第22話鷹の目は宝石に惹かれる
ギルバートにとって、エレノアは初めてまともに接した貴族女性だった。
とは言っても、それはギルバートが世間知らずである、という意味ではない。
ギルバートは下位ながら貴族だ。社交会に出た経験もある。ご令嬢と話したこともある。
彼の相手を威圧する見た目はしばしば令嬢を怯えさせたが、しかし同時に女性を惹きつける要素でもあった。
ギルバートと仲良くなろうと話かけてくる令嬢もいたが、彼はそのような女性とあまり親しくなろうとしなかった。
彼の鋭い目は相手がどんな人間なのかを見抜く。
彼に近づいてくる貴族令嬢の瞳の底には、いつも生々しくて醜い欲があった。
貴族にとって婚約者とは一種のステータスだ。夜会に着るドレスのようなもの。あるいは、枯れるまでの間愛着を持って育てる花のようなものだろうか。
ギルバートは彼女らの態度から、自分を見る目がそのようなものであると見抜いていた。
けれども、エレノアは違った。
盗賊に襲われ混乱した街の中で、彼はその輝きを見た。非力で、襲われればあっさりと殺されてしまうような彼女。それでも、見知らぬ他人を助けるために命を懸けていた。
その目は、己の意思を、責務を突き通さんという強い光をたたえていた。
あの日、ウェンディの住民がひとりも死ななかったのは彼女のお陰だ。
祖父の代から受け継いだこの土地を、人を守ってくれた。それは、ギルバートにとって最も大事なことだった。
ギルバートは、エレノアに伝えるよりずっと感謝していたし、彼女のひたむきな姿に惹かれつつあった。
ギルバートとエレノアのお茶会はこれで三度目だ。最初はお茶会は練習だとか言い繕っていたギルバートだったが、コレットに全部バラされてしまったので誤魔化すのを諦めた。
「婚約者なんですからお茶会に誘うのは不自然じゃないです。お嬢様も喜んでいますよ?」 とコレットは嬉しそうにギルバートに告げた。
「エレノア。前から聞いてみたかったことなんだが」
エレノアの赤い瞳がギルバートを捉えた。
彼女の不思議な色の目を見ると、ギルバートは無意識に身を固くしてしまう。
緊張、というほど深刻なものではない。ついつい襟を正してしまう、と言えばいいか。
見たこともない瞳だ、と見れば見るほど思う。血のような赤色の奥には、深い思慮が渦巻いているのが推測できる。
彼女の鋭い瞳は、自分にいつか失望しないだろうか。
らしくもない弱気だ、とギルバートはそれを隠す。
「ウェンディでの一件で、お前はどうして俺の領民をあんなに必死に守ってくれたんだ?」
エレノアの綺麗な瞳が少し大きくなる。彼女の驚いた顔は珍しい。
「どうって……困っている人が目の前にいたら助けるのは当たり前ではないでしょうか」
一般論を述べて紅茶を飲むエレノア。
しかしギルバートは、それだけでは納得できなかった。
「たしかにエレノアはあの街で数日を過ごした。だが、ごく一部の人と関わっただけで命を懸けるのか? 身を挺してまで守ろうとするか?」
エレノアの仕事は革命戦線の襲撃を予知したところで終わっていた。ギルバートはそう考えていた。
彼女は戦うことのできない公爵令嬢だ。それに、彼女の未来視はひどく体力を使う。
あの日真っ青な顔をしていたエレノアを見れば、彼女がどれだけ疲弊していたのかくらい想像がつく。
「ええ。それこそ私の使命です」
彼女の言葉は、ギルバートには違和感があった。
好悪で言えば好ましい。このような真っ直ぐな人間は、人間の醜さを嫌うギルバートにとって信じられないほどに美しいものだ。
それでも、彼女自身が傷つくことを厭わない姿は危うさも感じさせた。
「エレノアは、自分の身がどうなってもいいと思っているのか?」
「そこまでは考えていないですよ。ただ、それが私の役割だからです」
「お前がよく言う、魔眼を持った者の責務という奴か」
「ええ、おっしゃる通りです」
エレノアは軽く微笑んで紅茶を飲んだ。優雅にカップに指をかけて、音も立てない様子は彼女が華やかな貴族社会の住民であることを思い出させる。
「……お前の在り方、俺にはいつかはちきれてしまいそうに見えるな」
「はちきれそう、ですか」
「ああ。パンパンまで水を詰め込んだ袋のように、ある時限界を迎えて弾けそうだ」
「そんなことは……」
エレノアが少し顔をそむける。
その様子は、思い当たる節があるようだった。
「俺はお前の人を守ろうとする姿勢は素晴らしいと思った。でも同時に、俺はお前に傷ついてほしくないと思った。お前は放っておけば自分の見えるもの全部に手を差し伸べようとして壊れてしまいそうだ」
言い募って、ギルバートは自分がなぜこんなに熱くなっているのかと疑問を覚えた。
感情を出すということは自分の弱点を晒すことと同義だ。
何に怒るのか、何に悲しむのか、何が好きなのか。
それらは人間の深いところを示している。
ああ、やはりか、とギルバートは納得した。自分はもう、抑えることが困難なほどにエレノアのことが好きになっていたのだ。
ウェンディで彼女のひたむきさに触れ、自分の弱さをも受け入れると言ってもらえて、特別な存在になってしまったのだ。
「……ギルバート様?」
改めて実感すると、彼は激しく動揺してしまった。エレノアの顔を呆然と見つめて、黙ってしまう。
不審に思ったエレノアが話しかけてきていることにも気づかないほどだった。
「ギルバート様、ギルバート様! 紅茶が冷めてしまいますよ!」
全く反応のないギルバートに痺れを切らしたエレノアは立ち上がり、彼の肩を掴んで揺さぶった。
エレノアは彼の顔を覗き込む。いつもと変わらないように見える。しかし、頬がわずかに赤く見える。
「……な、なんだエレノア」
意識が返ってきてたギルバートは、すぐ近くにあるエレノアの顔に動揺してさらに頬を赤くした。
「いえ、ギルバート様がボーっとしているのが珍しくて。紅茶、冷めますよ?」
エレノアは大人しく席に戻って行った。
ギルバートはひとまず自分の感情を棚に上げて、言いたかったことの続きを述べた。
「俺はお前に、肩の力を抜けと言いたかったんだ。特別な力を得たからと言って、何でもできるわけじゃない」
エレノアは、ギルバートの言葉に微笑してカップに口を付けた。
ああ、やはり簡単に人の考えは変えられないな。自分の一言でエレノアの在り方が変わるとは思っていなかった。
だから、これから一緒にいて少しずつ変えていきたいと思った。彼女が少しでも幸せになるために、彼女の真面目すぎるところを変える、あるいは自分が代わりに背負いたいと思った。
幸いなことにギルバートとエレノアは婚約者だ。その時間はたっぷりあるはずだ。
そのことを考えると、ギルバートの胸にはぼんやりとした熱が発生した。
きっとそれは、幸せという感情だったのだろう。
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