本編最終話 :「お父さん」と呼ばれた

「これは僕からの差し入れです。皆さん今日は遠慮なしに食べて飲みましょう」


 一力がレンタカーに積んできたのは普段なら滅多に食べられない豪華な食材だ。

 イセエビ、クロアワビ、ロブスター、見たこともないほど大きなホタテと牡蠣、そして太いマツタケが何十本もある。ついでに白衣を着た料理人も数名……


「社長……じゃなかった。栗原さん、おめでとうございます」


 いつの間にかマイクロバスがやって来ていて、そこには夏美(一力の秘書だ)を始めとする会社の面々がいた。

 拡げたテーブルには高級なクラフトビールがズラリと並び、その脇でバーテンダーがカクテルを作っている。

 タープに結ばれていたネットが剥がされ、バーベキューの煙が丁度いい虫除けになって空間を包み、さながら巨大なビアガーデンが出現したかのようになっている。


「孟君、やったわね」

「こんな面白いことをする機会は滅多にないからな」

「春満さん、社長のことを怒らないで下さいね」

「夏美ちゃん、貴女が首謀したのね」

「それはノーコメントです。ね、社長」


 そんな会話が聞こえてきたと思えば、会社の面々がビール瓶片手に次々と挨拶に来る。


「あの陰キャボッチヘタレ童貞だった社長が遂に……お、俺、自分に希望が持てました」


 泣きながらそう言うのは、俺と似た性格で互いに慰め合った部下だ。


「陰キャボッチヘタレ童貞と言うのもうやめますね。これからはヘタレだけにします」


 何気にディスってくるのは俺の秘書だった女性、秋江だ。彼女は「社長、お先に~」と言い残して結婚している。


「あなた、皆から愛されているのね」


 いや、単に揶揄われているだけだろ。それでもこうして駆けつけてくれるだけでとても嬉しいけど。


「あ、あの……社長様、再来年からよろしくお願い致します」


 そう言って一力に挨拶しているのはサークルの部長だ。本気でウチの会社に就職するらしい。止めておけと言いたいが、彼女はもう立派な大人だから本人の自己責任だ。後は知らないぞ。


「うん、貴女のことは春満から聞いているし、夏美にも話を通してあるから大船に乗ったつもりでいて頂戴」


 鼻の下を伸ばしながら彼女にウィンクをしている。後ろから頭を張り倒してやろうかと思ったが、ここは人前だ。コイツは分かっていてそうやっている。


 学生と社員が入り乱れて、食材とアルコール(一部ノンアル)が面白いように消費されている。

 特に学生達だとこんな経験をすることは滅多にないだろう。

 ある者は仕事の話を説かれ、別の者は学生時代の思い出を聞いている。どの部員でも新鮮で得るものが大きい──そう、こうして大人への門を開いていくのが青春という年代ではないのだろうか。そう思うと、俺も半年で随分変わったとつくづく思う。

 俺、青春できているんだよな。



「それではそろそろ締めの物を頂きましょう」


 春満の音頭で出てきた物は蕎麦だ。その上にかき揚げが載っている。

 散々食べた後なのでもうお腹いっぱいだと言いかけたが、春満からそのかき揚げは自分達が作った野菜をたった今採ってきて具材にしていると告げられ、口にしたら流石に香り豊かで美味しかった。これを超える味は中々ないだろう。



 もうお腹がパンパンで動けないんじゃないかと思うほど食べた頃に日が傾いてきた。後片付けもあるからそろそろ終わりにしないと、と思っていたら春満が締めの挨拶を柔先輩に頼んだ。


「柔ちゃん、それではお願いね」


 マイクを持つ彼女は普段より緊張している様子が見て取れた。

 二日酔い事件以来彼女はアルコールを口にしていないから、素面で大勢の前で挨拶をさせられるのはタレントでもない二十歳の彼女には荷が重いだろう。

 そう思っていたら、徐に一枚の紙を取り出した。


 んっ、紙? 最初からこの挨拶をすることが分かっていたのか。


 春満を見れば、俺と目を合わせないようにそっぽを向いている。最初からそうするつもりだったのがバレバレじゃないか。


「皆様、本日は私の母と父のためにこの場にお集まりいただきありがとうございます」


 柔先輩が俺のことを父と呼んだ。そう認められたと理解していいのか。


「皆様ご承知のように、私の本当の父は私が物心付く前に他界しております。ですが、こちらにおります今の父は血が繋がっているかのように私と母を大切にしてくれております。その様な方と母が結婚できましたことは私にとっても大変幸せなことだと思っており、また、今の父ともこの関係を崩すことがないように私も努力していきたいと思っております」


 努力って……別に柔先輩は今のままで充分良い娘だと思うし、それ以上を俺は求める気もないし。


「私は母から亡き父以外を『お父さん』と呼んではいけないと厳しく言いつけられていました。今日という日まで誰かに対してそうしたことはありません。ですが、後輩君……失礼、栗原さんと一緒に暮らすようになり、実の父が生きていたらきっとこういう感じの人なのだろうと思うようになりました。ご存じの方も多いと思いますが、母は高校時代に父と交際していた経験がありましたから、きっと実父も同じような人なのだろうと勝手に想像しておりました」


 碧を見れば、涙腺が切れたのかハンカチでしきりに眼を拭き、鼻を啜っているのが分かる。


「これだけ沢山の方が父を祝うために東京からこんな片田舎まで来ていただくなんて、父が如何に皆様から慕われ、愛されていたのかをハッキリ知ることができました。私はそんな皆様に負けないように父を愛したいと思っております。ですから今をもちまして父のことを『お父さん』と呼びます。母に負けぬよう父を愛し、支えていきたいと思っておりますから、皆様もどうか私達家族と末永いお付き合いをしていただきますようお願い申し上げます。最後にお父さん、これからもずっと……ずっとよろしくお願いします」


 最後は涙声で挨拶を終えた。

 俺は彼女を見ながら、この娘が家族になってくれて良かったと心から安堵した。

 普段は虫の音しか聞こえない畑の片隅で万雷の拍手が鳴り、それは遠くの山に木霊しているかのごとく長く続いた。



******



 これにて本作は完結です。

 番外編として、栗原玄一が社長だった頃の日常を投稿します。

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