第24話最悪の未来

 バージルとの面会を終えたラインハルトが廊下に出る。彼の顔は、一気に10歳ほど老けたように生気がなかった。

 そんな彼を廊下で待っていたアイリスが彼の方に寄ってくる。

 

「ラインハルト、公爵との面会はどうだった?」

「それはその……いや、あいつは引き続き王国のために尽くすと言っていたな」


 ラインハルトは動揺すると少し目を伏せてぼそぼそと答えた。

 その様子に、アイリスは優し気に笑った目をわずかに細めて、蛇のように彼を見つめる。

 

 しかしそれも一瞬のことで、彼女はすぐに優しそうな笑顔を見せた。


「そう、良かったわね。でも、うかない表情をしているのね。あなたにそんな顔をさせるのはいったい何?」

「……」


 ラインハルトは思わず黙った。先ほど公爵に気圧されて、腰すら抜かしてしまったことをアイリスに言いたくはない。

 アイリスは彼の表情を見ると、それ以上追及することもなく華やかに笑った。


「あなたの悩みは分からない。でも、あなたの悩みの種が私には分かるの。あなたが追放したあの魔女、エレノアのせいじゃないかしら?」


 アイリスの瞳が薄っすらと光る。それを呆然と見つめたラインハルトが答えを返す。


 「そう、かもしれない」


 元を正せば、バージルがラインハルトを訪ねてきたのもエレノアの追放が原因だ。

 そうだ、あの噓つきと婚約などしなければ、自分はこんなに苦しまなくて済んだのではないか。


 人間の感情は自分の楽な方へと流れていく。水が低きに流れるのと一緒だ。

 もっとも簡単なのは、自分の苦痛に分かりやすい原因、悪役を作ることだ。

 

「そうだ、エレノアさえいなければ。あの魔法使いを自称するいけ好かない女さえいなければ、俺は何も問題なく国王の座に収まっていたはずじゃないのか?」


 それはあまりにも視野狭窄な思考だった。しかし、ラインハルトはそれに気づくことすらできない。


「ラインハルト。私に権限をちょうだい。あなたを邪魔するものを排除してあげる」

「排除?」

「そう。エレノアを追放するだけじゃ足りなかった。王城にいる彼女を暗殺するのはリスクが高すぎたけど、治安の悪い辺境で貴族が一人死んでも何もおかしくない」 


 アイリスは人を殺す話をしているとは思えないほどに優しそうな笑顔を見せていた。


「ラインハルト、後は私に任せてあなたはゆっくり休むといいわ」


 彼女の言いなりになって、ラインハルトはその場を後にした。

 誰もいなくなった廊下で、アイリスは一人呟く。


「王子様のバックアップがあれば、今度こそあの女を殺すことができる」


 どす黒い殺意の籠った声で彼女が呟く。

 誰にでも親しく接し、王城ですぐに人気者になった彼女とはまるで別人の様子。

 アイリスの目が紫色に光る。


「あの子だけ全部持ってるだなんて、ズルいじゃない。居場所も、安寧も、新しい婚約者も、一つ残らず奪わなないと気が済まないわ」


 

 


「ふん、ふん」


 童謡を鼻歌で歌いながら容器の中身をかき混ぜる。

 いつもよりも上機嫌な私は、屋敷のキッチンに立ってクッキーを作っていた。

 普段の私はキッチンに立つことはない。料理ができないわけではないが、私より遥かに料理が上手いコレットがいるからだ。


 普段の食事はコレットやその他の使用人が作ってくれている。

 私が今回ここにいるのは、手作りのクッキーを作りたかったからだ。


「ギルバート様、喜んでくれるといいけれど」


 きっと喜んでくれる。そう思っているからここに立っているわけだが、しかし不安なものは不安だ。

 

 以前のお茶会でギルバートに私好みのクッキーをもらったことはよく覚えている。

 それなら、今度は私がクッキーを食べさせてやろうというのが今回の魂胆だ。

 

「……こんなに幸せでいいのかしら」


 あれからギルバートはなかなか私に仕事を頼まない。

 「いずれ必要になったら力を借りる」と言っているが、ウェンディでの一件のように何かを頼んだりすることがないのだ。

 まるで嵐の前の静けさだ、というのは考えすぎだろうか。


 コト、と容器をテーブルの上に置く。

 次の行程を思い浮かべ、卵を取るために私はキッチンを歩き出した。


 その瞬間、右目が熱くなる感覚に襲われる。

 未来視の予兆だ。それも、自動的に発動するタイプ。大抵の場合、それは悪い出来事が起こる知らせだった。

 

 次の瞬間、私の視界は屋敷のキッチンから知らない場所へと移動した。

 

 


 

 ひどく不鮮明な映像だった。背景はぼやけてよく見えない。

 かなり先の未来か、あるいはひどく不確定な未来なのだろう。


「――!」


 誰かの叫び声が聞こえる。聞き覚えのある声。ああ、これはきっと私の声だ。ひどく焦っている。


「……」


 血の匂いがする。そこでようやく、私の視界が定まり目の前で何が起こっているのかが分かった。


 ギルバートが地面に倒れ込んでいる。そばにいる私は彼を抱きかかえ、何事が必死に叫んでいる。

 ギルバートの顔は真っ青で、その目は固く閉じられていた。

 その腹部には大きな穴。血がとめどなく溢れている。


「……!」


 息を吞む。ああ、これはきっと最悪の未来を視せられているのだ。ギルバートが死ぬ未来。私が彼に置いて行かれる未来だ。

 ギルバートを抱きかかえる私が涙をぽろぽろとこぼす。未来の私が何を感じているのか、私の胸にまで伝わってきた。

 無念。絶望。悲愴。罪悪感。


 ああ、実際に体験していない私ですら心が痛くなってくる。もはや私にとってギルバートはなくてはならない存在になっていたのだ、と実感できる。


 涙を流しながら、私はギルバートの青ざめた唇にキスを落とす。今生の別れを惜しむ、悲しいキスだった。

 

「ギルバート様、あなたと初めてのキスをできた私は幸せですよ。――でも、願わくばあの未来のような幸せなキスが良かったですね」


 まったく幸せそうではない泣き顔で、彼女が呟く。そう思わないと心が壊れてしまいそうだったからだろう。

 そのセリフを聞いて、私は悟る。

 ああ、この未来とは分岐した未来なのだ。

 

 私が初めてギルバートと会った時に視た、幸せなキスをする夢。それが叶わなくなった結果、この未来が存在している。

 未来は不確定で、私の未来視に絶対はない。だから、かつて予知した未来が変わることだってあり得るのだ。


「……いやだ」


 私の口から言葉が漏れる。

 こんな未来は嫌だ。どうしてギルバートが死ななければならないのか。どうして私がそれを見送らないといけないのか。


「……ッ!」


 未来視から戻ってくる。何の変哲もないキッチン。居ても立っても居られなくなった私は、クッキー作りを放り出して屋敷の外へと飛び出した。

 ちょうど、馬の駆けてくる音がする。ギルバートが帰ってきたのだろう。彼の姿がこちらに近づいてきて、胸が痛くなる。

 

「エレノア……」

「ギルバート様っ!」


 無傷の彼が見れたことがうれしくて、馬から降りてきた彼を私は反射的に抱きしめた。

 大きくて、温かい体。それに触れていると安心できる気がした。


「お、おいエレノア!? 何を……」


 ギルバートの聞いたこともないような動揺した声が聞こえる。

 私は彼の顔を見上げて、訴えかけた。


「ギルバート様。勝手にいなくならないでくださいね」


 動揺して、顔を少しだけ赤らめたギルバートは、何が何だか分からないという表情でゆっくりと頷いた。


 

 

「……それで、なんであんなことしたんだ?」


 ギルバートが馬を厩舎に戻し、屋敷の中に入る。そうしてから、彼は少しだけ優しい顔で私に問いかけた。


「その……未来が視えたので……」


 顔が熱い。ギルバートを直視できない。

 ああ、いたたまれない。せめて呆れた顔をしてほしい。どうして優しい顔をするのだ。急に抱き着かれて嫌じゃなかったのか。

 

「何か悪い未来を視たか」

「はい。……あなたが、死ぬ未来を」

「……」


 ギルバートが難しい顔をして黙り込む。

 やや考え事をしてから、彼は口を開いた。

 

「今日はありきたいな盗賊団の討伐だったんだが、少し妙なことがあった」

「妙?」

「ああ。俺たちが盗賊団を討伐する最中に、背後から襲ってきた奴がいた。盗賊団の一味かと思ったが、どうにも身のこなしが慣れていた」

「それは……」

「どこかの誰かが俺を殺そうとしていたのかもしれない。私兵を持っているような裏社会の組織か、あるいは貴族か」


 淡々と語られた言葉に恐怖を覚える。


「エレノア。お前も気を付けた方がいい。少しばかり、きな臭い状況になってきたかもしれない」


 ギルバートはポツリと呟くと、鋭い視線で窓の外を睨みつけた。

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