第96話 : 俺の挨拶
「後輩君、奥様、どんどん食べて下さい」
俺達の前に部長が座り、焼けた物を取ってくれる。今日は私がお世話係ですからと言っていたが、後輩としては申し訳ないと思ってしまう。
それよりも碧のことを奥様と呼ぶなんて……
「自分達で適当に食べるから気にしないで」
「ダメです。お姉様からトコトンおもてなしをしなさいと命令されていますし、今日の成果が就活の結果に繋がるとも言われていますから」
この人、本気で俺の会社を受けるつもりか。まあ、今更社長じゃないから口出しはしないけど。
「部長、ご苦労様。この人達を今日はぶくぶくに太らせて帰って貰ってね」
「お姉様の仰せのままに」
「そんなに食べたら軽トラが運転できなくなるぞ」
「代わりのドライバーは沢山いるわ。ねえ、部長」
「はい、何となればワタクシが運転をしますから」
この部長はいつから春満のメイドになったんだ。
「春満さん、いくら私達が主役とは言え、部長さんにも楽しんで貰わないと申し訳ありませんから」
「流石は碧ちゃんね。ゲンちゃん、こういう言葉が自然に出てこないとダメなの。そう言う思いやりが貴男には足りないのよ。部長も覚えておいてね。これ、社会人として大事なポイントよ」
碧をダシにディスるな。それよりも肉が焦げるぞ。
「ああ、失礼しました。こちらをどうぞ」
一部が炭になってるじゃないか……ありがたく頂くけどさ。
春満が用意した肉だけあって無茶苦茶柔らかい。筋っぽさもないし、脂がよく抜けていて炭臭さがかえって心地よいほどだ。
「部長さん、私達に遠慮なしに食べて下さいね。これ、私からのお願いですから」
「後輩君の奥様、そこまで気遣い頂けるなんて……」
どこで泣き真似を覚えたんだ。目を擦らなくていいから焼くことに集中してくれ。
「部長、この人達の接待は頼みましたよ」
そう言いながら、一番美味そうな肉をつまみ食いするな。部長はコイツの悪い癖をちゃんと注意しないとダメだぞ。
「ワタクシの命に代えてもお二人をご接待しますから安心して下さい」
「よろしくね」
よろしくなんかじゃないよ。だいたいこんな席の何処に命を懸ける価値があるんだ。春満菌に冒されると人間はこうなってしまうのだろうか。
春満はと見れば、別のコンロの所でお喋りをしながら貝をつまみ食いしている。コミュ力お化けはバーベキューの本場アメリカでこうして販路を拡大してきたのだと良くわかるシーンだ。
「それでは皆様、宴たけなわではありますが、ここで本日の主役、我がサークルの現役部員にして新婚家庭の旦那様でもある栗原玄一さんからご挨拶を頂きたく存じます」
さっきまで春満の忠犬と化していた部長が同一人物とは思えない程しっかりした司会を始めた。俺の中でのイメージは正にこれで、それを完膚なきまでに崩してしまう程だから春満はやはり只者ではないのだろう。
碧共々立ち上がり、並んで挨拶を始めた。
「本日は私どものためにこのような場を設けて頂きありがとうございます」
普段ならそんな挨拶は要らないと茶々を入れてくる春満が真剣な表情で聞いている。ビジネスで一言一句聞き逃さない時の顔だ。俺も真剣に話をしないといけないと気合いが入る。
「結婚の話をする前に、こんなオッサン大学生の自分を受け入れてくれて、こうして仲間として認められ、お祝いまでしていただけることに本当に感謝申し上げます」
俺は深々とお辞儀をした。これは全くの本心だし、これからもそうして貰いたいとの願いがあるからだ。
四十路手前から願ってきた夢がもっと大きな形で叶っている実感がある。経済的な成功をしたからだろうと揶揄されそうだが、俺だって優雅な暮らしを楽しんで来た訳じゃない。三徹もすれば、詐欺まがいの案件に出くわしたこともある。そんなことを経験して手に入れた今の幸せだ。そんなことを考えていたら自然と涙腺が緩んできた。
「ゲン、泣くな!」
どこにいたんだか、一力が声を出した。
春満を見れば笑っているからコイツが呼んだのだろう。
苦労を共にしてきた相手からそう言われて奮起した。
「碧とは高校時代に知り合い、暫く離れた後にこうしてまた出会って結婚することができました。この学校に入学して、皆さんの仲間入りをさせてもらえなければ恐らく一生会うこともなかったでしょうから運命の偶然と導きを感じます。そう思うと私を受け入れてくれた皆さんは恩人であり、大事な仲間であります」
うん、我ながらちゃんと挨拶できているじゃないか。これなら最後までちゃんとできそうだ。
「これからまだ三年あまり私は学生を続ける予定ですが、時折、こちらにおります家内がご厄介になることがあるかも知れません。皆様におかれましてはどうか今後とも私達二人を受け入れていただき、年長だからと遠慮せずに色々とご教示やアドバイスを頂けると有り難く存じます。私自身も皆様のためにできる限りの活動と協力をするつもりです。今後とも家内、そして娘ともどもよろしくお願い申し上げます。本日はありがとうございました」
どうにか最後までヘタらずにできた。
碧はと見れば涙ぐんでいて、ハンカチで眼を押さえている。春満も同じように眼にタオルを当てていて、顔が真っ赤だ。脇にいる部長が背中を擦っているのがわかる。
パチパチという拍手を一力が始めると、皆一斉に拍手してくれる。
「後輩君おめでとう」
「お幸せに」
「これからもよろしく」
「就職宜しく」
最後のは一力に言ってくれ。
ともかくも祝福の言葉を皆から貰い、仕事を辞めたこと、この学校に入ったこと、サークルで活動してきたことなどこれまでの諸々を思い出し、俺も最後は涙腺が切れてしまった。
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