落第中年 Invisible game ②

 財友聯合会はPOT(public of Toei)の大企業群、約160社により構成される経済団体である。


 政界への献金を通じ国内の政策決定にも大きな影響を与えている。

 その中でも世界最大の鉄鋼生産量を誇る暮光重工を擁するコングロマリット、暮光グループは同会の代表的存在であり、その代表である川崎氏が会頭となるのも自然なように思える。

 一部の国民からは政府による「法の支配」に対し、暮光による「金の支配」が国を蝕んでいる、と揶揄されることもあった。


 そんな経済界の大物が、一庶民松野の眼前に座す。

 肩幅は松野二人分ほどになろうかというもの。

 着物袴姿にも関わらずハッキリと分かる胸板の厚さ、首元から溢れんばかりの僧帽筋。

 これだけでも、川崎という男が精強な人物であることを示している。


 その背後には漆黒のスーツを着用した、川崎と同様屈強な二人の従者が、いずれも右手にブリーフケースを携えて直立していた。


 応接室の黒い革製ソファに、どっかりと巨躯が沈み込んでいる。

 その一方で、対面の小男松野は借りてきたネコのように川崎の発声を待っていた。


「松野...」

「あっ、はい」

 川崎の呼び掛けに松野は間髪入れず応答した。


「君が、松野隆雄君だね?」

 巨体に似つかわしい、地の底から響くような低音が響く。

「はい。事務主査の松野と申します」

 松野は川崎の方を薄目で見ながら言った。


「私のことは知っているね?」

「勿論存じ上げております。貴方は暮光グループの会長、川崎信之様です」

「なら話が早い。松野君、私はある人物を探していてね」

「はぁ...」

 川崎は松野の間伸びした返事を気にも留めず続けた。


「その人物の居所を君が知っているのではないかと思って訪ねてきたのだ」

「はぁ...」


「その人物には数々の異名があってね」

「ほうほう...」

「本邦では王國の守護者、魔弾、オーストリア二重帝国では魔王トイフェル、ヴェスプティアにおいては誇りある名無しプラウドネームレス、仏では恐るべきものセトゥリーヴル、大陸では鬼怪グェイウー...とにかく各国の従軍した人間で知らぬ者は居ないほどの人物なんだが」


「はぁ...そうなのですか」

 松野は再度間伸びした声を発した。


 次の瞬間。

「貴様ァッ!!先程から聞いておれば...会長に失礼であろうが!!」

 後ろに控えていた従者の一人が叫んだ。

 松野の態度が、彼らの主人を軽んじているように感じたのだろう。


「あら...何か気に障られましたか?」

 松野は咄嗟に立ち上がった。

 その刹那。

 

「オイ!!」

 従者二人のブリーフケースは中腰の松野へ向けられた。


 両手で支えられたケースには側面に1.5センチ程の穴が空いている。

 また提げ手には鉤状の機構、つまり引金が設けられていた。

(63式機関短銃コッファー内蔵型、それが従者二人が構える得物の名称である。)

 装弾数は6ミリの拳銃弾を30発。

 要人警護の際、威圧感を与えないよう開発されたケース収納型火器。


「山元ォ!神田ァ!!やめぬか!!」

 川崎は殺気立つ二人を叱責した。

「し...しかし、会長!!」

 先程松野へ怒声を飛ばした従者が川崎に目を向けながら抗弁しようとする。


「...お前達では、この御仁には到底敵わぬよ」

 川崎はポツリと呟くように言いながら、右手を挙げて二人を制した。


「はっ?...ははぁッ!!」

 二人の従者は川崎に気圧されると同時にケースを下ろした。


「...」

 松野は言葉を発することなく着席する。


「失礼します...」

 同僚の藤野がノックの後、うやうやしく入室してくる。

 盆にのせられたカップは施された装飾がいやに目を引き、形が複雑すぎてアンバランス、重心からして人間工学に基づいていないことが一目で分かる。

 それでも恐らくここにある備品の中で最も高価なモノなのだろう、と松野は思った。


「御茶なんていいのに...君、ありがとう」

 川崎はそう言いながら、人差し指と中指で持ち手を掴み紅茶を口に含んだ。


(体躯に似合わず、器用なことだ)

 松野はそんなことを考えた。

 と同時に、川崎の後ろに控える二人(山元と神田)が屈んだ藤野の豊満な臀部や胸部に視線を移した一瞬を、松野は見逃すことができなかった。


「フフッ」

 南無三しまった、松野は堪えきれなかった。

「何が可笑しいのかね?」

 川崎は松野の顔を覗き込む。


「いえ...お二人とも護衛としては、あまりにもお粗末なものだなぁと思ったもんですから」

「何ぃッ!?」

 従者達は、またもケースを松野に向けた。

「やめぬか!」

 川崎からの本日二度目の叱責。


「はっ...申し訳ありません」

 二人は同時に謝罪の弁を述べる。


 藤野は一瞬ビクッと反応したものの、すぐに松野へ目配せした後、一礼し退室した。

「すまないねぇ、松野君。」

 川崎は松野へ膝に手をつきながら頭を下げた。

「いえ...私もお二人に失礼なことを申し上げました」

 松野は張り付いたような笑みを浮かべながら言った。

「いやいや、この者たちは私が再教育をしておくから...まぁ君が何も知らないなら仕方ない」


「今日のところは、お暇するよ」

 そう言って、川崎と従者達は去っていった。


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