第13話祖父への憧憬

「祖父が好きだった、と言っても俺とそんなに話すこともなく祖父はこの世を去ったんだ」




 パンに大きな口でかぶりつきながら、ギルバートは語り始めた。




「話してくださるのは嬉しいですが……口の中にあるものを飲み込んでからにしませんか?」




 少し話しづらそうだったので、つい小言を口にしてしまう。


 他人の振る舞いが気になる。ラインハルトにはさんざん嫌われて治せなかった私の悪癖だ。


 


「む……エレノアは誰も見てないのに礼儀を気にするのか?」


「誰も見ていなくても、です。普段からの習慣というものは人前に出る時に自然と出るものです」




 おばあ様の教えを披露すると、ギルバートは少しだけ唇を上げた。




「そういう言葉を言う時のエレノアはどこか誇らしげだな」


「ええ、おばあ様の教えなので」


「なるほど、祖父母を尊敬しているという意味でお前と俺は同じらしいな」




 私の言葉に、ギルバートは自分のことも話す気になったようだ。


 


「俺の尊敬する人、祖父の教えは『自分の信じる人間の可能性を信じろ』というものだった」




 それはまた、熱血的な教えだ。先ほどの『ホークアイ領の歴史』に出てきたホークアイ辺境伯の人物像そのままだ。




「でも、ギルバート様は随分とタイプが違いますね。熱血漢というより冷静沈着といった印象ですが」


「そっちは父の教えだ。俺と父は、祖父のような天性のカリスマ性を持った人間ではない。凡人は常に冷静に観察して、その上で考えなければならない」




 祖父の話をしている時と違って、父親の話をする時のギルバートの顔は硬かった。自分がやるべきことを再確認しているような、呪いに侵されているような表情だった。


 


「なるほど。と言っても、ギルバート様の観察眼はおじい様譲りなのではありませんか? そんなに気負わずとも良いかとお見受けしますが」


「それだけでは人はついてこない。それが父の教えだった。そして俺もそう実感している」




 腹の内を見抜けるだけではまだ足りないのだ、とギルバートは語る。




「父の言葉をそのまま語れば、『この領地を治めるものは舐められたら終わり』だ」


「それはまた、随分と乱暴な言葉ですね」


 


 貴族というよりも、アウトローの論理のようだ。




「俺も言い過ぎだと思うが、同時に真理だとも思う。上に立つものが他人を従える方法は三つだ」




 ギルバートは三つ指を立てて語り出した。




「一つ。権威をバックにして言うことを従える。代々受け継がれる権力を持っている人間のやり方だ」


「ええ。だいたいの貴族が取る方法ですね」


「この方法はホークアイ領は通用しない。権力側の人間が少なすぎるからだ」




 王都から遠く離れたこの領には、派遣されている騎士も少ないらしい。そんな話は王都にいる頃から知っていた。




「二つ目。統治者の人柄で他人を引き寄せ、周囲の人間を味方にする。俺の祖父のやり方だ」


「理想の統治のやり方ですね。最もコストがかからず、忠誠心も高い」


「その通りだ。ただし、できるのは選ばれた人間だけ。カリスマを持たない俺にはできない」




 そう言う彼は、少しだけ悔しそうだった。




「そして三つ目。前の二つのどちらも取れない人間にできる唯一の統治方法。下のものを従えるために暴力をちらつかせ、上から頭を押さえつける。俺や父の取る方法だ」


「……」




 冷たい目をした彼の言葉に、私は何も言えなかった。




「そのためには、直接的な暴力以上に普段からの振る舞いが大事だ。視線は睨みつけるように。判断はすぐに出す。信用はしても信頼はしない」


「それは……随分とつらい生き方に聞こえますね」




 以前にも思ったが、私はギルバートの生き方がひどく危ういものに聞こえていた。


 


「俺の勘ではお前も同じような生き方をしているように感じのだがな」


「それは……」




 そうかもしれない。


 私もまた、王城にいた頃は政治的に対立している敵に対して弱みを見せないように気を付けていた。


 でも、味方がいなかったわけではない。


 


「ギルバート様のお父様は……先刻いなくなったというお話をしていましたね」


「3年前に死んだ。反乱を治めようと戦いに出た際にな」


「そう、でしたか……」




 口ぶりからなんとなく察していた。


 家族の死を語ったギルバートの顔には、なんの表情も浮かんでいなかった。


 そんな彼の様子に何か言わずにはいられなくて、私の口から言葉が自然と出てきた。


 


「――悲しんで、いいんですよ?」




 私の言葉に、ギルバートはこちらをじっと見つめた。


 


「……なぜ、お前がそんなことを言う?」


「さっき自分でおっしゃったじゃないですか。あなたは他人に弱みを見せられない。悲しみも追悼も惜別も、誰にも言えなかったのではありませんか?」


「……っ」




 彼の瞳の奥がゆらりと揺れる。




「だとしても、ここでそれを話すことはない」


「――婚約者、という肩書きを使えばどうでしょうか」




 私の目を見て、彼が驚きの表情を見せる。


 今ならば、踏み出せる。彼のことを知れた今ならば。




「無理やりだったとしても、私たちはふ、夫婦になることを決められました。それならば、話せるのではないですか?」


「……」


 


 確固たる意志を籠めて、私は彼の目をじっと見つめた。


 数秒の後、彼は絞り出すように呟いた。


 


「ああ、そうだな。お前になら、少しくらい話してもいいのかもしれない」


「ギルバート様……」


「エレノア」




 彼の言葉は、先ほどまでとは違った音色があった。




「お前は、俺の理解者になる覚悟があるのか?」


「……ええ。私たち、案外似た者同士じゃないですか」




 そう言って私は、彼に笑いかけた。


 それを見たギルバートは、小さく、しかし嬉しそうに笑った。




 彼は、それ以上具体的な話をしなかった。きっと、父親の死からあまりにも時間が経ちすぎたのだろう。けれども、私たちの心の距離は縮まった気がした。

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