第11話視界が開ける

「しかしお二方、こんな場末の酒場で聞ける情報なんてたかが知れてますよ。他のところにも行ったらどうです?」


「場末だなんて、良い場所だと思いますよ」




 こういうところに入ったのは初めてだが、ここにいる全員が楽しそうにしていることは伝わってきた。


 弾んだ声と大きな笑い声がそこら中から聞こえてくる。




「お? お上品なお嬢様はうちの良さが分かるのかい?」


「ええ。ギルバート様ほどではありませんが、私の顔を見ればどれだけ楽しんでいるかは分かります。……ある意味、貴族の社交界とは対極の場所ですね」




 誰もが本音を晒して、今を楽しんでいる。ワインを飲みながら腹の探り合いをする食事会よりもよっぽど楽しそうだ。


 私の言葉を聞いて、トーマスは嬉しそうに笑った。


 


「この店は、俺の親父が始めたんだ。あの時はちょうどこの辺の開拓のために多くの移民が来ていてな。子どもながらあの光景はよく覚えている。開拓は決して楽な仕事ではなかった。けれども、みんながここに街を作るんだっていう熱気に溢れていた。親父はそんなみんなの束の間の休息の場になれば、ってこの店を始めたんだ」


「お前は本当にその話をするのが好きだな」




 見れば、ギルバートは少し頬を緩めていた。




「当たり前だろ? それで……」


「トーマス! お客さん相手に長々と語らない!」




 いつの間にかトーマスの背後に回っていた女性が、彼の後頭部をはたいた。




「イッテえ……ケティ! 店長を殴るとはどういう了見だ!?」


「仕事しない店長なんて殴られて当然でしょうが! あんたも皿片づけなさいよ!」


「はあー!?」




 ああ、見覚えがあると思ったら未来視で視えた女性だ。男に腕を掴まれていた彼女。トーマスが命を懸けても助けようとした相手。




「店長の長話には付き合わなくていいですよ。どうせ『俺は親父から継いだこの店をずっと続けていくんだー』って言いたいだけですから」


「いいだろ別に! ケティの幽霊話の数倍マシだ! なにが森に古くから住まう亡霊だ。誰もそんなの見たことないだろ!」


「はぁー! いいのよ別に。トーマスが信じないなら、私は知らないからね。あんたが明日の朝に無残な死体になってても!」




 口を挟む暇がないほどの会話の応酬だった。


 目を丸くしている私に、ギルバートがこっそりと教えてくれる。


 


「あの二人は幼馴染なんだ。どっちも恋心があるくせにどっちも踏み込む度胸がない腐れ縁。この街ではこいつらが付き合うまでどれだけかかるか賭けが行われている」


「ちなみにどんな風に予想されているんですか?」


「『明日付き合う』が一番人気だ」


「ふふっ……」




 話の内容よりも至って真剣な表情でそんなことを言うギルバートに思わず笑ってしまう。


 


「だいたいトーマスは可愛い私のおかげで客引きができてることにもっと感謝するべきなのよ! あんたの料理の腕じゃあこんなにお客さん来ないからね!」


「りょ、料理はまだ練習中だからしょうがないだろ! ていうかケティだって知らない怖い見た目をした客が来たら俺の背中に隠れるだろ? ギルバート様が初めて来た時なんて、お前『ヤバい、10人くらい殺してそうな目の人が来た!』って騒いでただろ!」


「おい、それは初めて聞いたぞ」




 少し目の力が抜けたギルバートがポツリと呟く。地味にショックを受けている様子がなんだか可愛くて、口角が上がってしまう。




「ふん、トーマスなんて明日の夜には大蝙蝠様に血を吸われてミイラよミイラ。あんたみたいに口悪い奴が真っ先に狙われるにきまってる!」


「そういう罰当たりなことを言うケティは大丈夫か? 最近俺の料理食べすぎだけど太ってないか?」


「ちょっ……あんた乙女にそれは言わないでよ! 反則よ反則!」


 


「エレノア。騒がしいのは苦手か?」




 ぼんやりと二人の掛け合いを眺めていると、ギルバートが私に話しかけてきた。




「いえ、慣れないというかなんというか……でも、嫌な気分はしないですよ。楽しそうな人を見ているとこっちまで楽しくなってくるんですね。……久しぶりに思い出しました」


「エレノア……」




 王城にいた頃は、心からの笑顔で会話をすることなんてほとんどなかった気がする。


 いつも腹の探り合いばかりして、相手を威嚇する笑顔ばかり。貼り付けた笑顔は、自分の心まで冷たくしていくようだった。




「久しぶりに本音で話す人たちに囲まれました。それで思い出したんです。世界にはこんなに楽しいことがあったんだって。人っていうのはこんなに美しかったんだって。視界が開けたというのはこのことを言うのでしょうね」




 未来まで見通す私の眼。しかし私は、肝心の今ここいいる人を見ることができていなかったのかもしれない。




「王子の婚約者という重責を負ったお前は、嫌なことばかり直視しすぎたのかもしれないな」




 抑揚のない言葉は、どこか温かみがあった。


 


「そんなに気張る必要はない。適当でも案外生きていける。少なくとも俺はそうだ」


「……ありがとうございます」




 小さく答えて、トーマスたちの方を見る。飽きもせずにずっと言い合っている二人。しかしその瞳には、お互いへの信頼が映っていた。




「私が本当に助けたかったのは、ああいう方々だったのかもしれません」


保身しか考えていない人間でも、醜い情欲に突き動かされる人間でもなく、ただ毎日を必死に楽しく生きている人間こそ、私の未来視で助けたい。




「助けたいです」 


「ああ」




 未来において傷つく二人を、助けたい。王国のために尽くすとか関係なく、目の前の二人を助けたいと素直に思えた。

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