第8話 百聞は一見に如かず

 回廊に出た佐保は宇津の後ろをついて歩いた。佐保の後ろには玉葉が続いている。

 回廊の両脇には美しい庭園が広がっていた。よく手入れされているのか、見たこともない花々が鮮やかに咲き誇っていた。

(……やっぱり、村とは大違い。どこもかしこも整っていて、綺麗だわ)

 緊張した面持ちで辺りに視線を向ける佐保に、宇津は小さく微笑んだ。

 葉術というのはね、と口を開く。

「言の葉を操る力だ」

 佐保は首を傾げた。

「それは、話術が巧みだとか……そういう理解で正しいですか?」

 佐保の純粋な疑問に宇津は小さく唸った。

「その理解は間違ってはいないが……もっと本質的なもので、世界を変え得る力なんだ」

 どう説明したものかと考えあぐねた宇津は、ぴたりと立ち止まった。

「百聞は一見に如かず、というからね」

 ごらん、と宇津はその繊手をまっすぐと頭上の枝へと伸ばした。

 佐保は言われたままに、すらりとしなやかに伸ばされたその人の指先に視線を遣った。

 指の先には真白なつぼみが膨らみ、いくつかは柔らかくほどけていた。

「あの花の名前、知ってる?」

 佐保はふるりと小さく首を横に振った。だ。

「いえ、存じ上げません」

 そう、と宇津はゆっくりと口を開いた。

「あの花はね、『白木蓮』だ」

 宇津の意図が分からず、佐保はただ頷いた。これからいったい何が始まるのだろう、と少し胸がときめく。

「春に咲く花だ。佐保、貴女の世界は今日から『白木蓮』がたくさん咲く世界になる」

 さあ、戻ろう。

 宇津は満足げに微笑むと、もと来た道を同じように戻っていく。

(もう術をかけたということ……?)

 よくわからないままに、佐保は宇津の後ろをついて歩いた。

「あの……葉術というのは?」

「もう掛かっているはずだ」

 宇津の言葉に佐保は戸惑った。

(別段変わったところはないようだけど……)

 狐につままれたような気持ちで、宇津の後ろを歩く。

 高貴な方の考えることはよくわからない。

(私が『葉術』を使ったなんてやっぱり間違いなんじゃないかな)

 「何かが起きている」ことにも気づけていないのに。それなのに、こんなところまで来てしまった。心細くて、自然と視線がつま先に落ちた。

「まだ分からないのか」

 佐保の後ろで玉葉が大きくため息を吐いた。思案に暮れていた佐保はびくりと肩を揺らした。

「そんな風に下ばかり見ているから分からないんだ。顔を上げて周りを見てみろ」

 玉葉の言葉に恐る恐る顔をあげて、佐保は言葉を失った。

 そうして、宇津や玉葉の言葉の意味を知った。

 回廊のと回廊の間、色とりどりの花の中に、ひときわはっきりと、そしてぼんやりと白いひかりを湛えて花がほころんでいた。

 どこに目を遣っても、ぽつりぽつりと世界の端にほの明るい白が主張する。

 それは、これまでの佐保の世界にはないひかりだった。

(あの花――『白木蓮』、こんなに咲いていたの? それとも、いま咲いたということ――?)

 すごい、と思わず感嘆の言葉が漏れ出る。

 何が起きたのかは分からない。分からないけれど、世界が輝いて見えた。

「葉術をもってすれば、世界が変わる。貴女の世界はもう、『白木蓮』の咲く世界だ」

 玉葉はすぐそばの白木蓮の一枝を手折って佐保に差し出した。

 ほんのりと光を放つその枝に手を伸ばす。

 どきどきと、胸が高鳴った。

 宇津のわすかな言葉だけで、確かに、佐保の世界は変わってしまったのだ。

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