第9話 建前

「さて、貴女が本当に葉術を知らないということはよくわかった」

 宇津が肘をついて語る。先ほどの驚きようを見れば葉術方面についてはまったくの無知であることは明らかだった。

 佐保は同意の意を込めてこくこくと首を縦に振った。これで何某かの誤解が解けるのであればそれに越したことはない。そんな佐保の様子を見て、宇津は眉を下げて微笑んだ。ずいぶん素直な反応をする娘だ。

 で、だ。宇津は口を開いた。

「葉術の件はひとまず置いておこう。典葉寮の管轄下にあると分かれば刑部も御史台も手を出す必要はなくなるし、まずは建前の方をこなしてもらわないといけないからね」

「建前……陛下に『春霞』を献上すること、ですか?」

 刑部、御史台……なんだかとんでもない名前が聞こえた気がする。

 それを一旦頭の隅に置いて、佐保は都に上がったもともとの理由を思い返した。葉術云々の話ですっかり流れてしまったのかと思っていたが、その話もまだ生きていたらしい。

「そうそう。正確には『陛下のために貴女の腕を揮うこと』だね。即位されもうすぐ一年――記念の式典が開かれるからそれに向けて特別な衣装を準備したいということなんだよ」

「そ、そんな特別な衣装を、私がお手伝いするなんて恐れ多すぎます……!」

 佐保は愕然として、慌てて悲鳴に近い声を上げた。

(きっと偉い方がたくさんいらっしゃるに違いないわ……。そんな方々の前で、自分なんかの織った布の衣装を召されるなんて)

 あまりにも場違いすぎる。『春霞』はあくまでも田舎のとある村の特産品、ちょっと小金を稼いで村の助けになる程度の品に過ぎないのだ。

「だめだ。葉術を使って作られた布なんてそうそうないんだからね。あんなの国宝級だよ」

 またしても宇津の口から出てきた「葉術」という言葉に佐保は泣きたくなった。

「ですから、葉術なんて身に覚えがないんです。困ります……」

「貴女はいつまでそう言い続けるつもりなんだ」

 苛立たし気な玉葉の言葉がさらに佐保を追い込んだ。

「いい加減になさい、玉葉。……佐保、玉葉は貴女に葉術の素養があるとずっと信じて気に掛けていたんだよ。信じていたから、いまの貴女の様子が気に入らないんだ」

 宇津の言葉に思わず玉葉に目を向けると、玉葉はきまりが悪そうに視線を逸らした。

(ずっと、ということは、あの春の日から私のことをずっと気にかけてくださっていたということ……?)

 あの時の「雪白の君」がずっと気にかけてくれていただと思えば、心が浮き上がるような気持ちだった。けれど、目の前の「玉葉」を思うと、なんだか純粋に喜ぶことはできないような気もする。

「そういうことだから、しばらく佐保の世話は玉葉に任せるよ」

「な……! 食客として宮城に留め置くのではないのですか?」

 宇津の脈絡のない「そういうことだから」に玉葉は顔を撥ね上げた。

 佐保の方も話の流れについて行けず、眼を白黒させる。旅の途中は宿に泊まっていたから考えたこともなかったが、これからの王都の生活がどうなるのかは大きな問題だった。

「お前が唾つけ――んん、眼をかけておいたコなんだろ。他に手出しされも困るし、お前が面倒みるのが筋じゃないか」

“筆”を贈ったんだろ、と宇津が付け足すと、玉葉は抗議のために開いていた口を噤んだ。

「……わかりました」

 まだ言いたいことがありそうな様子だったが、玉葉は渋々と頷いた。

 そうして、不機嫌そうに佐保に目を向けた。

 どうやら、決まってしまったらしい。

「貴女は私の邸で預かる」

「よ、よろしくお願いします……」

 まったく歓迎の色のない言葉に、佐保は身をすくませながら頭を下げた。

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