第8話「YOUはどうして異世界に?~木丈真魚の場合~」
後ろ手に扉を閉じると、部屋に充ちる紙の匂い。
これを吸い込む瞬間が、一番落ち着く時だと私は思っている。
目の前に広がっているのは、いくつもの本棚が並んだ部屋……図書室だ。
今の私は、とてもワクワクしている。今すぐ走り出したくなるくらいにだ。
だってここには、私の知らない知識がこんなにも収められているのだから。
一番手前の本棚へと歩み寄ると、適当に一冊手に取ってみる。
表紙を一瞥した後、ペラペラとページをめくって……私は苦笑した。
「う~ん、やっぱり読めないかぁ」
本の中身は、見たこともない言語で書かれていた。
おそらく、この世界の文字だろう。どうやらこの世界の言語は、聞いて、話す事はできても、読む事はできないらしい。
だが、そこで諦める私じゃない。
言語認識についての細かい所は、さっきの司祭さん辺りに聞くことにして、だ。
今は取り敢えず、別の本を探そう。
あるなら、子供向けの絵本が一番いい。
王家の城の図書室、と聞くと堅苦しいイメージが湧くけど、王族だって子育てするのに絵本くらい使うだろう。
そう考え、本棚の間を移動していると……何かが落ちる物音が耳に入った。
どうやら、他に誰か居るらしい。
ちょうどいい、話を聞いてみよう。
私はそのまま、物音がした方へと足を向けた。
□□□
読書用のスペースと思われる机の下に、何冊かの本が散乱している。
なるほど、物音の原因はこれかぁ。
それから、本を落としたと思われる人物が床にしゃがみ込んでいた。
厚手の服の上からカーディガンを羽織った後ろ姿に、とても綺麗な銀髪を腰まで伸ばしている。
落とした本に向けて伸ばす腕は、どこか細々しい。
「大丈夫……ですか?」
「えっ!? ああ、ごめんなさい。驚かせてしまったかしら?」
振り返った女性の顔立ちは、謁見の間で見かけた王妃様や王女様によく似ていた。
「い、いえ……。私も手伝います」
「ありがとう。助かるわ」
私もしゃがむと、散乱した本を拾い集める。
幸い、ページが曲がったりはしていないようだ。
「もしかして……あなた、勇者様?」
ふと、女性は私の方を見つめながら問いかけてきた。
「一応、そういうことになっているらしいです」
「やっぱり! 見慣れない御方だと思っていましたが、あなたが……」
「といっても、あと4人いるんですけどね。勇者って呼ばれてる人」
そういや客間に通された後、みんなすぐに別々の場所に行っちゃったから、自己紹介も出来てないんだよね。
初対面だし、混乱してるだろうし、一旦一人になって色々整理したかったんだと思うけど……。私の方から名乗っとくべきだったかな?
まとめ役やってくれそうな、あのスーツのお兄さんも何か深刻そうに考え込んでたし。
「まあ、そうでしたか。では、あなたのお名前をお聞きしても?」
「私は
「まあ、マオさんというの? 猫さんみたいで可愛らしいわね」
女性はクスッと、品のある仕草で微笑んだ。
「そういうあなたは……王女様のお姉さん、ですか?」
「うふふ、正解。第一王女のライラといいます。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
お互い、軽く会釈する。
「ところで、真魚さんはどうしてここに?」
拾い集めた本を机に置くと、ライラさんは椅子に腰掛けながら聞いてきた。
私も正面の席に座り、その質問に答える。
「この世界のこと、色々知りたくなったので。お城からは出ちゃいけないと言われているので、まずは本でも読んでみようかと」
「まあ、とてもご立派な心がけですわ。……ところで、文字は読めるのかしら?」
「それが、全く読めなくて。絵とか挿絵があれば、何とかなりそうなんですが……子ども向けの絵本か図鑑とか、ありますか?」
「そうねぇ。ここで出会ったのも何かの縁、よろしければ私が教えて差し上げましょうか?」
「いいんですか!? 是非!」
「ご案内しますわ」
そう言って立ち上がろうとしたライラさん、だったが……。
「あらっ……」
「ッ!? ライラさん!?」
突然、フラッと脱力した。
慌てて立ち上がった私は、ライラさんの身体を支える。
幸い、倒れる前に支えることが出来た。
「申し訳ありません……。急にめまいが……」
「大丈夫ですか? とりあえず、座ってください」
肩を貸しながら、椅子に座り直してもらう。
なんとか腰をつけると、ライラさんは申し訳なさそうな表情で見上げてきた。
「昔からこうなの。よく身体を悪くしていて……」
「ご病気、ですか?」
「そうなの。下の2人やお母様たちには、いつも迷惑をかけてしまって……」
ライラはため息をつくと、困ったように苦笑する。
「家族思いなんですね」
「マオさんには、ご兄弟はいらっしゃるの?」
「姉が一人。とても優しい人でした」
私の答えに、ライラさんは首を傾げた。
「でした、ってどうして過去形なの?」
「あ……その……深い意味はないんです」
しまった、と思った。
初対面の相手なのに、つい口走ってしまった。
慌てて誤魔化すも、ライラさんはこちらをじっと見つめてくる。
「言いたくないならいいのですが……口にする事で、楽になる事もあると思いますよ」
ライラさんは、穏やかな口調で言った。
まるで、私を気遣うように。
話すべきか否か、少し迷う。
でも、私一人で考えても解決しないであろう事は事実だ。
それにこれは、私がこの世界に召喚されたきっかけでもある。
それを再確認するためにも、私は話してみることにした。
「実は……姉に距離を置かれるようになってしまって……」
「まあ、どうして?」
「私、思ったことをすぐ言っちゃうんです。だから友達もあまり出来なくて……。でも、姉だけはいつも、私の味方をしてくれていました」
私はどうも、他人と違うらしい。
私にとって当然だと思っている水準は、他人から見れば人並み以上のものだった、という経験がよくあった。
体を動かすのは苦手だったけど、それ以外の事は大抵すぐに覚えてしまう。
それ故に、私は出来ない人の気持ちが分からない。
私にとっての当然が、私以外にとってはそうじゃない。だから、私の周りからはどんどん人が離れていった。
「一週間前、その姉をひどく怒らせてしまって……それ以来、口をきいてもくれなくなって」
「……そうなのね」
私の話を聞いていたライラさんは、どこか悲しげな表情を浮かべていた。
「それで私、こう思っちゃったんです。『こんな私なんか、世界から消えちゃえばいいのに』って。そしたら……」
「そう……それでこの世界に……」
多分、生きてて一番ショックだったと思う。
私はお姉ちゃんの事、世界でいちばん大好きだったから。
お姉ちゃんに嫌われた私なんて、存在する意味が無い。
あの瞬間の私は、本気でそう思ってしまったんだ。
「……ごめんなさい。私たちの都合で、あなたとお姉さんを引き離してしまって」
話し終わった時、ライラさんは突然頭を下げてきた。
「どうしてライラさんが謝るんですか?」
「勇者を召喚する際、我々は召喚する相手を選べないのです。こんな事になるなら、勇者の召喚なんて行わなければ……」
「ライラさんたちは悪くありません。私が勝手に落ち込んで、自分の存在価値を見失ってただけです」
そう、全ては自分の責任だ。
お姉ちゃんと喧嘩別れした私が、あんなこと考えたせいで……。
だから、私は何としてでも元の世界に戻りたい。
そのためにも、私は魔王を倒さなければならないんだ。
「ライラさん、私たちよりも前に召喚された勇者は、元の世界に戻れているんですか?」
「それが……王家の記録にも、勇者のその後に関するものは記述が少ないの。この大陸のどこかに定住し、骨を埋めた勇者の記録はハッキリと残っているのだけれど、何人かは何処へともなく姿を消したとしか伝わっていないわ」
「そうですか……。では、元の世界へ戻る方法については?召喚が出来るなら、逆もまた然りなのでは?」
ライラさんは、ただ申し訳なさそうに首を横へ振った。
「召喚式は一方通行なの。それに、
「そう……ですか……」
やっぱり、そう上手くはいかないみたいだ。
手がかりの少なさに、思わず肩を落としそうになる。
でも、まだ諦めない。きっと何か方法があるはず。
私に出来ることなら、何でもやる覚悟はある。
絶対元の世界へ戻ってみせる。絶対にだ。
「ですが、アテがないわけではありません」
ライラさんは、少しだけ考えるような素振りを見せた後、そう言った。
「アテ、ですか?」
「大聖堂の地下には、この国に存在するあらゆる魔導書が収められているの。中には王家の者しか閲覧できない、禁書とされているものも」
「それって……」
ライラさんは、静かにうなずく。
「魔王を倒し、この世界を救った報酬として望めば、お父様も断れないはずよ」
それはまさに、天啓にも等しい言葉だった。
元々、魔王を倒さなければ、王様は私たちを元の世界に帰すことは無いだろうと思っていた。
だから、帰る方法がないと聞いた時は、軽く絶望しそうになった。
でも、まだ希望が残されているのなら、魔王と戦う事くらい苦にならない。
私は、私のやるべき事を果たして、この願いを叶えてみせる。
大好きなお姉ちゃんの顔を思い浮かべ、私は強く決意した。
「ありがとうございます!私、頑張ってみます!」
「えぇ、応援していますよ。あなたの旅路に祝福を」
ライラさんは両手を合わせながら、ニコリと微笑んだ。
「その時のためにも、この国の文字は覚えておかないとですね!」
「ふふ、そうね。じゃあ、改めて……」
2人で顔を見合せ、目的の本棚へと向かおうとした瞬間だった。
突如激しく、地面が揺れた。
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