第81話 : 大吉の日(入籍当日)

 パソコン教室の講師をしてから翌々日のこと、俺と碧、そして柔先輩と春満の四人で市役所に来ている。

 柔先輩の友人に占い研究会所属の人物がいて、その人の話だと今日は一年に数度しかない『大吉の日』なのだそうだ。

 幾つかの占いの結果が全て最良と判断される日だそうで、俺と碧個人の星座や血液型の運勢でもかなりの幸運がもたらされる日と出ているとのこと。そんな日を選んで入籍しようと決めたのだ。


 事前に碧には最後の意思確認をしてある。

 彼女の話だとそれだけの覚悟は出来ているし、凌雅さんの気持ちを考えても、俺と結婚しない選択肢はないとのことだった。


「ゲンちゃん、二人で行ってきなさいよ」

「お母さん、行ってきて」


 婚姻届は事前に書いてあるし、互いの判も押してある。

 ちなみに何故この二人春満と柔先輩がここにいるのかというと、俺がヘタレで最後になって怖じ気づくんじゃないかという春満と、母親の門出を見守りたいという柔先輩の気持ちの結果、こうして一緒にやって来たのだった。


「わかってるから、いちいち言わなくていいぞ」

「分かってないのがゲンちゃんでしょ」

「春満さん、私がいるから大丈夫です。ゲン君、行きましょ」


 碧に手を引かれ、窓口まで行くと婚姻届はあっさりと受理された。

 俺としてはそこで色々と質問されるものだと思っていたのだが、「受領いたしました」の一言だけで終わってしまった。

 あとは健康保険や年金などの手続きを済ませてから、この四人と蒼衣と重松を加えたいつものメンバーでちょっとした記念の食事会をする予定になっている。


 俺と碧が正式に夫婦になり、柔先輩も栗原姓になったのだが、学校卒業までは対外的には矢口姓を使うと言うことだ。名字に拘る気は持っていないので、彼女が問題なく過ごせればそれで構わないと思っている。

 そのことを含めて俺達の親には後日話す予定だが、これまでの反応を見ていると異を唱える人は誰もいないだろう。



「栗原玄一さんと碧さんの結婚を祝してかんぱ~い」


 駅から少し離れたところにある老舗の料亭で昼食会を行っている。

 学生の身分で来るような場所ではないのだが、こんな日くらいは良いだろう。


 昔は遊郭だったというこの店は、何度かの改装を経て今に至っていると言うだけあって、古の趣があり、年配者には落ち着く空間が広がっている。

 十六畳ほどの広間に六人がゆったり座るという贅沢な空間だ。


「皆様にはお忙しいところ、お集まりいただき「ゲンちゃん、そんな挨拶はいらないから」」


 挨拶をしろと言ったのはお前だろと言いたいが、正直挨拶なんぞしたくなかったので途中で切り上げた。だからと言ってここにいる全員が失笑しているのはけしからん話だ。


「ゲン君、いえ、私の愛する旦那様に替わって私が挨拶いたします」


 旦那様って……籍が入っただけでそう呼ばれるのか。


「今日は皆様から祝福していただき、本当にありがとうございます。夫共々家庭を気付いていきたいと思っております。私達二人と柔のことをこれからもよろしくお願い致します」


 夫……この俺が。ということは碧は妻なんだよな。この俺の隣に妻がいるんだよな。


「これまでのことを皆様に改めて感謝申し上げます。あなた、立ってくださいね」


 あなた……えっ、俺、これからそう呼ばれるの。ゲン君じゃなくて、あな、た……って。


「栗原、大丈夫?」

「ゲンちゃん、震えてるわよ」


 あ、ああ、その、あの、何だ。頭が全然追いつかない。

 旦那様、夫、あなた……初めて呼ばれる言葉ばかりだ。

 夫婦になるってそう言うことなのか。

 籍を入れればおしまいじゃなくて、新しい生活が始まるってそう言うことなのか。


「あ、ああ……大丈夫だ。大丈夫、大丈夫」

「全然ダメじゃない。皆さん、新婚ボケしたゲンちゃんは放っておいて美味しいものを食べましょう」


 出されたのは懐石料理のコースだ。

 俺も碧もそれ程贅沢なものは要らないと思っていたのだが、知らないうちに春満が追加料金を払って最高級の特注品を揃えてしまっていた。


 伊勢エビやアワビを贅沢に使った舟盛り、刺しが見事に入った牛肉のステーキ。松茸の土瓶蒸しに天然物だというのに肉厚な鰻の白焼きなどこの先何時食べられるか分からないようなものが次々と運ばれてくる。

 そして、春満は一人で地元の酒蔵が極少量だけ作っているという幻の大吟醸酒を派手に飲んでいる。


「ゲンちゃん、お姉さん、こんな……ヒック、日を見届けることが……ヒック……出来て最高に幸せよ。ヒック」


 いくら酒が強くてもこれだけ飲めば酔うよなぁ。


「お姉様、今日は私もノンアル飲料でやけ酒に付き合いますわ」

「蒼衣っち、私もそこに混ざっていい」

「ウィ~、蒼衣ちゃんも重松ちゃんもどんどん来なさい。今日は寝ないで飲み明かすわよ」


 蒼衣も重松もやけ酒ってなんだよ。

 だいたい今から何時間飲むつもりだ。


「あなた、あの人達は春満さんに任せて、今日は私達家族で過ごしましょ」

「後輩君……暫くはそう呼ばせてちょうだい。あらためて今日からよろしくお願いします」

「こちらこそ、これからずっと家族としてお願いします」



 その後、あの三人がどうなったかは当事者以外誰も知らない。



******


 通常のラブコメですとここで話が終わりますが、タイトル回収まで本作はもう暫く続きます。

 この先も読んで頂けるとありがたく存じます。


 先行ネタバレを一つ:「私、自分のことを今まで知らなかった……嫌だぁ」

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