第74話 : 実家にて

 合宿が終わると旧盆が近づいてきた。

 今年は久々に俺の実家の墓参りに行く予定でいる。


「ゲン君のご両親にご挨拶しておきたくて」


 プロポーズめいた言葉は何度か言ったものの、結婚という言葉を口にしていないが、一緒に住むことだけは決まっている。碧からすれば一つのケジメを付けておきたいのだと思い、同行を快諾した。



 それから数日後の八月十一日、俺達は二人だけで俺の実家に向かっていた。


「懐かしいわね」


 碧は昔付き合っていた頃に一度だけ俺の家に来たことがある。あの時は両親に紹介するのが目的ではなく、ただ単に俺の家がどこにあるかを教えておきたかったのだ。

 その頃の碧は自分が遠距離通学をしている田舎者だと言っていた。俺の所も大層な場所なので俺の方が田舎出身だとつまらないマウントを取っていたから、どれ程の所か見て欲しかったのだ。結論から言えばどっこいどっこいの引き分けだったのだが。


『栗原電気設備』と書かれた看板は随分ボロっちいが、それでもまだ商売をしていることを誇るように手入れがされている。この界隈唯一の電気屋で、家電品の納入から住宅の電気工事まで幅広く請け負っている。


「ただいま~」

「お帰りなさい。って、こちらが兄ちゃんのお嫁さん?」


 お袋は俺のことを「兄ちゃん」と呼ぶ、誰かの兄ではないのだが、男の一般名詞としてそう呼ばれている。

 姉夫婦は盆の期間中にここに来ることになっているが、その時には他の予定が入っているので早めに訪ねたのだ。それにしてもいきなり嫁さんと呼ぶのはないだろう。


「お母様、はじめまして、矢口碧と申します。玄一さんとは結婚を前提にお付き合いさせて頂いております」


 碧は無茶苦茶綺麗な所作でお辞儀をした。取引のあった大企業の受付嬢だってなかなかこのレベルの人はいなかったと思う。田舎には明らかに不釣り合いな品性というオーラを出している。

 と言うか、結婚を前提って……そこまで言って大丈夫か。


「あれま、そんなに畏まらないで、ささ、上がって頂戴」

「うん、親父はいるの?」

「父さんは仕事だよ。ハルさんの家を終うための工事をしてるんだよ。もうすぐ帰ってくるんじゃないか」


 ハルさんとは近所のお婆さんで、存命なら齢百近いはずだ。


「あの家も若い人達が戻ってこなかったからね」

「ハルさんはどうしたの」

「今は街で施設に入っているよ。足が効かないから坂道だらけのこの辺りだと暮らせないってさ」


 買い物難民とか、医療難民とかそんな言葉が頭に浮かぶ。


「ここら辺もウチを入れて六件しか残ってないからね」

「碧の所より都会か」

「え、兄ちゃんの嫁さんはそんな田舎の出身なのかい」

「えっと、まあ似たり寄ったりです」

「なら安心だわ。こんな田舎だからと驚かれるといけないからね」

「そんな心配はしないでください」


 碧の緊張はほぐれないが、これで姉家族がいたら大騒ぎになっているから今日来たことは正解なのだと自分で納得する。

 そうこうしているうちに軽トラックが止まる音がした。


「ただいま。ゲン、お帰り」


 仕事に行くならいつも長袖の肌着と作業用のズボンを穿いている親父が、なぜか襟付きのシャツ、それもかなり綺麗なものを着ている。

 碧が来るからといってそこまでしなくてもいいのに。


「お父様、初めまして──」

「ああ、アンタがゲンの嫁さんか。これはこれはどうもどうも、ゲンの父の玄治げんじです。宜しくね」


 田舎者丸出しの──俺の会社なら間違いなくアウトな──自己紹介をして親父が俺達の前に座った。


「陰キャボッチ童貞の愚息と一緒に暮らしてくれるとは……俺は碧さんに頭が上がらないよ」


 こら、俺のことをそこまで卑下するな。それと今の俺はボッチじゃないぞ。だいたいそんな言葉どこで覚えたんだ。


 それから一通りの紹介や今の事を話していたら、「こんちは」と言いながら続々と隣近所から人がやって来た。

 普段見かけない人物がいるのが余程珍しいのか殆どパンダみたいな扱いで、俺はともかく碧にどう思われるか気が気じゃない。


「ゲンさん、お宅のゲンちゃんも大きくなったねえ。もういい大人じゃないか」


 この人は確かイクさんだ。小さな頃に遊んで貰ったことがあるオバサンだが、今は深い皺が刻まれている。他人を見て、俺も歳を取っているのだと実感する。


「イクさんよ、いい大人どころか爺さんの入り口だよ」

「そんなことないよ。私から見ればいつになっても子供だよ。ま、子供っちゅうほど若そうには見えないけどね」

「はは、まあ年の差はいくつになっても変わらんからな」


 そこにいる人達が勝手に盛り上がっている。

 暫く俺達の話しで時間を潰しているうちに誰かが不意に言った。


「でもゲンさん、アンタ本当に幸せ者だな。いつもゲンちゃんのこと心配してたのに、こんな素敵な嫁さん連れてきたんだから羨ましいわ」


 碧を見ればトマト並みの赤い顔をしている。


「みんな、うちの嫁をイジメなさんな。恥ずかしがっとるだろう」

「ははは、田舎は話題が少ないからな。お姉さんごめんな、こんな所だけどいつでも来てちょうだいな。ゲンさん所の人なら誰でも大歓迎するからな」

「そんじゃ、年寄りは若いもんの邪魔したらマズいから帰るわ」

「あ、皆様」

「んっ、どうしたん」

「ふつつかな者でございますが、これからも夫ともどもどうかよろしくお願い致します」


 もの凄く綺麗な所作で、碧が深々と正座をしたままお辞儀をした。

「夫ともども」という言葉で固まった俺は、それを見ているしかなかった。

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