第80話 : 人生初のアルバイト
「それでは皆さん、机の左上に書かれているユーザー名とパスワードを入力してください」
「せんせ、これでいいですか」
「そうそう、その字をキーボードで打って下さい。大事なことですからゆっくりでいいですよ。ゆっくりで……はい、できましたね」
俺がやっているのは人生初のアルバイト。
学生になって青春を感じるなら、何らかのバイトをしたいと思っていた。
夏休み中に何かをしようと地元でバイトを探していたら、シニア向けパソコン教室の講師を役所で募集していたので、早速応募したら即採用となった。
因みに担当者は俺のことを知っていて、伝説のエンジニアの方を薄給で雇って申し訳ないと何度も頭を下げていた。柔先輩や重松の時給を考えれば高給取りもいいところで、教えることに何のノウハウも持っていない自分には勿体ないくらいの好条件だからこちらの方が恐縮しなければいけない案件だ。
教えているのはインターネットの使い方と、その危険性について。
PCの方がスマホより俄然文字を大きく出来るし、何となればテレビをディスプレイに使える(スマホでも出来るが、PC向けサイトを表示させた方が高齢者には優しい)ので、ノートPCを使っての授業となっている。
数日前に考えた若者を支える仕事とは趣が異なるが、年寄りだって昔は皆若者だったから、似たようなものじゃないかと自分を納得させている。
「いっぱい字が出てきたけど、これからどうするのかしら」
「今説明いたしますので、お待ちください」
ハイパーリンクから教えなければならない。もちろんシステム的な解説なんかはしないが、文字だけではなく画像にもリンクが張られていることなどを教えていく。
「リンクを張る? どういうことですか?」
リンクは張るもの、という常識が通用しない。というか、何故張ると言うのかは俺だって良く知らない。日本語の問題をここで考えることになるとは思わなかった。
「申し訳ありません。リンクは張るという言葉を使うものだと覚えてください。どうしてそのような言い方をするのか私にも分かりません」
そんな意表を突かれた質問が飛びだしてきたり、マウスのポインタが消えたと言って大騒ぎになったりしながら、何とか検索サイトから情報を探すところまで辿り着いた。
集中力の関係で、時間は限られているから、九十分を掛けて今日はここまでだ。
この後、何回かに分けて復習をしながらネット通販とフィッシング詐欺などについて解説をする予定になっている。
初歩の初歩だが、特に通販なんかは買い物難民が比較的都会の当地でも懸念されているそうなので、是非利用してもらいたいとは担当者の話だった。
「お疲れ様でした」
「ありがとうございます。楽しかったわ、また次回もよろしくお願いしますね」
「次も楽しみだな。それまでお互い元気でいましょう」
「次回も皆さんと会えることを楽しみにしております」
生徒の皆さんがお喋りをしながら解散していく。最後に残っていた八十代とおぼしき女性が俺の所へやってきた。
「物覚えの悪い私達相手に丁寧に教えて頂いてありがとうございます」
優雅なお辞儀をした後に声を潜めて言われた。
「先生は独身なんですか? 私、趣味で仲人をしていましてね。もし独り身だったらぜひ紹介したい方がいるのですよ」
「はい?」
初対面の人にいきなり異性を紹介したいと言われても。
「私、こう見えてもこれまでに百組近い方を結婚まで持ってきているんですよ。それからすると貴男はとても誠実な男性に見えます。それと……失礼ですがあまり異性には縁がないようにも」
「はあ、まあ、そうですが」
確かにこれまではほぼ縁らしい縁がないと言えた。が、今の自分には碧がいる。
近日中に籍を入れに行く予定だとは言え、正式に結納などの婚約をした訳でもない。
とは言え、それをここで第三者に言うほどのことでもないと思う。
「私ね、貴男のような人にぴったりの女性を存じ上げているのです。できればぜひご紹介させて頂きたくて」
「あ、はあ、まあ……」
「よろしければ先方様にお話をしたいと思いますので、名刺を頂戴できますか」
名刺ねえ。この仕事をするにあたって、一応、社外取締役としての名刺は作っておいた。
紙切れ一枚だが、これがあるとないとでは信用度が多少違うと思うし、対外的に責任の所在をハッキリさせておく意味もある。
「こちらですが」
「あら、東京の会社の方なんですね」
「所属はその会社ですが、今はこちらへ引っ越してきていて学生をしています」
「学生?」
「高校を卒業して大学へ通わなかったので、一度は通っておきたいと思ったものですから」
「珍しい方なのですね……」
もの凄く不思議なものを見る眼で見ないで欲しい。
それでもどこか納得はしてくれたようで。
「あとで連絡を差し上げてもよろしいかしら」
「ええ、かまいませんが」
とは言え、今月末には籍を入れる予定なんだよな。
グイグイ押されたから言えなかったんだが、まあ、適当に断れば良いだろう。
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