第20話エレノアの休日
革命戦線を捕らえた夜、未来視の力を消耗しすぎた私はすぐに眠りについた。
夢も見ないほどぐっすり寝た私は、消耗した体力をある程度回復した。わずかに足がふらつくが、普通に行動する分には問題ない程度だ。
翌日の昼くらいに私は屋敷へと戻った。ウェンディの街は盗賊団の襲撃で少し混乱が続いていた。
街の人がざわついていて、ピリピリしている。トーマスやケティーも忙しそうで、話しかけることができなかった。
エレノアはあまりこの場に居続けない方がいいだろう、とギルバートは言っていた。
まだ体の力が完全に戻っていない私は、それに大人しく頷いた。
帰りはなぜか馬車だった。馬一匹だけしか移動手段がなかった行きとは違い、馬車という豪華なものが用意されている。
これはどういうことだ、とギルバートに聞くと、彼は「疲労困憊の功労者を丁重に扱わなければな」と少し皮肉のように言って笑った。
夕方頃にギルバートの屋敷に戻って、それからすぐに私は眠りについた。
今回の疲労は一晩寝たくらいでどうにかなるものではなかったようだ。二日連続で長時間ぐっすりと寝た私は、ようやく普通に活動できる程度の体力が戻ってきた。
昇り始めたばかりの太陽が世界を照らし始めた頃。
いつも通り朝早くに時間に起きた私はいつも通りにコレットに髪を整えてもらっていた。
私は上機嫌で後ろのコレットに話しかけていた。
「それでねえ! その時ギルバート様がもう本当にカッコよくて……! こんなのヒーローじゃないって、今でも私の目に焼き付いているくらいよ!」
「もう、わかりましたからお嬢様。お嬢様が嬉しそうでコレットも嬉しいですが、その話はもう何回も聞きましたって……」
うんざりした顔でコレットが私に答える。
いつも私の話をニコニコしながら聞いてくれるコレットがこの様子ということは、たしかに語りすぎたかもしれない。
そう思った私は口を噤みコレットが髪を整えてくれるのに身を任せた。
「でも、コレットはお嬢様が怪我無く帰ってきてくれたのが一番安心しましたよ。王城にいた頃もお嬢様は何度も危ないところに自ら出ていましたが、その時は万全の騎士団に守られていましたからね。いくら貧乏貴族とはいえ、お嬢様の護衛がギルバート様ひとりとは何事かと思いましたよ」
「あはは……私も馬が一頭しかいないと聞いた時は冗談かと思ったけど……」
その結果随分と恥ずかしい時間を過ごした。逃げ場がない乗馬中は、彼の背中にずっと密着していたのだから。
「それに、恋するお嬢様は今まで見たことのない不思議な顔をしていますね」
「こ、恋してるって言われるとなんだか恥ずかしいんだけど……」
けれど間違ってない。多分、彼とキスする未来が視えた時から意識はしていた。というか、あんなもの見せられたら意識しない方が無理だ。
「ギルバート様と熱烈で激烈なキスをする未来は目指す気になりましたか?」
鏡で見えるコレットの顔は、ちょっとだけ意地悪な笑顔だった。
「ま、まあ本当にあんな未来が来るのならいいなあとは思っているわよ」
「ええ、ええ! お嬢様の緩んだ顔もそう語っていますね」
「コレット! 私の顔なんて見てないで仕事をして!」
「やってますよー」
確かに話しながらも彼女の手はテキパキと動いている。相変わらず要領の良い子だ。
「私の視る未来は確定しているわけじゃない」
自分に言い聞かせるように言う。現に、ウェンディでトーマスが殺される未来は変えられた。
私は失敗してしまったけれども、ギルバートが守ってくれた。
だから、あまり思い上がるのもよくないだろう。ギルバートと私が義務的な婚約者以上の関係になる未来は必ず訪れるとは限らない。
というか、ギルバートが私を愛する未来があまり想像できない。彼がそういうことに興味があるようにあまり見えないのだ。あの仏頂面の辺境伯様は、いったいどうすればあんな熱烈なキスをしてくれるようになるのだろうか。
◇
身支度を十分に整え、ギルバートで出会う。
自分の姿にどこかおかしいところがないか気になってしまいいつもより準備に時間がかかってしまった。
「エレノア。改めて、先日の一件は助かった。感謝する」
「いえ、私こそありがとうございました」
「……どうした、俯いて。まだ疲れてるのか」
ギルバートが私の様子を観察するためにグイと近づいてくる。彼の鋭いアッシュグレイの瞳が私を貫く。
「ッ……」
思わず赤面してしまうのが分かる。ギルバートと接近すると体が暑くなるのはあの未来視以来ずっとだが、前よりさらに恥ずかしい。私がさらに彼のことを意識している証拠なのだろう。
「い、いえ! 何もありませんから! 大丈夫です、体はもう万全ですから!」
「そうか? それならいいが」
す、と引き下がるギルバート。それを見て私は、安堵したような残念なような不思議な気分になった。
「それで、次は何をすれば良いでしょうか」
「次? いや、革命戦線を捕らえた今大きな問題はない。しばらく疲れを取ってくれ」
「……え?」
ギルバートの予想外の返答に私は困惑した。
急に休んでくれと言われると困ってしまう。
王城にいたころは常に仕事があった。
反乱の兆しのある地方に行って、未来視で騎士に指示を出して事件を鎮圧。
宰相から政治について相談を受けることもあった。知識的には私の方が上だが、未来視も踏まえてこれからどうすればよいのかアドバイスが欲しいとのことだった。
王子の婚約者として人脈づくりも欠かせなかった。高位貴族との社交。第一王子のラインハルトは次期国王の筆頭候補だったが、反対する貴族も多かった。
そのため少しでも多くの貴族を仲間につける必要があったのだ。
……私がいなくなってから、ラインハルトはそのあたりをどうしているのだろうか。男爵令嬢のアイリスに上手くできるとは思えないのだが。
俺は仕事があるからエレノアは休暇を楽しんでくれ、と言われてギルバートと別れる。
「……本でも読もうかしら。あんまり気分じゃないんだけど」
うろうろと屋敷をあてもなく歩きながら考える。
コレットも自分の仕事をこなしている頃だろう。いくら要領の良い彼女とはいえ、こんな朝早くに話し相手になったくれるとは考えづらい。
歩き回っていると、ふと窓が視界に映った。
その向こう側、中庭でギルバートが剣を振っているのが見えた。
「……」
じっとその姿を見る。中庭から最も近いこの窓は、ギルバートとの距離はさほど離れていない。彼の剣が重々しい音を立てているのが分かる。体を動かす彼は額に少し汗をかいていた。
守られた時にも思ったが、彼の剣は洗練されていいる。王都のエリート騎士と比べても遜色ないと言えよう。素早く振り下ろされる剣は、簡単には防げそうにない。
そんな風に思いながら眺めていると、彼がこちらに気づいたようだ。素振りを止めて、窓越しに私に話しかけてくる。
「なんだ、見ていて面白いものじゃないぞ」
「いえいえ、結構面白いですよ。見られていると集中できませんか?」
「いや、そういうことではないが……」
「というか、ギルバート様は傷はもう大丈夫なのですか?」
「問題ない。俺は昔から丈夫なんだ」
ギルバートは少しだけ迷ったような素振りを見せてから、私の方に近づいてきた。
「それで、なぜせっかくの休暇を与えたのに面白味のない俺の剣なんて眺めてたんだ」
「いえその、急に休みを与えられるとどうすれば良いのか分からなくて……」
「わからない? 好きに過ごせばいいだろ」
ギルバートが首をかしげる。
しかし、分からないものは分からないのである。
未来視の魔眼を持った以上、王国のために尽くすのが責務。そう言われて、そう思っていたので自由時間というものがあまりなかった。
別に楽しみがないわけではない。コレットと話したり、本を読んだり、家族と話したりするのは好きだ。
しかし、急に一日空くとなると困ってしまう。
そんなことを考えて黙った私のことを、ギルバートは静かに見つめていた。
やがて彼は、少し迷いながら言葉を紡いだ。
「エレノア。暇なら俺にお茶会のマナーを教えてくれないか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます