第75話 : 本当のプロポーズ

「ふつつかな者でございますが、これからも夫ともどもどうかよろしくお願い致します」


 夫……プロポーズめいたことはしたつもりでいるが、俺はまだ正式に「結婚」とは口にしていないというのに。

 ここにいる人達に向かって何を言えば良いのか、何が正解なのか、頭が混乱していて何の反応も出来ない。


「ゲン、なんでそこで黙ってる!」


 親父の怒鳴り声で我に返った。


「か、家内共々よろしくお願いします」

「はは、ゲンちゃん、緊張しないでいいわ。奥さんを大事にしてな」


 イクさん達はそう言って帰って行った。


「碧……今の言葉」

「一緒に住むとはそう言うことだと思ってます。その覚悟があってここに来ていますから」

「ゲン、もう尻に敷かれてるじゃないか。いい嫁さんだな」

「お父様、お言葉ありがとうございます」

「碧さん、私からもうちの陰キャボッチをよろしくお願いしますね」

「お前、童貞が抜けてるぞ」

「だって、もうは済ませてるんでしょ」


 何てことを言い出すんだ。俺と碧はまだ清い関係だし、これからだってどうなるかはわからないんだから。いや、本当に夫婦になればだってしたいけどさ。


「変なことを言うなよ」

「あ~ら、違ったの」

「俺達はまだそう言う関係じゃ「いずれはそのつもりです。でもそれはきちんと段階を経てからです」」

「あら、今時の人にしては身持ちが堅いのね。碧さん、貴女みたいな人をお嫁に迎え入れられる私は幸せ者だわ」

「いえ、私はいつもゲン君にお世話になりっぱなしですから」

「ゲン、お前こんな良い嫁さんを……俺も若ければ母さんじゃなくて「な、に、か言ってます」」

「うっ、マズぃ」


 お袋が親父を睨み付けた。この家の力関係が良くわかってしまう。


「お父様、私には過ぎた言葉です。お母様を大事になさってください」

「ゲン、女はみんな魔物だぞ。覚えておけよ」

「そういうことにしておく」

「魔物だから、貴男を虜にしますからね」


 飛び切りの笑顔で碧はそう言った。

 親父夫婦はそれを見て、互いに目を合わせて笑った。


「これから墓参りに行くから」

「おお、そうしてくれ。お前の爺さん婆さんも喜ぶだろうから」



 実家の墓は家から歩いて五分程度の所にあり、この集落の世帯分と離村していった数家族分の墓石がそこに建っている。


「お爺さま、お婆さま、この度家族になります碧です。よろしくお願い致します」


 持ってきた線香を供え、手を合わせて丁寧に頭を垂れる。


「これで後戻りできなくなったわ」

「うん、さっきの言葉だけど」

「何のかしら」

「いや、覚悟って言ったろう」

「私は私の気持ちに沿って生きる覚悟をしたという意味よ。ゲン君と一緒に家族になって暮らしたい。一つ屋根の下で同じ空気を吸って、同じ食べ物を食べて、同じベッドで……一緒に寝て、ずっとずっと一緒にいたいと。それは私が幸せになることで、皆さんに幸せをお裾分けすることでもあると思ったの」

「最後は誰かのためというのが碧らしいな」

「うん、自分が幸せであることで一人でも多くの人に幸せになって貰いたい。それが自分の喜びでもあるし、幸せでもあるとわかったから、これでいい──いや、これがいいのよ」

「そっか、それなら」

「それなら、何?」


 実家近くの田舎道か、陰キャボッチヘタレ童貞がプロポーズするには丁度いい場所なのかもな。

 俺は、碧の一歩前に出て立ち止まり、彼女の行く手を塞ぐ。


「今日はきちんと言うよ。碧、俺と結婚してくれ。残りの人生を一緒に歩もう」

「ゲ、ゲン君!」

「こんな場所でごめん。でも今言わないと一生言えない気がしたから」

「もう! でも、ゲン君らしいわね。ちょっと待って、スーハー」


 彼女は手を広げて深呼吸をしている。その顔はどこか晴れやかだ。


「私からもお願いします。結婚しましょう。それにしてもここで本当のプロポーズをされるとは思ってもいなかったわ」

「はは、みんなから陰キャボッチヘタレ変態童貞と言われてるからね」

「ふふ、沢山称号が増えたわね」

「うん、でもこれからはボッチでも童貞でもなくなるから」

「えっ、童貞って本当だったの」

「ま、まあ……夫婦に隠し事は良くないからちゃんと言うよ。正真正銘の童貞さ。ずっと仕事一筋だったし、本当に好きになった人としかそう言うことはしたくなかったし。まあ、他にも色々あってね」

「あら、それじゃ私が色々教えちゃおうかしら」

「そうしてくれると助かるよ。恥ずかしいけど俺はビデオでしか知らないしね」


 こんなことまで言える仲になったんだな。

 籍を入れたらその先のことも……ムフフ。


「柔にちゃんと言わなくちゃ、ね」

「もちろんだよ」


 実家まで数十歩の距離だけど、碧がさっと手を出した。

 指を絡ませ、二十数年ぶりに恋人繋ぎをしながら、俺達は家に戻った。

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