第23話患部の観察

「おい、オールドタートル宰相! これはどういうことだ!」


 豪華な作りの扉が、壊れるのではないかという勢いで開けられた。

 

 ラインハルトがバンッと大きな音を立ててこの部屋に侵入してくるのも何度目か分からない。

 王城において、王に次ぐ政治の責任者であるオールドタートル宰相は内心「またか」と頭を抱えながら彼を出迎えた。


 ネガティブな感情を隠した愛想笑いで、彼はこの国の第一王子に向き合った。

 

「ラインハルト殿下、いったいどんなご用件でしょうか?」

「分かりきったことを聞くな! この報告書はなんだ! 俺が今月までと指示をした反乱軍の鎮圧も遅々として進まず、輸入が滞り王都の物価は上がるばかり。すべて上手く行っていないではないか! これが貴様の職務怠慢ではなくてなんだと言うのだ!」

「ですから、エレノア様の力を借りられた今までと比べるのは無意味だとさんざん説明したではありませんか……」


 オールドタートル宰相はくたびれたように呟いたが、ラインハルトの怒りは止まらなかった。


「だから! 今まで裏で手を引いていたエレノアが消えればむしろ状況は良い方に向かうはずだと散々言っているだろう! それに、最近は俺の周囲の貴族も俺に対して非協力的だ。また誰かが俺を貶めようとしているのではないか!?」


 ああ、この王子はやはりダメかもしれない。オールドタートル宰相の頭脳は、そう結論づけていた。

 ラインハルトはもはや話を聞き流しているオールドタートル宰相の様子にすら気づかないで唾を飛ばしながら怒鳴っていた。

 

 彼はラインハルトに聞こえないようにこっそり呟いた。

 

「しかし、ブラッドストーン公爵ならあの王子をなんとかしてくれるかもしれない」


 オールドタートル宰相はただ王子の暴虐に身を縮こまらせているだけの愚か者ではない。

 彼の無茶苦茶な政治をどうすれば止められるのか考えてきた。

 彼だけでは荷が重い。相手は王族。エレノアの追放で味方を減らしてたと言っても支持者は未だ多い。


 だから彼は、とある青年を王城に呼んだのだ。

 ブラッドストーン公爵。彼はエレノアの5つ上の義兄だ。

 実績の上では彼ほどの傑物は今の王国にはいない。敵将の首を取ってきた数。苦境を退けた数。

 

 政治的な立ち振る舞いもまた、若いにも関わらず洗練されている。

 先代、父親のブラッドストーン公爵が体調不良により引退し跡を継いだ後、問題なく領地を経営し続けていた。

 先代からの忠臣の力があったのはもちろんだろうが、若くして公爵家に統べられたのは彼の力だろう。



 オールドタートル宰相の連絡は、反乱軍や賊の鎮圧で忙しくしていたブラッドストーン公爵に届いた。

 すると、彼はあっという間に反乱軍との戦いにある程度の区切りをつけて王都まで来る算段をつけた。

 

 

 いくら次期国王候補のラインハルトと言えど、彼の王城への訪問は無下にはできなかった。

 

「殿下、失礼致します」


 涼やかな声が響きドアが開く。入ってきたのは、優し気な顔をした青年だった。

 彼の到着を見て、王子のそばに控える近衛騎士たちが敬礼をした。公爵がそれに軽く応える。

 次期国王であるラインハルトには、いつも護衛がついている。

 公爵と言えどもラインハルトと一対一で会うことはできない。


 それゆえ、公爵は帯剣していても咎められなかった。不合理にも思えるルールは、近衛騎士団のプライドの表れだった。


「この度は急な訪問にも関わらず謁見の機会を与えてくださりありがとうございます」

「いや、いい。公爵にはよく国に貢献してもらっているからな」


 ブラッドストーン公爵――バージルは丁寧な言葉遣いをしているが、ラインハルトにへりくだっている印象は全く受けなかった。

 笑っているように見えて、瞳の奥はじっとラインハルトを観察していた。


「ありがとうございます。それで殿下。一つ聞きたいことがあるのですが」


 バージルの目がスッと細まる。威圧感がその場を支配する。ラインハルトは無意識に少しだけ身を引いた。近くで控える近衛騎士が身を固くする。


「先日我が義妹が王城を追放されたと聞きました。しばらく遠征していた私の耳に入るのは随分遅れたのですが、殿下の口から直接事情を聞きたく今回お時間を取っていただきました」


 嘘は許さない。彼の笑顔の奥の瞳は、そう語っているようだった。それは、ラインハルトを見極めようとしているようでもあった。

 

 ラインハルトは、一瞬言葉を紡ぐの躊躇った。バージルの目は、数多の修羅場を潜った者特有の独特の迫力があった。恐怖を感じたラインハルトの背中に冷や汗が流れる。

 

 しかし、ラインハルトは次期国王だ。この程度で怖気づいしまっていては国を率いることなどできはしない。

 彼は覚悟を決めて公爵に啖呵を切った。

 

「ああ! そうだ! お前の愚かな妹はこの俺が追放してやった! あいつは未来が視えるという虚言を用いて王国を混乱の渦に陥れたのだ! この国の魔女は、俺が追放してやった!」

「……」


 バージルの瞳がラインハルトを貫く。ラインハルトは自分の怯えを隠すように胸を張った。

 己に間違いなどない、と示すような態度に、バージルの笑顔がスゥ、と消えた。


「ッ……」

 

 バージルの能面のような顔に、虚勢を張っていたラインハルトの余裕が消えた。

 異様な雰囲気がその場に流れ出す。バージルが表情を消しただけで、その場は身動きすら憚られるような緊張感に包まれた。

 

 バージルはラインハルトを不気味な視線で射止めたまま、ゆっくりと彼の元に近寄って行った。


「お、おい! 何のつもりだ!」


 バージルの足は止まらない。そのままラインハルトにぶつかってしまいそうな勢いだ。そうなると、自然とバージルの腰に下げられた剣に目が行く。

 戦場における彼は名将であり、無敗の剣士だ。

 限定的な未来視を使う彼は、敵の次の一撃が視える。

 彼ほどの腕を持った剣士を相手に次の行動を読まれて尚打ち勝てるような人間はいない。相性の良い魔道具を持ち出してようやく五分だ。

 

 加えて彼の纏う気配は、さらに濃度を増していた。ここまでくると殺気と言ってもいいだろう。

 彼は腰の剣に一度も手をかけていない。にも関わらず、ラインハルトは既に斬り捨てられる自分の姿を幻視していた。

 

「な、何をしている! 近衛騎士、止めろ!」


 その言葉に、バージルの雰囲気に圧倒されていた近衛騎士が動いた。

 最も近くにいた近衛騎士が剣を振りあげる。王族に危害を加えようとした時点で手を上げても問題ない。だから彼は、躊躇いもなく公爵の背中に剣を振り下ろした。

 

 しかし、バージルは振り返りもせずに剣を回避、一瞬で抜剣すると騎士の首に剣を突き付けた。

 

「ッ……」


 一瞬の攻防で近衛騎士は彼我の実力差を見せつけられしまった。近衛騎士の首に剣を突き付けたまま、バージルはラインハルトを睨みつけた。


「殿下。これは正当防衛です。私は一度も剣に手をかけず、ただ殿下と握手を交わそうとしただけです。それなのに勘違いした近衛騎士が斬りかかってきたので、仕方なく迎撃したまでです」

「なにを……」

「――殿下」


 バージルの視線がラインハルトを貫く。ここで彼の言葉を否定すれば一瞬で斬られてしまうかもしれない。そう思わせるだけの殺気が籠っていた。

 ゆっくりと、ラインハルトは頷いた。彼の背中は既に汗でびっしょりだった。これ以上恐怖を感じていたくない。その思いだけが彼の頭を支配していた。

 

「殿下の意向はよくわかりました。その背景についてもだいたい察しました。――毒に犯された患部は纏めて切除しなければなりません。然るべき治療法は、入念な診察の後判明するものです。ゆえに、ここでこれ以上話す必要はないでしょう。私は用事を果たしてから妹の様子を見に行きます」


 バージルが悠々という足取りで謁見室から出ていく。先ほどまで殺気をまき散らしていたとは思えないほど悠然とした立ち振る舞いに、フラストレーションが溜まっていた

 ラインハルトは思わず叫んだ。


「貴様の妹はもう死んでいるぞ! 最悪の領地、ホークアイ領に婚約者としてよこしてやった! 今頃夜盗にでも襲われているに違いない!」 


 その言葉を吐いた瞬間、バージルが凄まじい勢いで振り向いた。先ほどまでの悠々とした立ち振る舞いとは打って変わって、素早く感情を露にした動きだった。

 

「それ以上喋ったらこの場で切除しますよ」


 冷たい、聞いた者に死すら錯覚させる声だった。

 そういった威圧感に慣れていないラインハルトは、腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。


「……失礼します」


 バージルがその場を去ってから、ラインハルトは深い、深い安堵のため息をついた。

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