第87話 : 夫婦漫才

 一力孟は俺が高校生の時からの縁で、もう二十年以上の付き合いをしている。

 俺よりも春満の方が長い関係のはずだが、それとほぼ変わらない期間公私ともに深く関わっている大切なパートナーだ。


「そうだよ。青春もできていれば家族もできている。これ程幸せなことはないと思っているよ」


 そう言いながら碧の方へ顔を向けると、彼女は立ち上がり、とても綺麗な所作で深くお辞儀をした。


「初めまして、栗原玄一の妻、碧と申します。よろしくお願いいたします」

「あ~ら碧ちゃん、そんなに畏まらなくていいのよ。この人急にここに来たんだし。大体こっちから名乗らなきゃいけないんだから。孟君、接遇がなっていないわよ」

「失礼しました。初めまして、一力春満の夫、孟と申します。碧さんですね、これから末永いお付き合いをお願いいたします」


 流石一流のビジネスマンだけあって、こちらも綺麗な姿勢でお辞儀をした。


「今日は碧ちゃんの初出勤なのよ」

「知ってるさ。関連企業で初の雇用者だ。親会社の社長がそれを知りに来て不都合はないだろう」


 うん、要するに碧に興味があるから見に来たって事だよな。

 いずれ紹介をしなきゃいけないと思っていたからそれはそれで構わないのだが、あまりに突然だ。会社はそれ程ヒマなのか。


「夏美が新人のことを知りたいってうるさくてさ」


 夏美とは一力の秘書をしている女性のことだ。春満にも引けを取らないザ・できるオンナで、社長に対してもズバズバものを言うタイプの姉御的人物。俺に早く彼女を作れといつも言っていたから碧のことを知って俄然興味が湧いたのだろう。流石に自分では来られないから社長を足に使ったというのが正解っぽいと思う。


「まずはゲン、碧さん、ご結婚おめでとうございます。これは俺からのささやかなプレゼントだから受け取って欲しい」


 そう言いながら碧に渡したのは小さな箱。


「開けてみてよろしいですか」

「もちろん。チェックしないと春満がうるさいからね」

「あら、私は孟君にそんなうるさいこと言ってるかしら」

「今がどれ程平和だかそのうち据え置きのカメラで実況しようか。普通に味がするご飯もちゃんと食べられるし、イビキが聞こえないからよく眠れる。掃除をするたびに悲鳴が聞こえることもないし、洗濯のたびに洗濯機から派手なエラー音がすることもない。その上で、誰からもああしろこうしろと指図されない」

「それ、私に喧嘩売ってるの」

「事実は事実だろ。どこでもいいから根拠を入れて否定してくれ」


「あなた」

「放っておけば大丈夫だよ」


 はは、また夫婦漫才が始まった。

 会社を一歩出ればいつもこんな感じなんだよな。だからと言って夫婦仲は抜群にいいから、これは一種のじゃれ合いと思わなきゃいけないんだよな。



「まあ、これ!」


 箱の中にあったのはキャップの先端に水色の宝石が埋め込まれているローラーボールと呼ばれる水性ボールペンだ。しかもその石が結構大きい。


「春満の秘書に相応しいものをと思ってね。どうか受け取って欲しい」


 これ、多分メーカーに特注したんだろう。レギュラー品でこんなに贅沢そうなモノを作るとは思えない。女性の手に合う小柄なボディはプラチナ特有のややくすんだ銀の光を放っている。


「で、これがゲンの分、使いごたえあるけど、まあ、半年しか持たないだろう」


 そう言って寄越したのは少し大きめの段ボール箱。


「開けていいか」

「構わないが、女性陣の前で堂々と広げるなよ」


 何だそりゃ。そう思って段ボールを開ければ、中には小さな箱がいくつも入っている。

 まさか……そんなモノを結婚祝いで持ってくる奴がいるか。


 だが、その不安は数秒後に現実になった。

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