弱々しいシアも可愛かったなー)
いつものシアからは考えられない姿を思い出し、つい口元が緩んでしまう。それを悟られないようにシアに背を向けて紅茶の準備をする。
「ああそうだ、言い忘れてた」
「何?」
「この前氷花に告白したぞ」
「へえ、そうなんだー……………へ……」
予想外の言葉に手が止まる。そして、ギ、ギ、ギ、と歪んだドアを開けた時のような音をたてながらシアの方を見る。そして、頭に思い浮かんだ恐ろしい可能性を否定して貰いたくて聞いてしまう。
「告白って何を」
するとシアはテーブルに置いてあったクッキーをつまみながら当たり前のように答える。
「何って、私が氷花の事を好きって事に決まってるだろ」
悪い予感が的中してしまった。心臓の鼓動が早くなり、目の前が歪んで見える。だが、1番重要な事を聞いていない。震える声で質問する。
「へ、返事は」
「まだだ。最近ゴタゴタしてたからな。あいつと話す時間が無くて聞けてない。というより意図的に避けられている気がする」
帰って来てからの氷花はこっそり城に侵入して修理の手伝いをしていた。それだけなら良かったのだが、まるでシアを避けるかのようにどこかにフラッと出掛けて夜遅くまで帰ってこない。
「そう、なんだ」
シアの返事を聞いて僅かに安堵するが、胸に巨大な針が刺さったかのような痛みは消えない。シアが氷花のことを好きという事は初めて会った時から気付いていた。その時には既に氷花に対しての恋心を自覚していたためシアの事をライバルだと思った。あっという間に氷花と親しい関係になっていた彼女に対して僅かな嫉妬が芽生えたが、シアと接しているうちに彼女のどこか放って置けないところがリンカの生まれついての面倒見の良さを刺激して、いつのまにか友達として接するようになった。もちろん同じ相手に恋慕を抱いているライバルとしての認識は変わらなかったが。
(先を越されちゃったか)
心の中で後悔の念が生まれる。リンカは氷花に想いを伝える事は決めていた。だが出来なかった。一世一代の告白なのだ。仲を深めて、最も良いシチュエーションで告白をする。そのタイミングを見計らうばかりでいつも先延ばしにしていた。けどそれは勇気が出ない事に対しての言い訳でしかなかったのだ。
(私は氷花に拒絶されるのが怖くて出来なかったのに、シアはその恐怖を乗り越えて告白したんだよね。負けて当然なのかな)
こういう時なんと言葉を返せば良いのだろうか。考えようとしても頭が回らない。ただどうしようもない悔しさが全身を苛む。
「それで。お前はどうするんだ?」
「?!」
いきなりの質問に驚き、体が跳ねる。
「どうするって、何を?」
流れようとする涙を必死に堪えながら聞き返す。
「氷花に告白するかどうかだ。まさかこのまま引き下がるつもりか?まあ、私はそれで構わないが」
紅茶を啜りながら、ぶっきらぼうな声で答える。リンカにはその言葉の意味が分からなかった。
「でも、もうシアが告白したのに私が告白するわけには」
「別にあいつは私に返事をしたわけじゃない。というかあいつも自分の気持ちに整理がついてないんだ。ならお前が告白しても問題はないだろう?」
そうなのだろうか。疑問は増えるばかりだが、どうしても聞きたいがあった。先程まで座っていた椅子に腰を下ろし、クッキーに夢中なシアの水色の目を見つめる。
「どうして?どうして私にその事を話したの?黙っていた方がシアにとっては良かったんじゃ」
するとシアは、少し考えるように間を置き、冷静な表情で答えた。
「そんなの簡単だ。お前には今回の件で迷惑をかけたからな。その詫びだ」
元々、この一連の事件は500年前の戦いの続きだったのだ。当然、リンカを含めたこの時代の人間には関係のない事だった。それなのに、このような形で巻き込んでしまった。氷花は魔法で復興の手伝いをする事で責任を取っている。だが、シアは攻撃魔法が多少使えるくらいで役に立つことができない。だからせめてリンカに勇気を与えるぐらいの事はしてやろう。そう思っていた。
「でも、シアはそれで良いの?」
「あいつの事だからたくさん悩んで返事が遅れるだろうが大した問題じゃない」
「そうじゃなくてね」
「ん?何だ?」
「私。氷花、奪っちゃうよ」
「…………は……」
予想外の言葉にシアは自分でも間抜けだと思うような声が出る。聞こえてないと思ったのか、それともシアを追い込むためか、もう一度、同じ事を告げる。
「だからね、私が告白したら氷花は間違いなく私を選ぶよ」
「どうしてそうなる?!」
ようやくまともな声が出た。
「だってシア、大事な時に照れて損してばかりじゃん。その点私は自分の気持ちに素直だから氷花にたくさんアピール出来るもん」
初めて会った時からシアの事をライバルと認識していたリンカは、彼女のことを観察していた。シアは氷花に好きという感情をアピールしようとしているがいつも照れ臭さが勝ってしまい、あまり好意が伝わっていない、はず。うん。多分。だが、自分はアピールの仕方も甘え方も彼女より数段上という自信がある。負ける要素が無い。
「さっきまで告白するかどうかで悩んでいた奴が言うセリフか」
「だからもう遠慮しないよ、私」
「言っておくが、私はあいつとキスもしてるぞ」
「それくらいのハンデならあげるよ」
リンカがソファから立ち上がる。そして、友でありライバルである少女に向けて宣言する。
「氷花は誰にも渡さないから」
「ふん。やってみればいいさ」
その宣言に応じるかのようにシアが立ち上がり、リンカの緑色の目を真っ直ぐに見る。2人の目にはお互いの姿しか見えず、部屋にはピリピリと張り詰めた空気が漂っていた。
「誰があいつの心を奪えるか」
「勝負だね」
こうして肝心の氷花が気付かぬ間に2人の恋する乙女達の戦いが幕を開けた。それは、彼女達の人生の中で絶対に負けるわけにはいかない勝負だった。
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