第4話 運命の別れ途
「佐保、こちらの布はもう乾いているようだから持っていくわね」
「ええ、よろしくお願いします」
佐保に声をかけたのは村長に仕える侍女たちだ。彼女たちは佐保の生活の手助けをし、佐保の織りあげる紗の管理もしてくれていた。
「いつもこんな山奥まで取りに来ていただいてすみません」
「いいのよ、あなたのおかげでこの村は生活できているのだもの。あなたに何かあったら大変だわ」
彼女たちは親切にもそう答える。彼女たちが佐保に感謝しているのは真実だった。
特筆した特産品もあるわけではないこの山間の村は、州府にも関心を持たれない、そんなあってもなくてもよいちっぽけな村だった。貧しさに飢え、税を納めるのにも苦労した。――それもほんの数年前までの話である。
「あなたが『昔話』とともに語り売りを提案してくれてから、本当に豊かになったわ。今は州府直営の手仕事を任されているのだもの」
あなた以外にもこの布を織れたらいいのだけどねえ、と彼女はため息を吐く。
そんな彼女に、佐保は曖昧な微笑みを返すしかなかった。
(あの時とは大違いだわ。本当に語り売りを提案してよかった)
もともと、佐保の織る布は知る人ぞ知る布だった。纏うだけで暖かく、晴れやかな気持ちになれる。近くの村での祝い事で稀に望まれるような、そんな程度のものだった。
村長に囲われて、わずかな利益を生むために、佐保は小さな手で機織りを続けていた。
三年前だったか、いつもよりも随分と暑い夏のあと、村の作物の収穫はいつもよりもうんと少なくなった。こんな年はいつもよりうんと寒い冬が来るだろうと、村の年寄りたちは口々に不安を口にしていた。
例年にない飢餓と迫りくる納税の期限に大人たちが頭を悩ませていた。大した利益を生むわけでもないのに、村の作物を平気な顔で消費することが許された村長のお気に入りを厭う大人たちはそれを隠さないようになっていた。……口減らしを訴える大人や若い女を花街に売ってしまおうと唱える大人も現れ始めた頃だった。
秋の深まった晩だった。幼い佐保は山小屋を訪れた、鉈と麻縄を持った大人たちに突飛な提案をした。
たくさんの桜色の布を抱えて、涙声で彼女は訴えた。
「私の布を売るときに、このお話を一緒にしてくれませんか」
――外つ東の島国に、春を呼びたもう姫神がおりました。
国を凍える風が覆ったとき、飢える民は争い、多くの禍が民を苦しめました。助けを求める民は姫神に祈りを捧げました。
彼女は霞の糸を撚り、あたたかな春の陽気を織りあげて、凍える国を覆います。そうすると、うらうらとした空気が国を満たし、山々は鮮やかな花の色に色づき、禍は雪が解けるように、ゆっくりと消えていったのです。
彼女が語ったのは、「東国の春の姫神」の話をなぞったものだった。
それは、佐保が生み出した精一杯の知恵だった。
(『春の姫神』と同じ名前の私が織った布――逸話を知る人がいれば、きっと物珍しいと思って買ってくれる人が増えるはず。なら、私が逸話を広めれば……)
それで何になるのかと半信半疑の大人たちを押さえ、試してみるように促したのは村長だった。『春霞』と名付けた布の語り売りを街で行うと、不思議と布は飛ぶように売れた。
春の姫神と同じ名の「佐保」が織る『春霞』は世の語り草となり、その噂は瞬く間に州都、州外にまで届いた。本格的な冬を迎えるころには、村はおおいに潤うことになった。
話はそれだけにとどまらない。佐保が提案した語り売りは好評を博し、逸話につられたのか、薄絹一枚であたたまるという噂までついて、ついには佐保のちょっとした期待を大きく超えて『春の姫神の加護の付与された幸運の布』などという恐れ多い価値まで付与されてしまった。それに加え、佐保の織る布は特殊な技法で染め上げられていた。佐保にしか創ることができないそれは当然流通量が少なく、希少価値も高くなる。
いつの間にか高値で取引されるようになったそれを『適切に』管理するために州府の手仕事として『春霞』の生産は村に任され、村は安定した供給を得て、長期的に見ても難を逃れることになったのだ。
(『雪白の君』との会話から着想を得たのだけれど、こんなに有名になってしまうなんて思わなかったわ……)
今や佐保は、村を豊かにしてくれる大事な金の卵となったのだ。いや、金の卵を産み続ける籠の中の金の鶏となったのだ。
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