第9話「YOUはどうして異世界へ?~弓宮琴羽の場合~」
流れるそよ風が、私の髪をなびかせる。
爽やかな清涼感を頬で感じながら、私は目を開いた。
目の前に広がるのは、異国の庭園。
私はその一角に据えられたベンチに座り、その風景をじっくりと見回した。
人工物と植え込みの緑が、製作者の意図によって緻密に配置された無人の箱庭。
何を意図して作られた庭園なのか。ゆっくり眺めながら思索すれば、きっとこの国の美的価値観に触れられるかもしれない。
だが、今の私の目的はそこにはない。
庭園の静けさに包まれながら、私は頭の中を整理する。
「はぁ……せっかく自由になれたと思ったのに」
私がこの世界に飛ばされた理由はきっと、『もっと自由でいられる世界へ飛び立ちたい』と常々思っていたから。
あの家での暮らしに、肩身の狭さを思い悩まされる日々に別れを告げ、自分の人生を生きていきたいと願ったからなのかも。
でも、違う世界にやって来たのに、私は自由になれなかった。
私がこの世界に喚ばれた理由は、魔王という強大な存在を倒すため。そこに私の意思は無かった。
私はただ、自分の人生を自由に謳歌したいだけだったのに……。
だからこうして、与えられた時間の中で頭を捻って考えている。
幸いにも、明日の昼までは猶予があるのだ。
……しかし、なかなか答えは出ない。
もやもやとした感情だけが、吐き出したくなるほどに胸を締め付ける。
空を見上げると、太陽はだいぶ傾き始めていた。
このままだと、あと数時間もしないうちに夜になってしまう。
「どうしたものかしら……」
考えすぎてるせいか、頭が痛くなってきた。
大きく息を吐き出して、深呼吸する。
肺から吐き出された灰色の空気と、中庭を吹き抜ける涼し気な空気が入れ替わっていくのを感じながら、私は空を見上げた。
広がる青空は、元いた世界のそれと変わらない。
いや、元の世界よりも綺麗かもしれない。
そう見えるのは、あちらと違って空気が澄んでいるからなのか。
それとも、私にとってあの世界が窮屈だった事の証左なのか。
「お隣、いいかしら?」
突然、声をかけられた。
驚いて周囲を見回すが、誰もいない。
「あら、ごめんなさいね。こっちよ、こっち」
しゃがれた声が、のほほんとした声音で耳に届く。
声がするのは……足元?
目線を下げると、そこに居たのは……喋る亀だった。
「お隣、座ってもいいかしら?」
老婆の声で喋る亀。頭には毛糸で編まれた小さなニット帽を被っている。
「ど、どうぞ……?」
「どうも」
亀がベンチの端まで移動すると、タイルがエレベーターのように浮き上がった。
亀はそのままベンチの上に登ると、私の隣にちょこんと座った。
座った……って言い方はこの場合、あっているのだろうか?
とにかく、私の隣に来た。
「お嬢ちゃん、悩み事があるようねぇ」
「えっ!?」
「わかるわよぉ。私、年寄りだから」
亀のお婆さんは、私の方へと笑みを向ける。
喋る亀がいたことにも驚きだが、魔法の国ならそういう事もあるかと納得した。
「悩みがあるなら言ってみなさい。口にするだけでも、ちょっと楽になるものよぉ」
「い、いえ……別にそこまで大したものでは」
「このベンチに座って空を眺めている人はねぇ、みんな何かしら抱えているのよねぇ」
亀のお婆さんは、そう言いながら優しく微笑む。
その微笑みにつられてか、私の心は口からぽろりとこぼれ落ちた。
「私の家、両親が厳しくて……」
「そう……」
「勉強とか、習い事もいっぱいあって……」
「えぇ……」
「お友達と遊ぶことも、中々出来なくて……」
言葉にしてみると、止まらなかった。
堰を切ったように次々と溢れ出る想い。
私は、こんなにも我慢してきたんだ。
「こんな家から出て自由に生きたいって、ずっと思っていました。そしたら、この世界に来ていたのです」
「この世界……ってことはあなた、勇者様なの?」
「王様たちからはそう呼ばれました。でも、私はそんなものになった覚えはありません」
「まあ、それはどうして?」
「どうしてって、そんなの決まってます!」
おばあさんの言葉に、自然と語気が強まった。
「私は、自分の人生を生きたいだけなんです! 誰かのために生きるなんて真っ平御免です!!」
「……」
「あっ……ごめんなさい、いきなり大声なんか出して……」
知り合いが一人もいないせいか、思わずらしくないことをしてしまった。
自省しながら、私はおばあさんに頭を下げる。
「いいのよぉ。この庭園では、みんなそうするの」
「みんな……って、この庭園誰もいませんが……」
庭園に入ったときから、庭師らしき人以外は見かけていない。
お城の敷地内にあるのもあって、てっきり一般向けには解放されていないものと思っていたけど、装ではないんだろうか?
「この庭園はね、王妃様が考え事をなされるための場として、手ずから設計なされたの」
「王妃様……って、あの?」
謁見の間で、王様を諫めていた銀髪の女性を思い出す。
王様の印象は最悪だが、王妃様の方には芯の強い印象だ。
「最初は自分のために作った庭園だったのだけど、後で公共施設として解放されたの。今じゃ一人で物思いにふけるだけじゃなくて、愛し合う二人の逢い引きの場としても使われてるみたいよぉ」
私たちの世界でいう植物園みたいな扱いなのだろう。
よく見ると、奥の方には屋根も壁もガラス張りの建物が見えた。
「今日は閉園なんですか?」
「……いいえ。今日も、って言うべきねぇ」
おばあさんの表情が少し曇る。何かあったのだろうか?
「魔王のせいよ。凱旋祭の日、魔王とその尖兵たちが街をめちゃくちゃにしちゃってねぇ……」
「そんなに酷かったんですか……」
「そりゃあもう、酷い有様よ。他の魔獣を抱えた空を飛べる魔獣たちが、城壁を越えてきたの。家を焼かれたり、お店を壊されたり……家族を失った人もいたわ」
私は城の外を見ていないが、凄惨な光景だっただろうことは想像できた。話を聞くだけで胸が締め付けられるような感覚を覚える。
そんなことを平然と行える魔王とやらは、どれだけ悪辣なのだろうか。
「あの日から2週間、この庭園には誰もこなくなっちゃったの。みんな、家の修理や家族の弔いで、考え事してる暇なんてないみたいねぇ」
「……」
私は黙って俯いた。
もし私がその状況に置かれたら、どうなるのだろう?
考えるまでもない。きっと、何も考えられないまま呆然自失としているに違いない。
自分と家族の生活を優先して、それ以外のことをゆっくり考える余裕なんてなくなってしまうだろう。
「魔王軍が奪っていったのは、命だけじゃない。きっと、私たちの“自由”も奪われちゃったのね」
「自由……」
その言葉に、私の思考は最初に戻る。
私が何故、勇者としてこの世界に喚ばれたのか。
おばあさんから聞かされたこの世界の現状は、あまりにも理不尽だった。
自分の意思を踏みつけられ、誰かの都合に縛られた生活。
やるべきことから解放され、やりたいことに時間を費やせるささやかな幸福。それを摘み取られる息苦しさ。
その苦しみを、私は誰よりも知っている。
そして、この国の人々を苦しめているのは魔王で、その魔王とやらを倒すのが私の使命らしい。
つまるところ、この国の人たちは今の私と同じ思いをしているわけで。
その原因は魔王の存在というわけだ。
「おばあさん、ありがとうございます」
「あら、何かわかったの?」
「私のやるべきことが、見えた気がするのです」
私は魔王を倒す。だけど、それは勇者としての使命だからじゃない。私の個人的な感情だ。
私は私の人生を生きるために。そして、この世界の人たちに自由を取り戻すために戦うんだ。
「それは良かったわぁ」
「ありがとうございます。おかげですっきりしましたわ」
「どういたしまして」
ベンチから立ち上がり、おばあさんに深く頭を下げる。
おばあさんはにこにこと、優しい笑顔を向けてくれた。
「それじゃあ私はこれで……」
「またいつでも来てねぇ。えっと……お名前、なんだったかしら?」
前足を振って私を見送ろうとして、おばあさんは思い出したようにそう言った。
「申し遅れました。わたくし、
「コトハちゃんというんだねぇ。覚えたわぁ」
「それではおばあさん、またいつか」
「うん、またねぇ」
私は庭園を後にすると、城の方へ向かって歩き出した。
ふと、庭園の入り口に目を向ける。
そこには、この世界の文字で書かれた看板が立て掛けられていた。
おそらく、庭園のテーマや名前が書かれているのだろう。
「すみません、こちらの看板にはなんと書かれているのでしょうか?」
庭園の入り口で枝を剪定していた庭師に声をかける。
すると、庭師は作業の手を止めて応えてくれた。
「ああ、この庭園の名前ですよ。『解放の庭』と書かれています」
「まあ……素敵なお名前ですね」
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