第10話ウェンディ
ウェンディの街には、日が落ちる前に到着した。
ここまでずっと二人の人間を乗せて走ってくれた名馬、ノブレスを労う気持ちを籠めて撫でる。
彼は気持ち良さそうに目を細めて私の手を受け入れた。
「珍しいな。ノブレスが俺以外の人間を受け入れるとは」
「そうですか? 少なくともギルバート様よりは素直でいい子に見えますけど」
「おい、どういう意味だ」
ギルバートは人に頭を撫でさせるなんて決してゆるさなそうだ。
その点ノブレスの方が可愛げがある。確かに気位が高そうだが、根は素直なことが推測できる。
「それにしても……大きな街ですね。ホークアイ領はもっと森と村ばかりだと書物には書いてあったのですが」
私の視界の先には、未来視で視えた街が見えていた。立ち並ぶ飲食店や商店。その間に立ち並ぶ住居。
「それは随分前の話だ。俺の祖父が森の開拓と街の建設を進めたからな。ウェンディはその時に発展した街の一つだ」
「なるほど……地理的に離れていることもあって私の情報は遅れていたようですね」
ずんずんと前に行くギルバートの後ろについて歩く。その足取りに迷いはない。
「どこに向かっているのですか?」
「お前の言うトーマスのところだ。直接会って顔を見ればこの街が襲撃されるという未来の推測が正しかったことが分かる」
ギルバートが行きついた先、酒屋は私にとって見た覚えのある景色だった。
「ここは……たしかにあの未来で燃えていてた店です」
そう語っていると、店の中から誰かが出てきた。
「あれ、ギルバート様。今日は何用ですか?」
「トーマス」
それは確かに、あの時未来視で視た男性だった。人の良さそうな顔と、ひょろひょろした体つき。
やや頼りなく見えるが、優しそうなので悪い印象は抱かない。
「……強制開眼」
男性――トーマスに視線を合わせて未来視を一瞬発動する。
以前視た景色が視えた。燃える店。囚われた女性。殺されそうな男性。
負担を考えてすぐにやめる。情報を確定させられれば十分だ。
「ていうかギルバート様が女性と一緒なんて珍しいじゃないですか! どうしたんすか? 女嫌いじゃなかったんですか?」
「別に女なら誰でも嫌っているわけじゃない」
「そうっすか? うちの酒屋に来た時、どんなに可愛い女の子にもなびかなかったじゃないですか。みんなギルバート様にメロメロだったのに」
「俺の顔と地位が好みだっただけだろ。誰も本気じゃなかったから俺も適当にあしらった。それだけだ」
「……」
……ギルバート様はここで女の子とお酒を飲んだのか。なんだかモヤモヤするな。
「ギルバート様。辺境伯ともあろうものが大衆のいる酒屋で飲むとは何事ですか。誰かに酔ったところを襲われたらどうするつもりですか」
「飲んでないぞ。そもそも俺は酒は飲めない。年齢的にな」
「えっ!? 未成年だったんですか!?」
「ああ。お前とは同い年だ」
大人びた態度だから、普通に5個は上かと思っていた……。
私が驚いていると、トーマスがニヤニヤ笑いながらギルバートに話しかけた。
「あれー? ギルバート様。もしかして俺のせいで修羅場ですか? いやあ、孤高の辺境伯様にもついに春かあ。結婚式の時には呼んでくださいね。俺たちウェンディの街の住民が総出でお祝いしますよ!」
「まだ婚約者だ」
ギルバートの言い方には照れが少しもなかった。少しくらい動揺した方が可愛げがあるのに。
「婚約!? マジで結婚するんですね! これはみんなにも報告して祝ってもらわないと! ささ、中に入ってください!」
「いや、私たちは……」
平民の酒場なんて入ったことがない。貴族が酒を飲む場に居合わせたことがあるが、こういうのは初めてだ。
「エレノア。情報収集をしたい。俺は酒場で話を聞く。お前は自由にしていいぞ」
「……いえ、私も行きますよ。一緒にこの件を解決するって言ったじゃないですか」
私が少し怯えたのを察したらしい。ギルバートが気遣ってくれたが、私としてはこんなところで丸投げする気はない。
店内に入った途端、ガヤガヤという話し声が耳に入ってきた。店内には10人以上いるだろうか。男女様々な平民たちが食事をしたり酒を飲んだりしている。
やや威圧感を覚える。あまり馴染みのない雰囲気だ。
「ぎ、ギルバート様。なぜこの人たちは昼間からお酒を飲んでいらっしゃるのでしょうか?」
「今日は休みなんだろ。珍しいことじゃない」
「そ、そうなのですか……」
お父様もお母さまも、お酒を飲むのは夜に少しだけだった。
もし仮に昼間からお酒を飲んでいたらおばあ様が鬼のように怒ったことだろう。
そんな風に思っていた私は、やや周囲への注意が足りていなかったらしい。
「おお? ご令嬢様か? おーい、一緒に飲まないかー?」
「ひゃっ!?」
だいぶ酔っているらしい、顔を真っ赤にした男性が席からふらふら立ちあがり、私の元へと近寄ってきていた。鼻に届いてくるキツいアルコールの匂い。
あまり接したことのないタイプの人に、どう対処すればよいのか分からず戸惑う。
「おい、飲みすぎだぞ。大人しく座っておけ」
しかし私と男の前に自然に割り込んだギルバートが、男を制止した。目の前に立ち塞がった大きな背中に、鼓動が跳ねるのが分かる。
「お、おお。悪い悪い」
ギルバートの鋭い視線にたじろいだ酔っ払いの男がすごすごと元の席に座る。
「ぎ、ギルバート様。ありがとうございます」
「別に。当然のことをしたまでだ」
ギルバートは私の方を見ずにぶっきらぼうに返事をした。
――ああ、これじゃあ本当にヒーローみたいじゃないか。私が困っているところに手を差し伸べてくれる人。そんな都合の良いものは存在しないと諦めたはずなのに、期待に胸が高鳴る。
「おお。なんだかいい感じじゃないですか、ギルバート様。意外と初々しいですね」
「やかましいぞトーマス」
「おお、目こわ。まあ、カウンターにでも座ってくださいよ。何か話したいことがあったんでしょう?」
カウンター席にはほとんど人がいない。トーマスはカウンターの奥に入っていくと、私たちに席に着くように促した。
「エレノア。あいつに話してやってくれ」
「はい
少し考える。平民に対して未来視がどうこうと言って信じてもらえるとは思えない。
「革命戦線という盗賊団がこの街を襲撃しようとしているという情報がありました。私たちの情報では、少なくとも一週間以内に動きがあると見ています」
「革命戦線、ですか……名前は聞いたことがあります。最近このへんで暴れている盗賊団だとか。ギルバート様が出てくるほどの案件だったのですか?」
「ああ。うちの騎士が手を焼いている。早いうちにここに人員を集めてここで解決するつもりだ」
「……それはそれは。街のみんなに伝えますか?」
トーマスの顔は真剣だ。声も少し小さくなる。
「全員が避難できるならいいが、革命戦線の目はすでにこの近くにあると考えていいだろう。変に避難しようとすれば、その道中を襲われる可能性がある。それに隣街まではかなり距離がある」
ギルバートも声を小さくしている。
彼の考えを聞いた私は懸念点について尋ねる。
「しかし、この大きな街を守るとなればいくら騎士を集めるといっても難しいのではないですか?」
「この土地の奥は大きな川だ。そこにかかる橋は一つしかない。守るのに適した土地だな」
「川のこちら側に盗賊が潜んでいる可能性は?」
「ほぼないだろう。ノブレスの上から観察していたが、生活跡がどこにもなかった」
馬上から眺めただけでそんなことが分かるのだろか……? しかしギルバートの言葉に迷いはなかった。
「盗賊団が拠点としているのは川の奥にある廃墟だろう。開拓時代の名残だな。もっとも、正確な情報はエレノアの力を借りて調査するべきだろうな」
ギルバートは私の目を一瞬見る。彼は未来視という言葉を出さなかった。私が力についてトーマスに話すのを躊躇ったのを察してくれたのだろう。
「ええ、もちろんです。私の力は遠慮なく使ってください」
私たちの様子を見たトーマスが、楽しそうに口を開いた。
「なんだか、二人は相性がよさそうですね。なんていうか、阿吽の呼吸? 会話のテンポがいいですね」
「そうか? まあ頭の回転が速いから話が早いやつではあるな」
「ギルバート様は無駄な会話をしたがらないですよね。実利実利って感じで、なんだか会話している人は疲れそうです」
「む……そんな自覚はなかったが」
後頭部に手を回すギルバート。 少し困った様子が堂々としている彼らしくなくて、新鮮な気分になる。
「ふふ……ただでさえ見た目が怖いのに、そんなぶっきらぼうな話し方をしていると相手が怯えてしまうのではないですか?」
「……ああ、図星だな」
「おお、いいぞお嬢ちゃん! もっと言ってやれ!」
トーマスが囃し立てる。それを聞いたギルバートは、絵に描いたような仏頂面をした。
「俺が怖がられるのは正しい反応だ。上に立つ人間だから、変な親しみを覚えられても困る」
「またそれですかー? 本当に変なところだけお貴族様なんですからー」
突き放すような言葉も、トーマスはからから笑って受け流すだけだった。
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