第5話 運命の別れ途②

「佐保、少しいいかい」

 その日も、風の強い日だった。花散らしの強い風が吹き荒れていた。

 山小屋に籠る佐保のもとに、珍しく村長が幾人もの村人を連れ立って訪ねてきた。

「おじい様、どうかしましたか?」

 おじい様、と呼ぶけれど、血縁関係はない。村長は佐保の育ての親だ。

 機織りの手を止めて立ち上がった佐保はそっと村長の顔色を窺った。

「急いで出来上がっている布をもって降りてきなさい。都からの使者だ」

「都……州都ですか? 布の仕入れの話でしょうか」

 州都の商家や州牧らからの使者が訪れることはたびたびだった。

 普段ならば嬉しそうな顔をする村人たちなのに、今日はどこか焦った様子なのが気にかかった。

「いや、国都の――それも王城からだ」

(こんな山奥に――!?)

 突然のことに、佐保は驚いて、大急ぎで小屋の中の布の選別に取り掛かった。



 急ぎ足で村長の家に向かうと、邸の前には豪奢な軒が停まっていた。

 これまでの州都からの使者とは比べ物にならない。

「『春霞』の織り手は貴女ですね」

 丁重にもてなされた使者は、出されたお茶に一切手を付けることなく、布を検分すると毅然とした声で佐保に語り掛けた。

 温度を感じない声音にびくりと肩を揺らし、佐保は小さく肯定した。

「春の姫神の逸話を流布したのも貴方ですか」

 佐保は同じく是と答えた。畏怖で声が震えるのが分かった。

「陛下が『春霞』に大変興味をお持ちです。今すぐ、最上級のものを持って参上するようにと織り手にお召しがかかっております。その腕を陛下のためだけに揮っていただきたい」

(陛下からのお召し……!)

 つまり、これは勅使である。

 邸に集まる人々の間に、ざわめきが広がった。辺鄙な村に都からの使者を迎えること自体が異例であるというのに、村の者に直接召喚がかかっているのだというのだ。

(どうしよう。都なんて、私……)

 佐保自身もかつてないほどに動揺していた。田舎の、それも山小屋に引きこもって生きてきた彼女にとって都というのは異世界のようなものだった。都に召喚されたということは、そのまま宮仕えをするということも考えられる。答えに窮してちらりと村長に目を向ければ、村長の方も視線をあちこちにさまよわせていた。

「あまりに急なお話ではありませんか。この村は州府に任されたこの娘の生業――それこそ『春霞』が生活を営む糧となっております」

 それを連れていかれては、と何とか口を開いた村長は眉を下げた。

「州府との話もついていますし、ただでとは申しません」

 使者は従者に何かの布包みを取らせると、それを村長に渡した。

 村長が包みを開けば、先程までとは違うどよめきが広がった。

「しめて金600貫。州府からの徴税は向こう十年は四割にとどめることを約束しましょう。これでいかがでしょう」

 村長はもったりとした瞼をこれでもかとないぐらいに押し開けて輝く金貨を眺めた。

 これ以上ないほどの厚遇。――でも、これでは人買いと同じではないか。

(おじい様、私を手放すなんて言わないですよね……?)

 佐保は祈るような気持ちで村長を眺めた。

「またいつか」にほのかに期待して、大切に囲いの中で暮らすのも決して嫌いではなかった。愛情と打算がないまぜになった村人の優しさだって、苦い思いはあるけれど感謝していた。知らないところへひとり売り払われてしまうよりはずっといい。

 そんな佐保にほんのわずかも視線をくれてやることなく、村長は風呂敷の中から視線を使者に移した。

「ええ、これならば向こう数十年は暮らしていけます」

 佐保、行ってくれるだろうね。

 村長の言葉に、佐保は小さく唇を引き結んだ。邸に集まる村人たちも、誰も引き留める者はいなかった。

(私、おじい様に売られたんだわ……)

 それでも、これだけのお金があれば村は困らないだろう。

 育ててくれた村人のためになるのならば。佐保は小さく、是、と答えるほかなかった。


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