第12話辺境伯領

「平民の宿だが、お前は大丈夫か?」


「ええ。身の回りのことは自分でもこなせます」


「……公爵令嬢っていうのはそんなやつばっかりなのか?」




 見れば、彼は私のことを無表情で観察していた。


 


「いいえ。私の場合は反乱の鎮圧などのために騎士に同行しておりましたから」




 思えば、あまり令嬢らしいことをしていなかった気がする。


 


「ああ、なるほど。つくづくお前は貴族らしくないな」


「……なんですか、馬鹿にしていらっしゃいますか?」




 女というやつは世話が焼けるくらいがちょうどいい。ラインハルトはそんなことを言っていた。どうやら彼的には適度に困って助けを求めてくるお姫様が好みだったらしい。


 ギルバートもまたそういう価値観の持ち主なのだろうか。


 しかし彼は、私の懸念をバッサリと否定した。


 


「いいや違う。だから俺はそういう回りくどい物言いは嫌いだと言っているだろう。」


「そう、でしたね」




 ああ、相変わらずテンポが崩れるな。実直な彼と話していると、王城で貴族たちといがみ合っている頃を忘れてしまいそうだった。




「それに、身の回りことを任せるコレットを危険な場所には連れてこれないでしょう? 人数が多くなれば騎士の負担も増えますから」


「あのメイドは主君のみを危険な場所に行かせることを嘆いていそうだな」


「……ええ、そうですよ。私はあの子に心配をかけてばかりです」




 口には出さないが、態度で分かる。コレットは、遠征から私が帰ってくると毎回安堵に胸をなでおろすのだ。それは嬉しいが、しかし同時に申し訳なくも思う。


 未来が分からない彼女にとって、帰りを待つとはとてもつらいことだと思う。




 ギルバートはわざとらしく私に背を向けると、ドアの方を指さした。




「それでは、早速だがお前はこの部屋だ。俺は向こう。何かあれば呼べ」


「ああ、部屋は別なのですね」




 何の気なしに言った言葉に、ギルバートがピタリと止まった。




「確かに、俺たちは婚約者だから同じ部屋の方が不自然ではないな。不満だったか?」


「い、いえいえいえ! とんでもないです!」




 キスを通り越して初夜とかいくらなんでも早すぎる! そう思った私は手をぶんぶんと振った。




「おい、お前は第一王子の婚約者だっただろ? そんな初心で大丈夫だったのか?」


「いえ、私どもは相性が良くなかったのでそういう雰囲気は少しもありませんでした。……少しも! ありませんでした!」


「お、おお……」




 不思議と、ギルバートにはそういうことをしたと思われたくなかった。




「そういうギルバート様は……その、そういうことをしたい欲求はないのですか?」


「俺か? いや、あんまり興味ないな。昔から色恋とかそういうことより体を動かすことの方が好きだったんだ」




 彼の言葉に嘘はないようだった。


 少しだけ、安堵する。


 


「それでエレノア、この街についてから未来視は使ったか?」


「ええ、既に何度か。少なくとも三日間は襲撃はないですね。それ以上先になると未来が不確定なので断定はできません」


「なるほど……よし、分かった。明日の早朝、朝日が出るのと同時に廃墟の偵察に行く。早起きになるから、しっかり体を休めろよ」


「心得ました」


「朝の支度に時間がかかって遅れるなよ、ご令嬢」




 にや、とギルバートは揶揄うような笑みを見せた。




「ご心配なく。ギルバート様よりずっと早起きしますので」




 彼に合わせるように、私も笑ってみせる。


 


 


 その後、日中は体を休める意味も兼ねて与えられた宿の部屋で本を読んで過ごした。今日読んでいるのは、『ホークアイ領の歴史』だ。ギルバートの埃だらけの書庫から持ち出したもので、この領の変遷などが細やかに書かれている。だいたい、ギルバートの先々代、祖父が若い頃からの歴史だ。




 王城に置かれているような古めかしい歴史本ほど昔の記録ではないが、しかしその分事細かに出来事が記されている。




「……なるほど、たしかにギルバートの言った通りここ30年で随分と開拓が進んでみたいね」




 森だらけだったホークアイ領は、馬車道を中心に整備、その後通り道に少しずつ街を築いていった。ここウェンディもそんな時代にできた街の一つだ。


 林業を中心に発展した街は、労働者を中心に人を集めて大きな街を形成している。




「……でも、この歴史書微妙に読みにくいわね……なんで口語調なの?」




 「巨大熊を倒してやった!」とか「酷暑のクソッタレ!」とか感情がありありと記される様子は書物として綺麗とは言い難い。




「歴史書というよりも日記の方が正しいような……でも事細かに書いてるから勉強になる……」


 


 ギルバートの祖父の自慢話を聞かされているような気分だ。どんどんと有能な部下を集めて領内を整備していく当時のホークアイ辺境伯。


 ギルバートと同じく、彼の祖父も優れた観察眼を持っているようだった。




「『見た瞬間分かった! コイツは最高の鍛冶屋だ!』ってそんなフィクションじゃあるまいし……でも実際ここまで領を発展させたってことは有能な人だったのかな」




 パラパラとページをめくる。そうしてゆっくりと休んでいると、突然トントンと戸を叩く音がした。




「エレノア、俺だ」


「ギルバート様?」




 一瞬自分の姿を鏡で確認してからドアを開ける。すると彼は、大きな紙袋に溢れんばかりのパンを持っていた。




「ず、ずいぶんいっぱい買いましたね」




 もしかして食いしん坊なのだろうか、と見ていると、ギルバートは私の方に紙袋を向けた。


 


「これを食え。朝出てきてから何も食べてないだろう。」


「え、ええ。まあ」




 体感的に今はお昼くらいだろうか。お腹が減っていないわけではなかった。しかし、下の街を一人で出歩いて余計なトラブルを起こすことを避けたかった私は、夕食まで待てばいいかと昼食を放棄していた。


 


「ギルバート様、わざわざ私のためにお昼ご飯を買ってくださったのですか? ありがとうございます」


「いやなに、偵察中にぐうぐう腹を鳴らされたら気が散るからな」


「ああ、はいはい。分かってきました。ギルバート様は素直に感謝を受け取れない人なのですね」




 私の物言いに、ギルバートは少し顔をしかめた。嫌だ、というよりも鬱陶しい、という感じだろうか。




「その本……読んでいたのか?」




 私が手元に持っている本を見つけて、ギルバートは少し驚いたように言った。


 


「ええ、辺境伯領について色々学ばせてもらっています」


「まあその本はたしかに詳しく書いてあるが……しかし、祖父の趣味が出すぎていないか?」


「まあ、それは確かに……」




 平民の誰と仲良くしたとか、歴史書にはいらないだろう。


 


 しかし私は、案外この書物が気に入っていた。描かれているホークアイ辺境伯が非常に好感を持てる人物だったからだろう。


 熱血漢、と言えばいいのだろうか。大きな体躯で剣の腕が立つ。


 情に厚く、信頼した臣下のためなら命を懸けられる。


 そして何よりも人物の観察眼に特に優れていて、優秀な部下たちを平民の中から取り立てて活躍させていた。


 


「俺は祖父の側近が書いたその本が結構好きなんだ。この間お前のメイドに書庫を掃除してもらった際、この本で出てきて少しうれしかった」


「へえ、思い出の本、ってことですか?」


 


 語るギルバートの目は、いつもより柔らかいように見えた。


 


「まあ、そんなものだ。俺にとって祖父とは尊敬の対象なんだ。ひょっとしたら父よりも好きだったかもしれない」


「……それは、それは」




 少しだけ、これ以上踏み込むべきか迷った。


 祖父について語るギルバートの目は、今まで見たことがないような色をしていた。


 懐古と同時にあるのは、自分の弱いところを何とか出すまいとしているような気配だろうか。


 


「良かったら、婚約者の私にそのあたりの話を聞かせてくださいませんか?」




 こんな時だけ婚約者なんて言い出すのはズルい。そうは思うけれども、今の自分が彼に踏み込む手段はこれ以外に思い浮かばなかった。




 少しだけ驚いたような顔を見せたギルバートは、一瞬だけ押し黙る。


 彼にしては珍しく、視線があらぬ方向を向いている。




「……食べながら話さないか」




 やがて聞いた言葉に、私はニッコリと笑うと自分の部屋に彼を招待した。

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